「表現の自由」危機

社説:「靖国」中止 断じて看過してはならない(毎日新聞 2008年4月2日(水))

中国人監督によるドキュメンタリー映画靖国 YASUKUNI」の上映が全面的に中止になった。予定していた計5館が嫌がらせや妨害が起きることを懸念し、取りやめたためだ。
黙過できない。言論、表現の自由が揺らぐ。そういう事態と受け止めなければならない。
今年初め、日本教職員組合の教研集会の全体会場、宿所だった東京のグランドプリンスホテル新高輪が、一転して使用を断った。右翼の街宣や威圧行動で顧客や周辺の住民、受験生らに迷惑がかかるというのが理由だった。裁判所は使用をさせるよう命じたが、ホテル側はこの司法決定にも従わないという空前の異常事態になった。
私たちはこれについて「今後前例として重くのしかかるおそれがある」と指摘した。「靖国」中止で「おそれ」は現実になったといわざるをえない。
作品は、10年間にわたり終戦記念日靖国神社の光景などを記録したもので、一部のメディアなどが「反日的だ」とし、文化庁所管である芸術文化振興の助成金を受けていることを批判した。自民党の国会議員からも助成を疑問視する声が上がり、3月には全国会議員を対象にした試写会が開かれた経緯がある。
萎縮(いしゅく)の連鎖を断ち切るには、再度上映を決めるか、別会場ででも公開の場を確保する必要がある。安全を名目にした「回避」は日教組を拒絶したホテルの場合と同様に、わが意に沿わぬ言論や表現を封殺しようとしている勢力、団体をつけ上がらせるだけであり、各地にドミノ式に同じ事例が続発することになろう。
一方、警察当局にも言いたい。会場側が不安を抱く背景に、こうした問題で果たして警察が守りきってくれるのかという不信感があるのも事実だ。発表や集会を威圧と嫌がらせで妨害しようとする者たちに対して、きちんとした取り締まりをしてきたか。その疑念をぬぐうことも不可欠だ。
また、全国会議員が対象という異例な試写会は、どういう思慮で行われたのだろう。映画の内容をどう評価し、どう批判するのも自由だ。しかし、国会議員が公にそろって見るなど、それ自体が無形の圧力になることは容易に想像がつくはずだ。それが狙いだったのかと勘繰りたくもなるが、権力を持つ公的機関の人々はその言動が、意図するとしないとにかかわらず、圧力となることを肝に銘じ、慎重さを忘れてはならない。
逆に、今回のように「後難」を恐れて発表の場を封じてしまうような場合、言論の府の議員たちこそが信条や立場を超えて横やりを排撃し、むしろ上映促進を図って当然ではないか。
事態を放置し、沈黙したまま過ごしてはならない。将来「あの時以来」と悔悟の言葉で想起される春になってはならない。



社説:「靖国」上映中止―表現の自由が危うい(朝日新聞 2008年4月2日(水))

これは言論や表現の自由にとって極めて深刻な事態である。
中国人監督によるドキュメンタリー映画靖国 YASUKUNI」の今月公開を予定していた東京と大阪の五つの映画館が、すべて上映中止を決めた。来月以降の上映を準備しているところも数カ所あるが、今回の動きが足を引っ張ることにもなりかねない。
右翼団体街宣車による抗議や嫌がらせの電話など具体的な圧力を受けたことを明らかにしている映画館は一つしかない。残りは「お客様に万が一のことがあってはいけない」などというのが上映をやめた理由だ。
トラブルに巻き込まれたくないという気持ちはわからないわけではない。しかし、様々な意見がある映画だからこそ、上映してもらいたかった。
すぐに思い起こすのは、右翼団体からの妨害を恐れて、日教組の集会への会場貸し出しをキャンセルしたプリンスホテルである。
客や周辺への迷惑を理由に、映画の上映や集会の開催を断るようになれば、言論や表現の自由は狭まり、縮む。結果として、理不尽な妨害や嫌がらせに屈してしまうことになる。
自由にものが言えない。自由な表現活動ができない。それがどれほど息苦しく不健全な社会かは、ほんの60年余り前まで嫌と言うほど経験している。
言論や表現の自由は、民主主義社会を支える基盤である。国民だれもが多様な意見や主張を自由に知ることができ、議論できることで、よりよい社会にするための力が生まれる。
しかし、そうした自由は黙っていても手にできるほど甘くはない。いつの時代にも暴力で自由を侵そうとする勢力がいる。そんな圧迫は一つ一つはねのけていかなければならない。
言論や表現の自由を守るうえで、警察の役割も大きい。嫌がらせなどは厳しく取り締まるべきだ。
五つの映画館が上映中止に追い込まれた背景には、国会議員らの動きがある。自民党稲田朋美衆院議員らが公的な助成金が出ていることに疑問を呈したのをきっかけに、国会議員向けの異例の試写会が開かれた。
稲田氏は「私たちの行動が表現の自由に対する制限でないことを明らかにするためにも、上映を中止していただきたくない」との談話を出した。それが本気ならば、上映を広く呼びかけて支えるなど具体的な行動を起こしたらどうか。
政府や各政党も国会の議論などを通じて、今回の事態にきちんと向き合ってほしい。私たちの社会の根幹にかかわる問題である。
いま上映を準備している映画館はぜひ踏ん張ってもらいたい。新たに名乗りを上げる映画館にも期待したい。それを社会全体で支えていきたい。



社説:「靖国」上映中止 「表現の自由」を守らねば(読売新聞 2008年4月2日(水))

憲法が保障する「表現の自由」及び「言論の自由」は、民主主義社会の根幹をなすものだ。どのような政治的なメッセージが含まれているにせよ、左右を問わず最大限に尊重されなければならない。
靖国神社をテーマにした日中合作のドキュメンタリー映画靖国 YASUKUNI」が、東京と大阪の五つの映画館で、上映中止となった。
12日から上映を予定していた東京都内のある映画館では、街宣車による抗議行動を受けたり、上映中止を求める電話が相次いだりした。「近隣の劇場や商業施設に迷惑が及ぶ可能性が生じた」ことなどが中止の理由という。
直接抗議を受けたわけではないが、混乱を避けるために中止を決めた映画館もある。
映画「靖国」は、長年日本で生活する中国人の李纓(りいん)監督が、10年間にわたって靖国神社の姿を様々な角度から描いた作品だ。先月の香港国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞するなど海外でも注目を集めている。
軍服姿で参拝する老人や、合祀(ごうし)取り下げを訴える台湾人の遺族、境内で開かれた戦後60周年の記念式典に青年が乱入する場面などが取り上げられている。
靖国神社のご神体が、神剣と神鏡であることから、日本人の心の拠(よ)り所として日本刀にも焦点を当てている。
日本兵が日本刀で中国人を斬首(ざんしゅ)しようとしている写真なども映し出される。日本の研究者が中国側が宣伝用に準備した「ニセ写真」と指摘しているものだ。
その映画に、公的な助成金が出ていることについて、自民党稲田朋美衆院議員ら一部の国会議員が疑問を提示している。
しかし、公的助成が妥当か否かの問題と、映画の上映とは、全く別問題である。
稲田議員も、「私たちの行動が表現の自由に対する制限でないことを明らかにするためにも、上映を中止していただきたくない」としている。
かつて、ジャーナリストの櫻井よしこさんの講演が、「慰安婦」についての発言を問題視する団体の要求で中止になった。
こうした言論や表現の自由への封殺を繰り返してはならない。
来月以降には、北海道から沖縄まで全国13の映画館で、この映画の上映が予定されている。
映画館側は、不測の事態が起きぬように、警察とも緊密に連絡をとって対処してもらいたい。



【主張】「靖国」上映中止 論議あるからこそ見たい(産経新聞 2008年4月2日(水))

靖国神社を題材にした中国人監督のドキュメンタリー映画靖国 YASUKUNI」が東京と大阪の映画館で上映中止になった。抗議電話などがあり、客やテナントに迷惑をかけられないという。残念だ。
この映画は、靖国神社の参拝風景や神社に納める「靖国刀」をつくる刀匠の姿などを記録した作品である。文化庁が750万円の助成金を出していたため、自民党議連「伝統と創造の会」(会長・稲田朋美衆院議員)の要請で試写会が開かれた経緯がある。
そこで、助成に必要な政治的中立性などをめぐって疑問点が指摘され、今月の封切り前から話題を呼んでいた。映画を見て、評価する人もいれば、批判する人もいるだろう。上映中止により、その機会が失われたことになる。
実際に、公的機関などから上映中止の圧力がかかったり、目に見える形での妨害行為があったわけではない。映画館側にも事情があろうが、抗議電話くらいで上映を中止するというのは、あまりにも情けないではないか。
上映中止をめぐり、配給・宣伝協力会社は「日本社会における言論の自由表現の自由への危機を感じる」とのコメントを発表し、映画演劇労働組合連合会も「表現の自由が踏みにじられた」などとする抗議声明を出した。憲法の理念をあえて持ち出すほどの問題だろうか。
映画界には、自民党の議連が試写会を要求したことを問題視する声もある。日本映画監督協会崔洋一理事長)は「(議連の試写会要求は)上映活動を萎縮(いしゅく)させるとともに、表現者たる映画監督の自由な創作活動を精神的に圧迫している」との声明を発表した。
しかし、「伝統と創造の会」が試写会を要求したのは、あくまで助成金の適否を検討するためで、税金の使い道を監視しなければならない国会議員として当然の行為である。同協会の批判は的外れといえる。
試写会に参加した議連関係者によると、この映画の最後の部分で“旧日本軍の蛮行”として中国側が反日宣伝に使っている信憑(しんぴょう)性に乏しい写真などが使われ、政治的中立性が疑われるという。
不確かな写真を使った記録映画に、国民の税金が使われているとすれば問題である。文化庁には、助成金支出の適否について再検証を求めたい。



【社説】『靖国』上映中止 自主規制の過ぎる怖さ(東京新聞 2008年4月2日(水))

靖国神社をテーマにしたドキュメンタリー映画の一般公開が中止になった。表現の自由が過度な「自粛」で踏みにじられた格好だ。大事なことを無難で済ます、時代の空気を見過ごしては危うい。
遺族が参拝する。軍服の人々が行進する。日の丸が振られる。星条旗まで掲げる人がいる。「魂を返せ」という韓国や台湾の遺族もいる。八月十五日の靖国神社の光景である。
中国人監督が終戦記念日を映像に収め、ドキュメンタリー映画靖国 YASUKUNI」を制作した。東京と大阪で公開される予定だったのに、中止となった。その経緯に重大な問題がある。
映画制作に文化庁所管の独立行政法人助成金を出しており、これを週刊誌が取り上げた。政治的な宣伝意図を有したものは、助成金の対象にしないと、この法人が定めているからだ。
そして、保守色の強い自民党衆院議員が、助成金拠出の妥当性を問い合わせた。だが、法人側は外部の専門委員会が「適正」と判断し支出を決めたと、回答した。
では、なぜ中止となったのか。ある映画館の経営会社の説明は、こうだ。街宣車が別の映画館に来た。「何で上映するのか」という電話もあった。別の映画館は、商業ビルの店子(たなこ)だったから、「迷惑になる」と心配した。さらに別の映画館では、上映を妨害するような被害が起きない限り、警察が動いてくれないだろうと考え、中止を決めた−という。
中国人監督だから、内容は反日的だったろうか。映画を見た人によれば、ナレーションもなく、その場の生の音声を拾い、淡々と「特別な一日」を中心に記録したものだったという。
国会議員向けに試写会も開かれたが、火をつけた議員自身が「上映の是非を問題にしていない」と述べている。上映中止は、日教組の集会で、都内のホテルが街宣活動などを恐れ、使用を拒否したのと、背景は同じではないか。
自由の首を絞めているのは誰なのか。メディア側に問題はないか。映画の関係者に過剰反応はないか。議員もむろん言論の自由には注意深くあるべきだ。自主規制という無難な道を選ぶ、社会全体が自縄自縛に陥っていないか。そこに危険が露(あら)わに見える。
権力だけが言論を封じるのではない。国民の自覚が足りないと、戦前のセピア色が急に、生々しい原色を帯び始める。



社説:映画「靖国」 上映こそ政治家の責務(北海道新聞 2008年4月2日(水))

表現の自由」は、吹けば飛ぶような軽いものなのか。ここは危機感を持って考えたい。
今月中旬から公開されるはずだった映画「靖国 YASUKUNI」の上映が見送られる。予定した東京と大阪の映画館すべてが、中止を決めたからだ。
「抗議活動で近隣の商業施設や客に迷惑がかかる」「他の映画館が中止する中で上映すれば、非難が集中する」というのが、その理由だ。
一部の映画館には街宣車が押しかけたという。嫌がらせの電話もあったようだ。
周辺にお構いなしの大音量で身勝手に振る舞う街宣車の行動は、厳しく批判されねばならない。
だが、この状況で公開を中止すれば上映阻止をもくろむ人たちを喜ばせるだけではないか。
映画館側の対応は、憲法が保障する表現の自由を自ら狭める行為であり、きわめて残念だ。ここは踏ん張って、上映姿勢を貫いてほしかった。
映画演劇労組連合会はきのう、すべての映画人に上映努力を求める声明を出した。映画が表現や言論の手段でもあることを考えれば当然だ。
しかしこれは、映画人だけでなく、社会全体でも考えるべき問題だろう。脅しや暴力におびえ自己規制する社会は、健全とはとうてい言えない。
ここに至った経緯を振り返れば、異例の試写会を開催させた与党国会議員の責任は大きい。
映画は終戦記念日靖国神社に参拝する人、抗議する人などの情景や「靖国刀」を作る刀匠の思いを、十九年も日本に住む中国人監督が描いた。今年の香港国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞した。
一方で、「反日的な映画ではないのか」という声があがっていた。
製作に政府の公的な助成金が出ていることから、自民党稲田朋美衆院議員が文化庁に問い合わせた。文化庁が奔走し、先月中旬に国会議員向けの試写会が開かれた。
国会議員という特定の人を対象に試写会を催し、その目的が、映画の公開前に「公費助成にふさわしいかをみる」という発想は、検閲につながるものではないか。
助成の是非を論じるにしても、表現の自由を考慮すれば、公開後でいいはずだ。
これが上映中止につながったのだとしたら、試写会に参画した議員も文化庁も責任を自覚すべきだろう。
文化庁は、開催した経緯をきちんと説明する必要がある。
稲田議員らは上映中止を「残念だ」と言っている。ならば上映実現に全力を注いではどうか。
国会議員として、民主主義を守る志を、行動で示してほしい。



社説:「靖国」上映中止 表現の自由が脅かされた(新潟日報 2008年4月2日(水))

恐れていたことが現実となった。靖国神社を題材にしたドキュメンタリー映画靖国 YASUKUNI」の上映中止がそれだ。
三月中旬に東京都内の映画館一館が上映を取りやめたのに続いて、三十一日には東京都の三館と大阪市の一館が四月に予定していた上映を断念していたことが明らかになった。これで東京での上映予定は一切なくなった。異様な事態である。
映画の配給元は「言論、表現の自由への危機を感じる」とのコメントを発表した。上映中止の理由について映画館は「近隣の商業施設に迷惑を掛ける恐れがある」と説明する。
一部政治家や政治団体から「好ましからざる映画」のレッテルを張られ、その圧力によって上映自粛に追い込まれた格好だ。歴史の歯車が戦前に逆転したかのようだ。
この映画を最初に問題にしたのは自民党稲田朋美衆院議員らである。文化庁の助成を受けていたことから「中立的な映画かどうか確かめたい」と事前の試写を求めた。配給会社は「全国会議員向けなら」と応じ、三月十二日に異例の試写会が行われた。
稲田議員らが求めた試写は「事前検閲」にも等しい。映画は思想の映像化であり、何らかの主張を持つ。「中立的かどうか」を問うこと自体、表現の自由への干渉である。
「中止は残念。私の意図とは違う」。中止を聞いた稲田議員の反応だ。素直に受け止めたいところだが、国会議員の発言の重みを理解していないと言わざるを得ない。議員の一言は周囲に大きな影響を及ぼす。NHKに文句を付ければ制作現場は委縮するのだ。
今回の上映中止は、グランドプリンスホテル新高輪日教組の教研集会を一方的に断ったケースとよく似ている。上映や集会に妨害が予想され、混乱を避けるために催しを取りやめる。一部団体の思惑通りの結果だろう。
表現の自由は民主主義の根幹をなす原理だ。これがふらついているということは、日本社会が不安定化し、自分の気に入らないものを排除する傾向を強めているからではないか。
「外部への迷惑」を理由に上映を中止した映画館側にも苦言を呈したい。映画文化の守り手として毅(き)然(ぜん)たる態度で上映してほしかった。制作者が心血を注いだ作品が日の目を見ないようでは健全な社会とはいえない。
広く公開されることを期待する。作品の判断はその後の話だ。渡海紀三朗文部科学相は「こういうことに至ったのは残念」と会見で語っている。文化の根元がぐらついているのに、危機意識がまるで感じられない。
無形の圧力が表現活動を委縮させる状況は「いつか来た道」に通じている。



社説:「靖国」上映中止 - 文化と民主主義の危機だ(神奈川新聞 2008年4月2日(水))

靖国神社をテーマにしたドキュメンタリー映画靖国 YASUKUNI」の上映が、東京都内では行われないことになった。上映予定だった四館がいずれも中止を決めたためだ。その一つ「銀座シネパトス」(東京都中央区)を運営するヒューマックスシネマ社(新宿区)は「近隣の商業施設に迷惑を掛ける恐れがあるため」と説明しているという。
嫌がらせや何らかの圧力があったのならば、憂慮すべき事態だ。日本はいつから、そのような圧力がまかり通る社会になってしまったのだろうか。表現の自由の危機、民主主義の危機である。
最近では、グランドプリンスホテル新高輪(東京都港区)が、日教組の教育研究全国集会をめぐって、裁判所の仮処分を無視して施設使用を拒否したほか、予約していた集会参加者の宿泊を旅館業法に反して拒否した。
日教組の集会では、批判する右翼の街宣車が集まって会場周辺が騒然とした雰囲気になる。同ホテルは使用拒否を「お客さまの安全安心」のためとした。法と社会的責任を無視してまで何を恐れたのか。このような事例が続けば集会の自由、表現の自由が封殺されると危ぶまれたばかりだった。
映画「靖国」は、日本在住の中国人、李纓(りいん)監督が、終戦記念日の情景や戦時の映像などを交えて靖国神社の現実を追った映画だ。内容を「反日的」と聞いた一部自民党議員が、文化庁の所管法人から助成金が出ていることを理由に試写を要求。公開前に全国会議員向けの試写会が開かれるという異例の事態となった。日本映画監督協会崔洋一理事長)は「上映活動を委縮させ、自由な創作活動を精神的に圧迫している」と強く抗議したが、その後も一部の政治団体が、上映中止を求める動きをしていたという。
今回の事態について、「靖国」の配給・宣伝協力のアルゴ・ピクチャーズ社は「日本社会における言論の自由表現の自由への危機を感じる」とのコメントを発表した。切実な言葉だ。日本社会は自由にモノも言えない社会になろうとしているのではないか。一部政治家の責任は重大だ。
自由な社会を維持するためには、すべての市民の毅然(きぜん)とした態度と努力が欠かせない。会場施設や映画館などには、集会の自由、表現の自由の担い手であることを再認識してもらいたい。都内の映画館は、ぜひ勇気と気概を持って上映の名乗りを上げてほしい。そして、そうした担い手を孤立させないよう、主義主張を超え市民の応援の輪をつくることが必要だ。
映画「靖国」は今年の香港国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞した。ところが、舞台である当の日本の首都では見ることができない。「先進民主主義国」として恥ずべき事態である。