被害者はダレだ

被害者に責任はなかったのか、まず問おうとする人たちがいる。


エレベーター転落事故。回転ドア事故。その他もろもろ。
いずれも痛ましい事故である。
その時、「どうして目を離したのか、手を放したのか、親は何をしていたのか」をもっともらしく「真っ先に」問題にする人たちがいる。


子供は、手を放せば車道に駆け出すかもしれない、目を離せば誰かについて行くかもしれないし、何かを乗り越えてしまうかもしれない。
確かに最低限しておかなくてはならないこともあろう。
しかし、しかしだ。
まず考えよう。
誰が一番悲しいか。誰が一番取り返しの付かない思いをしているか。
そしてたぶん、それは一生背負って行くであろうことなのだ。
そうしたことに思い至ること、それが、想像するということではないのか。


ともすると自らも陥るかもしれないワナにはまらないように、自戒を込めて。