「お互いに尊重し合う」ということ*3

さて。


どうしたら川の土手を自転車乗って夕日を浴びつつ鼻歌まじりで帰って来られるようになるか。
あるいはまた路地で遊ぶ子らに「ご飯だぞー」と声を掛けつつ暮らせるようになるか。


ホントはね、あんまり働かなくても生活できるのが一番ですね。
だから、「オンナだってオトコとおんなじようにやりがいのある仕事を持ってバリバリ働きたい」ってのはよくわかるんだけど、例えば結婚したら、子供が出来たら、これは父も母も隔てなく、家族が向き合って生きていけなくちゃ意味がないと思う。
家族がどうあるか、夫が妻が母が父が子がどうあるか、これはそれぞれの家族が考えること。
人に教えてもらったり理想を提示してもらったりする問題じゃない。


家族のあり方もそれぞれの役目も立場もいろいろだけど、そもそも人そのものもそれぞれいろいろ。*1
いろんな人がいていろんな生き方があるわけでしょ。
どれがホントの生き方だとか人間としてあるべき姿だとか決められることじゃない。
それぞれがそれぞれをできれば認め合って、仲良くできるところは仲良くして、そうじゃないところは残念だけど出来るだけお互い邪魔にならないようにして生きていけるといいな。


結局のところ、この「お互いに尊重し合う」ということはやはり根本になるんじゃないのかな。
「個の尊重」をきちんとしたカタチで啓蒙する。
たぶん今まで、これに失敗してるってことだろうと。
戦後の民主化なんて言ったって、いろんな経緯があって憲法教育基本法も疎かにされてきたんだもの。
「個人の尊厳」がちゃんと守られているとは到底思えない社会になっちゃった。


ここはひとつ踏ん張って、何とか道筋を付けて行かないと大変なことになっちゃうかもしれない。


「個人の尊厳が行きすぎると生徒が殺し合いをするようになる」なんてことをおっしゃるお方のいる自民党は「『基本的人権の尊重』については行き過ぎた利己主義的風潮を戒める必要がある」とか言う。*2
「婚姻・家族における両性平等の規定」を見直すとも言う。
「社会連帯、共助の観点から社会保障制度を支える義務・責務のような規定を置くべき」なんてことまで言う。
民主党にしても、憲法は「国民一人ひとりがどのような価値を基本に行動をとるべきなのかを示すもの」だと言っている。*3


憲法九条を何としても護ることも確かに大切なんだけど、そこにばかり目を向けていて「何とかうまいこと改悪してやろうとする精神」に目眩ましされちゃいけないぞ。
ヘタをすると本当に「国民憲法審査」なんてのを実施して、「憲法に沿った国民であるかどうか」を審査されちゃうかも。


やっぱりね、きっと一人ひとりがなんとか踏ん張らないとね。頑張るよ。