東南アジア訪問に先立っての天皇会見

両陛下、あす東南アへ 「相互理解を増進」(Sankei Web / 2006年6月7日)

8日に東南アジア訪問へ出発する天皇、皇后両陛下は6日、皇居・宮殿で記者会見された。
陛下は「日本とそれぞれの国との相互理解と友好関係の増進に少しでも資するならば幸いに思います」と抱負を述べられた。
陛下はさらに、東南アジア地域も戦場となった先の大戦で、多くの人が犠牲になったことにふれ、「返す返すも心の痛むこと」としたうえで、「私どもはこの歴史を決して忘れることなく、各国民が協力し合って、争いのない世界を築くために、努力していかなければならない」とされた。
訪問先のタイでは長い間の交流のあるプミポン国王の即位60年記念式典に出席される。陛下は「誠にめでたく、心から祝意をお伝えしたい」と再会を楽しみにされていた。
両陛下は最初にシンガポールをご訪問。マレーシア、タイの順に訪れ、15日に帰国される。
当初、記者会見は2日に行われる予定だったが、皇后さまの体調不良のため延期された。<<


天皇、皇后両陛下ご会見全文】(6−1)(Sankei Web / 2006年6月7日)

質問(1)
今回、タイとマレーシアは15年ぶり、シンガポールはご即位後初めてのご訪問となります。それぞれの国に対する印象や今回のご訪問への抱負をお聞かせください。ご訪問先はいずれも高温な地域ですが、体調管理について両陛下でご相談されていることがあればあわせてお聞かせください。
天皇陛下
このたび、外交関係樹立40周年を迎え、シンガポールを訪問し、また、タイ国王陛下の即位60周年記念式典への参列のために、タイを訪問いたします。両国訪問の間の週末には、マレーシアに過ごし、平成3年(1991年)のマレーシアの訪問の時、訪問を中止したペラ州を訪れることになっています。
シンガポールには皇太子、皇太子妃として、36年前の昭和45年(1970年)に訪問し、大統領ご夫妻にお目にかかり、リー・クアンユー首相とは私どものために開かれた晩餐会で、お話しする機会を得ました。独立後日も浅く、国づくりに努力しているときで、何もないジュロン地区にソテツの木を植えたことが思い起こされます。今はこの地が日本庭園となっており、その木と日本庭園を見ることを楽しみにしています。
この訪問からほぼ10年後、サウジアラビアスリランカを訪問の後、シンガポールに立ち寄りました。今回の訪問はそれから25年ぶりのことになります。その間に、シンガポールは発展し、一人一人の生活は非常に豊かになり、かつて訪れた造船所などに加え、ITやバイオなどの新しい企業も増えていると聞いています。
このたびの訪問で、今日のシンガポールへの理解を深めていきたいと思っております。この訪問が、両国民の間の相互理解と友好関係の増進に少しでも資することになればうれしいことです。
マレーシアにはシンガポールと同じ時に訪問しました。マレーシア国王、王妃両陛下の日本への国賓としてのご訪問に対する答訪のために、昭和天皇の名代として訪問しました。
マレーシアでは、国王は5年の任期で交代することになっており、訪問時にはすでに次の国王に代わっておられましたが、答訪の意味を考え、前国王の出身州・ペルリス州に前国王、王妃をお訪ねしました。その時のペルリス州の皇太子が今の国王で、昨年、国賓として日本へいらっしゃいました。このたびは首都クアラルンプールで、国王、王妃両陛下に再びお目にかかります。
また、平成3年(1991年)にマレーシアを訪問したとき、インドネシアの山林火災で、空港に着陸することができず、訪問を中止した当時の国王の出身州・ペラ州をほとんど当時の日程通りに訪問します。当時の国王はじめペラ州の人々が、私どもの訪問を待っている状況の下で、訪問を中止したことは、常に私の念頭を離れないところでありましたが、今回その訪問を果たし、今は国王の位を退いていらっしゃるアズラン・シャー殿下、妃殿下に再びペラ州でお目にかかれることをうれしく思っています。2度目の訪問で非常に印象に残っていることは、クアラルンプール近郊のゴム林が、アブラヤシ林に変わったことです。
タイには、タイ国王、王妃両陛下の日本への国賓としてのご訪問に対する答訪のために、42年前の昭和39年(1964年)に昭和天皇の名代として、皇太子妃とともに訪問しました。
国王、王妃両陛下からは非常に手厚いおもてなしをいただき、そのさまざまな行事が懐かしく思い起こされます。チェンマイ離宮にも国王、王妃両陛下が飛行機でお連れくださり、両陛下と3晩の思い出深い滞在をしました。その間には、陛下のご運転で山道を走り、途中から徒歩でモン族の部落を訪れたこともありました。
国王、王妃両陛下も私どももみな30代のときのことでした。この訪問のとき、日本にかつて留学した人々から贈られたオスの子象メナムは上野動物園に飼われ、訪れる人々を喜ばせていましたが、惜しくも4年前に亡くなりました。私どもの子供たちも乗せてもらったことがありました。その後も昭和の時代には、外国訪問の途次、タイに立ち寄り、その都度、国王、王妃両陛下をお訪ねしていました。
しかし、ベトナム戦争により、タイ国内も状況が厳しくなり、かつて訪問時に皇太子妃の接伴に当たった王族の一人も、ゲリラのために命を失うということが起こってきました。夕食をいただいているときも緊迫した状況が感じられ、両陛下にはさぞご心痛、ご苦労のこととお察ししていました。国王陛下が外国訪問をおやめになったのも、この時期のことでした。
平成3年(1991年)、即位後最初の外国訪問国として、タイを訪問したとき、タイが平和になったことをつくづく感じました。国王陛下が外国訪問の長い中断後、メコン川にかかった橋を渡って、ラオスをご訪問になったのもこのころだったように記憶しています。
即位以来、さまざまな苦労と努力を重ね、今のタイを築く上に、大きく寄与なさった国王陛下が、このたび即位60年をお迎えになることは、誠にめでたく、心から祝意をお伝えしたいと思います。タイの記念式典に参列する方々には、今までに何度かお会いした方々も多く、再びお会いするのを楽しみにしています。
このたび初めて訪れるのはアユタヤです。アユタヤは歴史的に日本との関係も深く、このたびの訪問で、アユタヤへの理解を深めたいと思っています。
このたびの訪問先は、いずれも高温な地域であり、日程はかなり忙しい日程になっています。皇后も病後のことであり、心配していますが、滞りなくこの訪問を終えることができるよう、健康には十分気を付けて務めていきたいと思っています。



天皇、皇后両陛下ご会見全文】(6−2)(Sankei Web / 2006年6月7日)

皇后さま
振り返りますと、タイを初めて公式に訪問いたしましたのは、昭和39年(1964年)、私が30になったばかりのころでございました。このときの訪問は、その後、27年を経た平成3年(1991年)の公式訪問とともに、私にとり、今も決して忘れることのない大切な思い出になっております。
滞在中には、チュラロンコン、タマサート、カセツァートの3大学を訪問し、また、かつての日本留学生との交流会に臨むなど、若々しいプログラムが組まれていました。国王、王妃両陛下がご同道くださったチェンマイでは、ご一緒に山岳地帯に住むモン族の部落を訪ね、その地方における王室プロジェクトの一端に触れるという、得難い経験もいたしました。
バンコクチェンマイ間の飛行中、国王陛下がそっとお席の陰から愛用のクラリネットを出してみてくださり、私どものお願いを容れ、ベニー・グッドマンの「メモリーズ・オブ・ユー」を吹いてくださったことも懐かしく思いだされます。
この2回の公式訪問の間にも他国訪問の途次、何回かバンコクを経由地として選び、その都度、両陛下とのお交わりを深めて参りました。常に国民の福祉を思われ、さまざまな形で、国と国民を守っていらっしゃるお姿に深い敬愛の気持ちを抱いており、また、礼節を重んじるタイの国民性に対しても、いつも好ましく感じて参りました。
このたびのプミポン国王のご在位60年の祝典には、ご招待を受けた者の一人として、タイの人々とともに心からの奉祝の意を込めて、参列したいと思っております。
今回、シンガポールからタイ国に向かう途中の土曜日をマレーシアで過ごします。先に陛下もお触れになりましたように、15年前の公式訪問のとき、上空の状態が悪く、予定されていたクアラカンサーへの飛行が不可能になりました。やむを得なかったこととは申せ、歓迎を準備してくださっていた地方への日程取り消しは心苦しく、このたび、立ち寄り国としてマレーシアの再訪を許され、そのときの日程をほぼ再現して果たせますことを、うれしく思っております。
昭和45年(1970年)の初めての訪問の折、マレーシア北端のペルリス州でご両親殿下とともに私どもを迎えてくださり、最後に空港で見送ってくださった皇太子殿下が、現在のマレーシア国王でいらっしゃり、このたびはクアラルンプールで私どもを迎えてくださいます。
平成3年の国賓としての訪問も私には忘れがたく、このとき、心を込めてご接遇くださったアズラン・シャー国王陛下ご夫妻と、このたび再びお会いできますことをうれしく思っております。
これまで、マレーシアの各地で出会った人々からは、穏やかで明るく良い印象を受けてきました。このたびのクアラカンサー訪問で、これまでに多くの優れた人材を輩出したマレー・カレッジを訪問するなど、マレーシアの思い出にさらに新しいページを加えられることを楽しみにしております。
平成に入り、2度目の訪問ということで、タイとマレーシアにつき、最初にお答えいたしましたが、今回まず最初に訪問いたしますのはシンガポールであり、この久々の訪問も楽しみに心待ちにしております。
シンガポールを初めて公式に訪問いたしましたのは、マレーシアと同じく昭和45年(1970年)で、シンガポールは独立から4年目を迎えていました。新しい国づくりの熱気にあふれ、非常に若々しい国との印象をとくに強く受けましたのは、建設の始まったばかりのジュロンの工業地帯を訪問し、大勢の港湾労働者のにぎやかな歓迎を受けたときでした。
シンガポールの建国以来、25年にわたり、首相の任を負われ、現在も内閣顧問として国政を見守られるリー・クアンユー元首相とはこのとき初めてお会いしましたが、その後もシンガポールで、また、東京でたびたびにお会いする機会を持ちました。氏は常に世界を視野に置き、その時々の時代を分析しつつ、シンガポールの進む道を真剣に模索されていることに、感銘を覚え、またその都度、世界の諸問題につき、学ぶことが多ございました。
また一方で、私どもが南米の旅で見逃した南十字星をぜひシンガポールで見たいと思っていることを知られると、夜分、宿舎に星の専門家を送ってくださいましたり、また、夫人は先述のジュロンで陛下と私が植樹したソテツの成長した様を写真に撮られ、日本訪問の折に見せてくださいますなど、いつも優しい細やかな心遣いをしてくださいました。
このたびの訪問は、中1日の短い日程ですが、前回の公式訪問から36年を経、さらにたくましく美しく発展したと聞くシンガポールで、旧知の方々をはじめ現在の指導者や市民の人々とも交流を持つことを楽しみにしております。
ナザン大統領閣下とは、このたび初めてお会いいたしますが、常々シンガポールに生活する日本人の社会を温かく見守っていてくださるとうかがっており、そのことへの感謝をお伝えするとともに、このたびのご招待に対し、心からのお礼を申し上げたいと思います。
体調管理については、今も陛下が月々に治療を受けておいでですので、やはりそのことは常に心のどこかに掛かっています。私にできることは毎朝の散策をご一緒することぐらいですが、旅行中はできるだけ陛下と行動をともにし、陛下のお疲れの度合いを推し量れるようでありたいと思っております。



天皇、皇后両陛下ご会見全文】(6−3)(Sankei Web / 2006年6月7日)

質問(2)
両陛下は、即位されてから初めての外国訪問でタイなどの東南アジア諸国を訪問されました。東南アジア諸国は、日本と貿易・投資などを中心に密接な関係がありますが、先の大戦によって、日本に対する複雑な思いも残る地でもあります。戦後60年を経て再び訪問されることに、どんな思いがおありでしょうか。
天皇陛下
戦後、日本は東南アジア諸国との友好関係を大切に育んできました。かつては経済協力が中心でしたが、近年では交流の分野が広がってきていることは、非常にうれしいことです。このたび訪れるシンガポール、マレーシア、タイには大勢の在留邦人がおり、それぞれの国との協力関係の増進に努めているということは、心強いことです。このたびの訪問が、日本とそれぞれの国との相互理解と友好関係の増進に少しでも資するならば幸いに思います。
先の大戦では日本人を含め、多くの人々の命が失われました。そのことは返す返すも心の痛むことであります。私どもはこの歴史を決して忘れることなく、各国民が協力し合って、争いのない世界を築くために、努力していかなければならないと思います。戦後60年を経、先の大戦を経験しない人々が多くなっている今日、このことが深く心に掛かっています。



天皇、皇后両陛下ご会見全文】(6−4)(Sankei Web / 2006年6月7日)

質問(3)
両陛下は、昭和天皇の名代としてのご訪問も含め、長年にわたり、各国の王室や人々と交流を重ねられ、培われた友情の大切さについて去年の会見でも触れられました。これまでにはぐくまれた友情や交流の積み重ねを、皇太子ご夫妻をはじめとする次代の皇族方にどのように引き継いでいきたいとお考えでしょうか。
天皇陛下
私どもが皇太子、皇太子妃のころは、日本にいらっしゃった王族方をよく東宮御所にお招きし、子供たちも小さいときから、ごあいさつに出るように努めてきました。
ベルギーのボードワン国王、王妃両陛下が外国訪問の帰途、一日を東宮御所で過ごしたいといって、いらっしゃったときには、子供たちが植えた畑のイモ掘りをして両陛下にお見せしたり、国王陛下が小さい秋篠宮のピンポンの相手をしてくださったりして、子供たちとも遊んでくださいました。
また、皇太子の高校時代、清子の大学時代には、スペインのご別邸に招いてくださいました。清子はまた、ボードワン国王崩御後間もないときに、ファビオラ王妃陛下にお招かれし、崩御になったそのスペインのご別邸で、王妃陛下とボードワン国王をおしのびしつつ、心に残るときを過ごしています。
翌年、清子はタイを旅行し、国王、王妃両陛下にお目にかかっていますが、ちょうどその同じころに両陛下の王女、シリントーン王女殿下が日本を訪ねておられ、私どもと夕食をともにしていたという、楽しい偶然もありました。
皇太子も秋篠宮もオックスフォード大学留学中には、各国の王室をお訪ねしています。ちょうど皇太子が留学中に、私どもがノルウェー昭和天皇の名代として訪問することになったときには、公式日程の始まる前の週末を、当時ノルウェーの皇太子、皇太子妃であった現在の国王、王妃両陛下のおもてなしで、留学中の皇太子も一緒にベルゲン付近を船で巡り、楽しいひとときを過ごしました。
また、私どもがベルギーに立ち寄ったときには、国王、王妃両陛下はオランダのベアトリクス女王陛下とクラウス王配殿下をお住まいのラーケン宮に招いてくださり、そこに留学中の皇太子も加えて、楽しい一夜を過ごしました。
秋篠宮は留学中、研究の関係で何度かオランダに行っていますが、その都度、女王陛下はじめ王室の方々から、温かいおもてなしを受けました。王子方がライデン大学の学生街のお住まいに、秋篠宮を招いてくださったこともありました。秋篠宮がオランダを離れた直後に、今、出発したところだと、その滞在がとても良かったことを意味するお手紙を、女王陛下からいただいたことなど、今でも懐かしく思い起こされます。
このようにして、私どもと交流のあった王室とは、皇太子も秋篠宮もそれぞれが家庭を持った今日も、交流が続いています。3年前には、小学生であった秋篠宮家の子供たちが秋篠宮同妃とともにタイ国を旅行し、国王、王妃両陛下にお目にかかっています。
交流は、次の世代にも続いていくのではないかと思います。
皇后さま
住む国も違い、その国々もほとんどが距離を遠く隔て、お互いが出会う機会は決して多くはないのですが、それでも世界のあちこちに自分たちと同じ立場で生きておられる方々の存在を思うことは、心強いことであり、励まされることでもあります。
私自身は20代の半ばに皇室の者となりましたので、昭和天皇をおはじめとし、それまでに皇室の方々がすでにお築きになってこられた外国王室とのご交流にあずかるところが多く、恵まれた形でこの世界に加えていただきました。
とりわけ、陛下が19歳の若さで、英国女王陛下の戴冠式にご列席になり、その後の欧米諸国ご訪問も加わって、多くの知己を得ていらしたことは、私が入内後、各国王室の方々と交わっていく上で、大きな助けになっていたと思います。
近年、各国において、私どもの次世代にあたる若い王族の方々が次々と成人され、また、ご結婚になり、そうした方々を御所にお迎えする機会が急速に増えて参りました。このようなとき、かつて私どもの子供たちがお訪ねした国々で、王室の方々に優しく遇していただいていたことが改めて思いだされ、そのご親切をお返しする気持ちでお迎えしております。
子供たちに関するいくつかの事例は、陛下がお話くださいましたので、私は重複を避けますが、親同士の親しい交わりが、このようにごく自然に次世代に受け継がれていく中、これからは子供同士の交わりが一層深まっていくことを楽しみにしております。
陛下の世代は国や年齢で多少の差こそあれ、誰もが戦時および戦後の社会変動を経験し、戦後の民主化の進む社会において、王室や皇室がどのような役割を果たしていけるかという、共通の課題を持った世代であったと思います。同時に、国家間の平和を不可欠なものと思い、二度と他国と戦を交えたくないという悲願もあり、こうした皆の間の共通の意識がお互いを引き寄せ、友情を深める基盤になっていたように思います。
時代は移り、王室や皇室の姿も少しずつ変化も見せるかもしれませんが、そこに生きる人々が心を合わせて世界の平和を願い、また、それぞれの国において、自分たちのあり方を常に模索しつつ、国や国民に奉仕しようと努力している限り、お互いが出会う機会は少なくとも、王族、皇族同士は同じ立場を生きるものとして、これからも友情を分かち合っていくことができるのではないか、私どもの次の世代の人々も、きっとそうしてきずなを深め合っていくのではないかと、考えています。



天皇、皇后両陛下ご会見全文】(6−5)(Sankei Web / 2006年6月7日)

質問(4)
愛国心を促す方向で日本の教育基本法の改正が進められています。しかし、陛下がこのたび訪問されます国も含めまして近隣諸国では、そういった動きが戦前の国家主義的な教育への転換になるのではと恐れられています。陛下もそうした見解に共鳴されますか。
天皇陛下
教育基本法の改正は現在、国会で論議されている問題ですので、憲法上の私の立場からはその内容について述べることは控えたいと思います。
教育は国の発展や社会の安定にとって極めて重要であり、日本の発展も、人々が教育に非常な努力を払ってきたことに負うところが大きかったと思います。これからの日本の教育のあり方についても、関係者が十分に議論を尽くして、日本の人々が自分の国と自分の国の人々を大切にしながら、世界の国の人々の幸せについても心を寄せていくように、育っていくことを願っています。
なお、戦前のような状況になるのではないかということですが、戦前と今日の状況では大きく異なっている面があります。その原因については歴史家に委ねられるべきことで、私が言うことは控えますが、事実としては昭和5年から11年(1930年から36年)の6年間に、要人に対する襲撃が相次ぎ、そのために内閣総理大臣あるいはその経験者4人が亡くなり、さらに内閣総理大臣1人がかろうじて襲撃から助かるという異常な事態が起こりました。
帝国議会はその後も続きましたが、政党内閣はこの時期に終わりを告げました。そのような状況下では、議員や国民が自由に発言することは非常に難しかったと思います。先の大戦に先立ち、このような時代があったことを多くの日本人が心にとどめ、そのようなことが二度と起こらないよう、日本の今後の道を進めていくことを信じています。
質問(5)
昨年、皇室典範に関する政府の有識者会議では、以下のような発言がありました。伝統は変動しないものではありません。その時代で創意工夫しながら、大事な本質を維持しようとして格闘してきた結果が伝統なのではないかと考えられます。今度訪問されますタイ王朝も長い伝統と歴史があります。日本の皇室の後継者について世間が語る中で、伝統の維持と時代の変化に伴う工夫につきまして、お考えをお聞かせいただけますか。
天皇陛下
天皇の歴史は長く、それぞれの時代の天皇のあり方もさまざまです。しかし、他の国の同じような立場にある人と比べると、政治へのかかわりは少なかったと思います。天皇はそれぞれの時代の政治や社会の状況を受け入れながら、その状況の中で、国や人々のために務めを果たすよう、努力してきたと思います。
また、文化を大切にしてきました。このような姿が天皇の伝統的あり方と考えられます。明治22年(1889年)に発布された大日本帝国憲法は、当時の欧州の憲法を研究した上で、審議を重ね、制定されたものですが、運用面ではこの天皇の伝統的あり方は生かされていたと考えられます。
大日本帝国憲法に代わって、戦後に公布された日本国憲法では、天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であるということ、また、国政に関する権能を有しないということが規定されていますが、この規定も天皇の伝統的なあり方に基づいたものと考えます。
憲法に定められた国事行為のほかに、天皇の伝統的あり方にふさわしい公務を私は務めていますが、これらの公務は戦後に始められたものが多く、平成になってから始められたものも少なくありません。社会が変化している今日、新たな社会の要請に応えていくことは大切なことと考えています。



天皇、皇后両陛下ご会見全文】(6−6)(Sankei Web / 2006年6月7日)

関連質問(1)
東南アジアの指導者の人たちが日本と東アジアの関係を懸念される中、両陛下が平和をアピールするご訪問と期待しているのですが、ご訪問の意義についてもし付け加えることがあればお聞かせ願えればと思います
天皇陛下
今日お話ししたことで大体、平和を願う気持ちとか、大体尽くしていると私は考えます。やはり、これまでの歴史というものを十分に理解し、その上に立って、友好関係が築かれていくということが大切なことではないかと思っています。
関連質問(2)
公務の軽減について、また、皇族方への公務の分担について、どうお考えですか。
天皇陛下
やはりさっきもお話ししましたように、天皇のあり方というものに伴う公務というものを考えていきますと、やはりそれを今、軽減するということはとくに考えていません。ただ、心配してくれている人もいますから、十分に健康には気を付けていきたいと思っています。