患者惑わすHP追放 厚労省がネット対策(くまにち.コム)

「治療成績」や「患者満足度」を紹介するときは根拠のデータも示すこと−。厚生労働省は15日までに、医療機関がインターネットのホームページ(HP)に載せる内容について初のガイドラインを作成し、信頼性の向上を図る方針を決めた。
ネット上の医療情報は医療法上の広告と扱われないため、これまで“野放し”状態だった。病院選びの参考になるよう正しい情報提供を促すのが狙いで、患者を惑わす虚偽の情報は法規制も検討する。
厚労省医政局総務課によると、医療法は虚偽・誇大広告から患者を守るため、病院や診療所が看板などに掲げてもいい項目を診療科名や常勤医の氏名、手術件数など客観的な情報に限っている。
しかし、インターネットは「情報を探した人しか目にしない」という理由で規制の対象外。HPなら「必ず治る」という主観的な言葉やがんの治療成績、美容整形の宣伝などを自由に掲載できる。
(後略)

ひろふみさんの「青二才の黄昏」、「追放」(2005年3月28日分)経由。
厚労省が主導というところにイヤーな感じはあるものの、一瞬「これはイイ」と思ったのは確か。だが、よく見ると「広告」の部分が対象になるもようなので、予防接種とか薬とか症状とかの「解説」部分はどうなるのかはよくわからない。ひろふみさんが指摘しているように「一次資料すら恣意的に選別できる」点はその通りだろうし、そうなると患者が知りたい情報にはやはりなかなか接することができないことになる。
この間も書いたのだが、医者は専門家なのだから(敢えて言い切るけれども)、どのような資料をどのように読むか(解釈の違いはもちろんあるだろうけれども)について一般人に比べれば高い能力があるわけで、それを患者にどう提示して説明するか、というところも医療業務に当然あるのだと思う。そうだとすれば「死亡率がこれこれだからあなたが(またはあなたの子どもあるいは家族が)死亡することはまずありません」と説明するのは正しいのか? そして「予防接種を受けられない人たちがおり、その人たちが感染するとあなたが予防接種を受けて死ぬ確率よりも高い確率で死亡する。その人たちのためにも、(万が一あなたやあなたの子どもまたは家族が死ぬか障碍が残ることになるかもしれないけれども、)予防接種を受けるべきだ」と説得するのは正しいのだろうか? ましてや「あなたが予防接種を受けずに罹患して誰かに感染させてしまったら、その先には弱い人たちの死があるのだ、それでもいいのか」とか「予防接種で死ぬ確率は交通事故や航空事故で死ぬ確率より低い。車や飛行機には乗るのにどうして予防接種を受けないのか」と詰め寄るのは本当に正しいのか?
車や飛行機には保険があり、万が一の際には補償されるし、ほとんどの人たちはそれを知ってもいる。苦労の多少はあれ、司法判断の道もある。しかし、医療関連の事件についてはどうだろう。
例えば。
「予防接種は、あなたやあなたの子ども、家族が病気に罹るのを防いだり症状が重くならないようにする効果があります。また、病気や障害のために予防接種を受けられない人たちがいて、感染すると死亡率が高いことが多いのですが、その人たちに感染を広げない効果もあります。つまり、あなたが予防接種を受けることで、全体的に見た場合の死亡率を減らすことができます。その反面、予防接種を受けて死亡する確率はこれこれなので、万が一の場合にはあなたが(またはあなたの子どもあるいは家族が)死亡することがあります。また、場合によっては障碍が残るリスクも多少ならずあります。しかし、万が一の場合には救済制度があり、これこれの補償がされますし、私も医師として責任を持ってケアをするつもりです。個人的な意義からも社会的な意義からも私は予防接種を受けるべきだと思いますが、あなたはどうしますか?」というようなことを、各医師が自信を持って提示する(必要であれば書面でもって)ことができるように、体制を整えるのが理想だと思うのだが。医師が真摯ならば必ず(すべて、とはやはり言えないかもしれないけれど、それでも)伝わっていくものがあるのだ。それを実現するための手だては信頼の醸成だし、信頼し、されるためには正しい知識と的確な解説と対話しかないんじゃないだろうか。「どうせ言ってもわからない」「本当のことを言ったら逆効果になる」「言っても誤解されるだけ」と発信者が思っている限り、先には何もない。そしてそれは受け取る側にも言えることだ。
それから、ド素人が少し検索しただけで「予防接種健康被害救済制度」とか「健康被害救済制度」とかたくさん出てきていろいろあるようだが、どれが最新で現在どれが有効なのかよくわからない。こうした情報の整理も必要じゃないの?>厚労省 時間をかけて少しずつ理解しようとは思うが、ちゃんとしたポータルがあれば迷わなくて済む。もちろん、できる限りバイアスがかからないよう、両論併記の上での解説を望みたい。

暮らしそのもの『国の基本』全103条 <第40条> 規定ない被害者の権利

何人も、抑留または拘禁された後、無罪の裁判を受けたときは、法律の定めるところにより、国にその補償を求めることができる。

(前略)
容疑者、被告人の権利を手厚く保護している三一条からこの条文までについては、大きく改正しようという声はほとんどない。
その代わりに注目されているのは、犯罪被害者の権利だ。
憲法では、犯罪被害者の権利についての条項は全くない。最近の事件などでは、被害者やその家族のプライバシーがあらわにされ、救済されることもなく、不幸に追い打ちをかけられている例がよくみられる。
このため、改憲の際には、被害者の権利も盛り込むべきだという意見が、与野党問わず多い。
(後略)

容疑者や被告人はまだ無罪なのだから、有罪が確定せずに無罪になったのであれば補償をうけることを担保されるのは当然だ。推定無罪である者が不当な扱いを受けない、ということは大切なことである。戦前にはいろいろな場面で不当に弾圧された事例があった反省がここにあるわけで、この基本は忘れてはいけないと思う。
翻って、被害者の権利は守るべきだ、という点には大いに賛成するわけだが、それを憲法に書かなければならないとしたらそれは少しばかり疑問に思う。人権条項等によってすでに擁護されているのだから、それに沿った法令が整備されるのがスジだと思う。これを憲法に書かなければ守れないとしたら、情けないことなのではないだろうか。憲法の理念にきちんと則り、ちゃんとした法と体制の整備をすれば十分にケアができるだろう。お手本はいくらでもあるように思うのだが。