人死にが出ても「自己責任」

慎太郎キレた…三宅島レース批判に「コース見てこい」(ZAKZAK 2007年2月26日(月))

東京都の石原慎太郎知事(74)が三宅島の復興策として進めている一般道路(公道)でのオートバイレースに、専門家から「殺人レースだ。絶対にやめるべき」と批判が噴出している問題で、石原氏は23日、「レースは危険があるからエキサイトする。ある程度ライダーの自己責任もある」と語った。
この問題は同日の東京都議会の予算特別委員会でも取り上げられたが、途中、石原氏が「見てこい、おまえも。反対ばっかしないで」とヤジをとばす場面も。議会後には報道陣に「(マン島レースに比べたら三宅島の道は)余裕がある。一度やってみないと分からない」と述べ、三宅島レースを開催する方針を明言した。



前田淳の夢 - 11月開催が発表された三宅島公道レースの経緯(Riding Sport 4月号 P50-51)

昨年12月、三宅島公道レースの実行委員会が発足した。11月に30km周遊路でバイクのレースが開催されるのだ。現状ではどんなイベントになるのか明らかではない。昨年、前田淳と訪れた三宅島取材を振り返りながら三宅島公道レースについての現状をまとめてみた。
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昨年5月、マン島へ旅立つ直前の前田淳と二人で、三宅島へ取材に行った。
その2カ月前、前田から三宅島公道レースの話を聞いた。東京都広報に公式発表があったことを、前田は見逃さなかった。噴火で大きな被害を受けた三宅島の復興のために、三宅島の周遊路を使ったバイクのレースをするという案が載っていたのだ。前田の強い要望もあり、三宅島へ行き、村長のインタビューをし、さらに島を見て回ろうということになった。ほとんどすべての環境が、行政からは冷遇されているバイクにとって、これはいったいどういうことだろうと、疑問に感じていたのもまた事実だ。
前年の05年、マン島のセニアTTと600クラスで前田は6位に入り、次は表彰台を目指していた。そして、マン島100周年の今年、日本人で初めてマン島で優勝することを目標としていた。97年から参戦を開始し、資金難で参戦を取り止めたりしながらも、前田は参戦を続けた。6位に入った年の暮れ、編集部を訪れた前田が、来年は表彰台に上がれそうだと語っていた。その理由は簡単、自分が速くなっていること、そして自分より一つ前の選手が別な公道レースで亡くなったこと。「7位の選手も死んでしまいましたけどね」とさらっと言い、生き残ることが一番大切だと付け加えた。
そして半年後、羽田空港で京都から来る前田と待ち合わせし、二人で大島へ、そこからヘリコプターで三宅島へ飛んだ。島に着き、町の食料品店でレンタカーを借りた。1周目は1時間以上かけて、観光も兼ねてゆっくり見て回った。写真も撮り、ここは危ないとか、最高速は何キロ出るとか、実際にスーパーバイクで走ることを想定して周遊路を回った。2周目は、集落のないところはかなりのペースで走り、ライトバンでは少し怖いくらいのペースで走った。30分を切るくらいのタイムだった。前田は1周のタイムを8分台と想定した。計算すると、マン島の平均速度より速くなる。長いストレートがある。恐らく1km以上の直線だ。また、数百メートルの直線が何本もあり、平均速度は上がりそうだ。三七山という、右左を3回繰り返すと頂上に着いてしまう小さな峠がある。海岸沿いに曲がりくねっているところもあり、また、少し大きな集落が2カ所ある。前田は真剣にコースを覚えていた。下見の走行だった。
「ここでレースが開かれたら、地元ですからね、絶対勝ちますよ。今からコースを覚えれば、ヨーロッパから来るライダーには負けませんよ。公道レースは、どれだけコースを覚えられるかにかかっていますから。
前田は三宅島で開催されるかもしれない公道レースを、マン島やダンドロッド、ノースウエスト、マカオと同列に並べていた。つまり、マン島のユニオンに登録する公道ライダーが三宅島に集結し、ミニマン島レースをここで展開するというものだ。公道スペシャリストたちにとっては、どこのコースであっても、レースが開催されれば走るのだ。日本人で唯一、前田だけがそのメンバーにいるということだ。
昨年5月末、石原都知事三宅村の平野村長、さらに八丈町長が伴ってマン島TTレースの視察に行き、そして前田が死んだ。半年後、『第1回三宅島オートバイレース大会(仮称)の開催について』というリリースが編集部に届いた。三宅島に実行委員会を置き、東京都の全面支援とMFJの協力、そして三宅村と共に開催するという。4月にNPO法人を設立し、11月開催という流れだ。MFJからはまだ正式なリリースはないが、これまで開催へ向けて東京都と共に動いていたことがうかがえる。
さて、元ヤマハ契約ライダーの難波恭司さんと、元HRCライダーの宮城光さんから、三宅島公道レースについての意見書をもらった。全文の紹介はできないが、二人もと実際に三宅島の視察で、バイクに乗って走行をしている。二人の意見書は共に『三宅島の復興にバイクが役に立つのであれば、全面的に協力したいが、公道を使ったレースは現実的に不可能で、それが島の復興につながるとは思えない』という主旨だった。そして2月上旬、ホンダが開いたバイク専門誌との新春懇親会で、本田技研の取締役であり広報部長である大島裕志氏は「三宅島公道レースについてホンダは、少しでも競技性のあるイベントであれば、一切の協賛も協力もしません」と述べ、はっきりと反対姿勢を明らかにした。
前田とは20年来の知り合いで、直前まで電話やメールのやり取りをしていた。三宅島取材の日は民宿の部屋で、20年来なかったほどに遅くまで語り合った。10年間マン島を走った前田が、公道レースの特殊性について、日本で一番理解していた。その前田がいない今、何も分からない僕らが見よう見まねで公道レースをやってしまうのは間違いだ。三宅島を日本一のバイクアイランドにすることこそ、災害復興になるはずだし、それが前田の夢だったと思いたい。(本誌:青木)