ヒーローものゲーム、子供の攻撃性増加の可能性(YOMIURI ON-LINE)

悪者が暴れまわるテレビゲームより、かっこいいヒーローが敵を倒すゲームの方が、むしろ子どもの攻撃性を高める可能性があることが、お茶の水女子大の坂元章教授らのグループ研究で明らかになった。
(中略)
6校の児童592人についての調査結果を分析すると、知的だったり、見た目がかっこよかったり、魅力的な特徴を持つ主人公が登場し、攻撃するゲームでよく遊んでいた児童は、1年後に「敵意」が上昇していた。
「ひどいことをした悪者に報復する」という、暴力を正当化するゲームでよく遊んでいた児童も同様に「敵意」が高くなっていた。
これに対して、攻撃回数が多い、たくさんの人を攻撃するなど、暴力描写の程度が高いゲームで遊んでいる児童の場合は、研究チームの予想とは反対に、むしろ攻撃性が低下していた。
この結果を坂元教授は「かっこいい正義の味方だと、プレーヤーが自己同一視しやすいため」と分析している。
(中略)
ゲームソフトのメーカーなど、約170団体が加盟する業界団体「コンピュータエンターテインメント協会」(辻本憲三会長)では、「テレビゲームと子どもの攻撃性については、まだ研究データが少なく、因果関係がはっきりしていない」(渡辺和也専務理事)という。
このため、現在は、NPO法人特定非営利活動法人)「コンピュータエンターテインメントレーティング機構」(武藤春光理事長)によるレーティングを柱とした自主規制に頼っているのが現状だ。
研究チームの1人で、分析を行った慶応大学メディア・コミュニケーション研究所の渋谷明子研究員は「この調査で、保護者が気付いていない問題があることが分かった。やみくもにゲームを敵視するのではなく、安全に遊ぶにはどうすればよいのかを考える助けにしてほしい」と話している。


◆レーティング=ゲームソフトの内容によって、対象年齢などを設定する制度。民間から公募で集まった審査員が、暴力表現や性表現などについて審査し、年齢については、「全年齢」「12歳以上」「15歳以上」「18歳以上」の4種類に分類する。結果は「年齢区分マーク」でゲームソフトのパッケージに表示されるが、消費者が購入する際の目安であり、強制力はない。



記事ではやはり、文面に何となく漂っている「テレビゲームは子どもに悪影響がある」という短絡した視点、エキセントリックな点を強調したい意図が気になるので、ゲームの文化性を拠り所としてどうすれば発展していけるのかを深く検討していくという研究者の視点を参照してみよう。


「テレビゲームと子供たち ―社会心理学の立場から―」取材ノート 1of3 【ビデオゲームの影響研究の動向】(Slash Games)
「テレビゲームと子供たち ―社会心理学の立場から―」取材ノート 2of3 【なぜビデオゲームは影響力を持つか】(Slash Games)
「テレビゲームと子供たち ―社会心理学の立場から―」取材ノート 3of3 【今後の課題】(Slash Games)


ただ単に殺戮を繰り広げるよりも「悪に立ち向かう」という大義名分があるかどうかで自分の行為、つまり無条件に相手を倒すことが善であるという正当化により、「暴力性が高まる」傾向に差がありそうだとか、まだまだ研究結果が少ないという条件は付くが、ただ単に殺戮シーンや暴力シーンがあるからどうこうという話ではなく、古くは「DooM」などに代表される、自分の視点で主体として自らが暴力をふるい相手を倒す/殺す疑似体験をするかどうかという点に注意が必要ではないかとか、あるいはまたゲームの「向社会性」などにも触れており、示唆に富んだ内容で頷かされる点も多い。一時期話題になった「ゲーム脳」についても、延髄反射的にただ批判すると言うことでなく問題提起として捉えている。研究者を含めた関係者がテレビゲーム(またはビデオゲーム)をちゃんと体験し、本質を理解することが必須であるとか、まだ研究としては対象も母数も少なく、体系だったものになっていない点も指摘している。
子どもと向き合う立場のものとしては、とかく子どもの教育に絡めて話が進むと性教育やら歴史教育やらと同様「知らしむべからず由らしむべし」とする強硬派が多いようだが、ただ単に見せてはイカン、やらせてはダメだと取り上げてばかりでは経験する機会も考えるチャンスもなく人間として軟弱になっていくばかりではないだろうか、と痛感するものだ。危ないからと肥後守もボンナイフも取り上げられて、鉛筆削りがなければまともに鉛筆を削れなくなってしまったりもするのは事実ではあるし、そうは言っても悲惨な事件を顧みれば危険が伴うのはこれまた事実でもあるのだ。それはそうとして、しかし、何をすればいいのかわからないから取り敢えず取り上げておく、ではやはり何もならないだろうとも思う。
突き詰めれば、子どもにとってよいかどうかは親が判断すればよい。子どもの育て方についてマニュアルやガイドブックなんてものは結局のところないのだし、乱暴な言い方をすれば、そんなものきっと直感でいいのだ。要はきちんと子どもとつきあっているかどうかに尽きるのではないか。子どもが何をしているか、何を考えているか、何をしようとしているのか、そうしたことをちゃんと向き合って受け止めたり投げ返したりしているのかどうか。自分自身も含め、このことをよく胸に留めておいて忘れないでおきたい。


大事なことは何か、大人がまず、それを自分のアタマで考えることだ。少なくとも、それを忘れない、忘れても何かの機会にきちんと思い出すようにしておく、そうした心構えなんだと思う。