本日のコメント

youarai 『さらに付け加えれば、淘汰によって残ることができた種は絶滅してしまった種よりも優れていたわけではない。単に、ある生息域に於いて生き残ることができただけであるに過ぎない。したがって、生存競争は生物全般を俯瞰して行われたものではなく、ある生息域に於いて行われた(かもしれない)ということになる。
断続平衡説を自分なりにごく簡単に解釈すると、生きやすい環境が多くの地域に広がっているときには種の中に多様な適応可能性が保たれ、例えば環境が変化したときにそれぞれの方法によって適応が進む、ということなのではないか。
人間の生息域はほぼ定まっていないうえ、互いの生息域を越えてたやすく交雑することができる。さらに優生的抑圧を積極的に排除することにより多様性を保つ一助にはなるだろう。将来どのような世界が待っているかわからないにせよ、また、結局は人間の傲慢であることをしっかりと認識したうえでの話ではあるものの、できうる限り袋小路に閉じこめられないために。』 (2006/01/12 16:20)


shogoshi 『ご無沙汰しております。グールドに反応します。
「互いの生息域を越えてたやすく交雑することができる」とありますが,シニカルに見ると,通常このような状況はむしろ絶滅寸前の種に多く見られます。たやすく交雑できるということは裏を返せば交雑不可能な近縁種が存在しないということであり,実際,いわゆるヒト科(Homo)の動物はヒト(Homo sapiens)しか現存していません。その他のホモ何たらは,全て絶滅してしまった訳です。
youaraiさんも指摘されているように,ある環境に適応して一種を形成するに至ったものは,それだけ生息環境が限られるので,環境の変化にはむしろ適応しにくくなります。ヒトが環境を破壊するのはだから,ヒトが環境に対する適応可能性を持っていないということの裏返しと言えるでしょう。』 (2006/01/17 22:30)


youarai 『shogoshiさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
おっしゃる通り、すでにヒトは袋小路に入っているのかもしれませんね。しかし、だからといって希望は捨てたくはないとも思います。これも傲慢なのかもしれませんが。
自分で付けたコメントは文面通り「創造論」や「進歩的思想」、「優生思想」を認容しない姿勢として書きましたが、これは簡単にそんな罠にはまってしまわないように、という自戒もしくは覚えでもあります。』 (2006/01/18 11:31)