第16戦 オーストラリアGP/フィリップ・アイランドサーキット レース前に…

故ノリックに捧げる1分間の黙祷(motogp.com 2007年10月16日(火))

ノリックこと阿部典史の死去を偲び、第16戦オーストラリアGPのウォームアップ走行後、MotoGPの全関係者は、スターティンググリッドに集結、1分間の黙祷を行った。
12日にお通夜、13日に告別式が東京・青山斎場で行われれば、14日には日本から遠く離れた南半球のオーストラリアで黙祷が行われた。ヤマハ関係者は、腕に喪章を巻き、ノリックが現役時代に所属したダンティーン・チームと良好な関係にあったチームKRは、それぞれのマシンにメモリアルステッカーを貼って、決勝レースに臨んだ。
motogp.comには、世界中からノリックを偲ぶメッセージが約400通届けられた。



中野&玉田も突然の訃報にショック(motogp.com 2007年10月16日(火))

フル参戦中の日本人ライダーたちは、ノリックの突然の訃報にショックを覚え、現実を受入れるのが困難だったが、ノリックの分まで頑張ろうと気持ちを切り替え、残り3戦目に臨んだ。
2001年に500ccクラスにステップしてから、1人のライバルとして戦った経験がある中野真矢は、「成田空港に出発する直前に聞き、すごくビックリし、信じられませんでした。グランプリに一緒に走った先輩であり、ライバルであり、今回のことを受入れるのは難しいです」と心境を語った。
鈴鹿で活躍したのを見て、本当に僕らの目標となる存在でした。一緒に500ccクラスに走れるようになってからは、本当にいいライバルになり、その意味でも、日本のレース界にとって非常に残念です」
両親、友人・加藤大治郎と次々に身近な大切な人を失ってしまった玉田誠は、「本当に大事な人たちがみんな亡くなってしまいました。もう味わいたくないです。気をつけようもないですが、このようなことがもうないように願うだけです」と悲しみに耐えながら話した。
「正直、まだ実感がないです。GPを周っていると、お葬式にも行けないのが辛いです。GPに来てから、よく話すようになり、いろいろなことを教えてくれ、走り方も教えてくれました。ライバルであり、いい関係がありました」



V.ロッシ:「ノリックは僕のアイドルだった」(motogp.com 2007年10月16日(火))

バレンティーノ・ロッシは、ノリックの突然の事故死を悲しみ、左腕に喪章をつけて、第16戦オーストラリアGPの決勝レースに臨んだ。
「彼は僕のアイドルだった」と悲しい気持ちを語り始めたロッシ。「すごく悲しい。ノリックワイルドカードで登場した鈴鹿で、ドゥーハン、シュワンツとバトルして、最後は転んでしまったけど、ファンタスティックなレースをした。僕はいつも学校に行く前に、そのビデオを繰り返すように観ていた」
「僕は彼のファン。だから、(『ろっしふみ』と)僕の名前を変えてみた。ノリックと個人的に知り合うことができ、もてぎに来てくれた時には、いつも挨拶してくれた」
「1994年のレースを忘れることができない。1996年に鈴鹿で優勝したレースも。そして、2001年にヘレスで彼と優勝バトルしたレースは、スペシャルだ」