訃報

訃報:青島幸男さん 74歳 死去=放送作家、タレント、前都知事(MSN-Mainichi INTERACTIVE 2006年12月20日(月))

放送作家、タレントとして高度成長期のお茶の間の人気を集める一方、95年の東京都知事選で無党派旋風を巻き起こすなど政治家としても活躍した前同知事、青島幸男(あおしま・ゆきお)さんが20日午前9時半、骨髄異形成症候群のため東京都内の病院で亡くなった。74歳だった。葬儀は未定。自宅は非公表。喪主は長男利幸(としゆき)さん。
1932年、東京・日本橋の仕出し弁当店の二男として生まれた。早稲田大学卒業後、テレビのコント番組「おとなの漫画」で放送作家としてデビュー。歌謡バラエティーシャボン玉ホリデー」で売れっ子に。「スーダラ節」の作詞などを手がける一方、67年には、テレビドラマ「意地悪ばあさん」に主演し、タレントとしても一世を風靡(ふうび)した。81年に母親をモデルにした「人間万事塞翁が丙午」で直木賞を受賞した。
芸能・文化面での活躍の一方、庶民の目線による政治の実現を標ぼう。68年の参院選全国区で2位当選(以後5回当選)し、政界入り。この時のトップ当選は現都知事石原慎太郎氏だった。
71年の参院予算委員会で、当時の佐藤栄作首相を「財界の男めかけ」と呼んで批判し、92年には、5億円献金受領問題で金丸信自民党副総裁(当時)の議員辞職を求めてハンストをするなど、権力への対決姿勢を貫いた。
95年の都知事選では「反既成政党」を掲げ、石原信雄・元官房副長官らを破って初当選。知事就任後は、開催が決まっていた世界都市博覧会の中止を実現させたものの、東京協和・安全の旧2信組の破たん処理への対応や自衛隊違憲発言、都の食糧費公開への消極的な態度などで批判を受けた。1期限りで知事を引退。04年の参院選に出馬したが、復帰はならなかった。【清水忠彦】



訃報:岸田今日子さん 76歳 死去=女優(MSN-Mainichi INTERACTIVE 2006年12月21日(火))

演劇集団円ムーミンの声
演劇集団円の創立メンバーで「サロメ」や別役実作品などの舞台、「砂の女」などの映画、テレビで人気を博し、童話、エッセーなど幅広く活躍していた女優の岸田今日子(きしだ・きょうこ)さんが17日、脳腫瘍(しゅよう)による呼吸不全のため東京都内の病院で亡くなったことが20日分かった。76歳。葬儀は近親者で済ませた。お別れの会を後日開く予定。自宅は非公表。喪主は長女西條(さいじょう)まゆさん。
東京都生まれ。今も戯曲賞に名を残し、文学座創立者の劇作家・小説家、岸田国士の二女。姉は詩人の岸田衿子さん。自由学園高を卒業後、舞台美術を志して文学座付属演劇研究所に入所、「キティ颱風(たいふう)」で初舞台。
「一人前の社会人になってから俳優になれ」という父の教えに従って同研究所を離れ、3年間の社会人生活を経て1952年に文学座に入り、「狐憑(こひょう)」で正式に女優デビューした。54年、「どん底」の舞台けいこ中に、演出を担当していた父国士が死去。60年に作家、三島由紀夫の演出で文学座サロメ」に主演し話題を呼んだ。
63年に文学座を脱退、現代演劇協会「雲」の結成に参加。75年には芥川比呂志らと演劇集団円を創立した。「聖女ジャンヌ・ダーク」「欲望という名の電車」など翻訳劇に主演する一方、清水邦夫別役実各氏ら日本を代表する劇作家の創作劇に積極的に挑んだ。99年、別役作「猫町」と平田オリザ作「遠い日々の人」の演技で紀伊国屋演劇賞読売演劇大賞優秀女優賞を受賞。子供も楽しめる舞台を目指して、「円・こどもステージ」を81年から企画し、今年で25回目になる。
映画でも存在感ある演技で定評があり、62年「破戒」「秋刀魚の味」などの映画で第17回毎日映画コンクール女優助演賞を受賞した他、64年に主演した「砂の女」(勅使河原宏監督)はカンヌ映画祭審査員特別賞を獲得した。97年「八つ墓村」(市川崑監督)などでブルーリボン助演女優賞。テレビでも「男嫌い」「傷だらけの天使」「徳川慶喜」などに出演、ムーミン役の声優として参加したアニメーションの「ムーミン」シリーズは、温かく包み込む声で茶の間に親しまれた。【高橋豊】


◇抽象的な存在感−−劇作家、別役実さんの話
日本人離れしたいい意味での抽象的存在感があり、日本的な風景に根ざさない僕の芝居とはよく合い、的確に表現して下さいました。お若かったのに残念です。



お笑い、カンニングの中島さん白血病死(日刊スポーツ 2006年12月21日(火))

お笑いコンビ、カンニング中島忠幸(なかしま・ただゆき)さんが20日午前11時46分、白血病ウイルス性肺炎のため都内の病院で死去した。35歳。中島さんは04年12月に急性リンパ球性白血病で入院。今年8月に退院し、一時快方に向かっていたが、11月末に再入院した。19日に容体が急変し、帰らぬ人となった。21日、相方の竹山隆範(35)が会見する。
怒鳴り漫才の掛け合いで、マジギレの竹山をなだめて突っ込むキャラで人気の中島さんが力尽きた。白血病と分かった04年12月から1年での復帰を目指し治療に専念。今年8月末には、化学療法で寛解(かんかい=白血病細胞を消滅させること)し退院していた。
先月末に体調不良で再入院したが、相方の竹山は今月5日のイベントの会見で「入院したり退院したりですが、徐々に快方に向かっていまして。来年春にまた一緒にやる計画があります。入退院を繰り返していますが、生きていることは確かです!」と、相方の復帰を心待ちにしていた。
しかし19日、中島さんは肺炎を併発し容体が急変。そのまま帰らぬ人となった。竹山は中島さんの容体を気にしながらバラエティー番組の収録に参加。最期をみとることができなかったが、スタッフを通じて悲報を知り大きなショックを受け、この日深夜のラジオのレギュラー番組も「心の整理が付かない」と出演を取りやめた。
中島さんは92年に小学校の同級生の竹山とカンニングを結成。日本テレビエンタの神様」で03年から人気が出始めた。私生活でも、04年に3年間交際した夫人(35)と結婚した。同年9月に長男が誕生し、公私ともに順調だった。だが、長男誕生直後の12月、体調不良を訴え検査入院。その結果、白血病と分かり、長男と初めて過ごすはずだった正月は、病院のベッドで迎えていた。
カンニングは現在のお笑いブームに火を付ける人気コンビで、将来が有望視されていた。しかし、最も注目を浴びたはずの時期に中島さんは闘病生活を送った。病床から竹山にメールでアドバイスやダメ出ししながら、相方の隣に立つ日を待望していた。


中島忠幸(なかしま・ただゆき)1971年(昭和46年)6月14日、福岡県生まれ。92年、吉本総合芸能学院(NSC)で小学校からの同級生、竹山隆範と漫才「カンニング」を結成。東京・中野の総菜店の副店長をしながらの下積みが続いたが、03年ごろに貧乏をネタにした自虐漫才でブレーク。怒鳴る竹山に、戸惑う中島さんというスタイルを築き、売れっ子に。04年12月から、急性リンパ球性白血病で休養していた。趣味は魚釣り、特技は料理。168センチ、血液型O。



カンニング中島忠幸さん力尽く(スポニチ・アネックス 2006年12月21日(火))

急性リンパ球性白血病のため04年12月から休業、入退院を繰り返していたお笑いコンビ「カンニング」の中島忠幸(なかしま・ただゆき)さんが20日午前11時46分、肺炎のため都内の病院で死去した。35歳。福岡県出身。葬儀・告別式の日取り、喪主などは未定。1週間ほど前に容体が悪化し、再入院。妻真奈美さん(35)ら親族にみとられて旅立った。中島さんの復帰を待ち続けていた相方の竹山隆範(35)は21日に会見する。
カンニング」が所属するサンミュージックの相澤正久社長は20日夜、スポニチの取材に「肺炎をこじらせた後は人工呼吸器を付けたままだった」と説明。2日前に急変し、最期は真奈美夫人らに見守られて息を引き取った。相澤社長は「過酷な闘病でしたが、亡くなった後は安らかな顔をしていました」と話した。関係者によると、竹山は20日夜のラジオの生放送をキャンセル。中島さんの遺体のもとに駆け付けた。
中島さんは04年12月に体調不良を訴え、白血病と判明。入退院を繰り返し、抗がん剤などによる治療を続けていた。05年5月に竹山に託した経過報告の手紙には「暇な毎日を送っております。年内の復帰を目指して頑張ります」と記していたが、竹山と再び舞台に立つことはかなわなかった。
93年にコンビを結成。2人は小学校からの同級生で、長い下積み期間を経てキレる竹山を中島さんがなだめる芸風でブレーク。しかし、直後に中島さんが病に倒れた。中島さんは04年4月に結婚したばかりの真奈美夫人、同9月に誕生した長男の翔太君(2)とともに闘病生活を送っていた。体調がいい時期には首都圏の自宅で過ごしていた。
この間、竹山は1人で活動。「中島が帰ってくるまではネタは封印する」として漫才のネタはやらず、仕事では必ず「カンニングの竹山」を名乗っていた。ギャラも中島さんと折半し続けていたという。今月5日に出席したイベントでは「(中島は)来年春の復帰を目指している」と説明。「この休養で素人に戻っている」と明るく語っていた。