曽野綾子「台風 教育のチャンス 利用を」(日本財団 - 産経新聞掲載記事)

驚いた。


まず、記事をよく読んでみたのだが、この人は「電気の明るさは微動だにしない」東京の自宅にいて、台風の被災者を「一晩のことで何でそんなに甘やかさねばならないのか」と罵るのだが、このマインドはいったいどこから来るのか、どうもよく理解ができない。
被災者の心持ちやら体調やらにはまったく意識が向かないらしいのだが。


確かに地震と違って台風は近づいてくる進路もタイミングもおおよそはわかるだろう。
そのために用意をしておくことももちろん可能だろうし必要だろう。
しかし、実際に、正確にはいつ来るのか、逃げた方がいいのかどうか、どの程度の被害になるのかについてはまったくわからないのだ。
例えば、風や雨だけなら充分耐えられる家屋でも、土砂や増水はどう予想しろと言うのか。


前段を読むと背景が見えてくる。
土砂災害や水害は国の施策・事業に反対するからキチンと対応ができない、その責任は反対した側にあるのだ、だから、それに備えて、新しい毛布など与えられて喜ぶのではなく、天気予報を自分で分析し、自分であらかじめ用意しておいた寝具と手弁当で、床に新聞を敷いて堪え忍べ、と。
そうした「世界の当然」を学ぶ教育のチャンスたる台風を活用しないでどうする、ということらしい。
当たり前になってしまった便利さの裏にあるモノゴトに感謝しろ、と。


要は、国家事業に反対するのが気にくわないから八つ当たりしているだけの、幼稚で短絡的な反応なのだ。
日本の自然に合った治水・利水、国土の整備なら誰も文句を言うまい。
諫早湾にしろ長良川にしろ、一大事業の傲慢と失敗の例は枚挙の暇があるまい。
それに目を向けず、国の事業には間違いないのだから文句を言うヤツは無責任だ、と言うのは無思慮に過ぎる。
そしてこの人は、明るく暖かいライフラインがキチンと整った居心地のいい*1部屋で、家も何も失い路頭に迷う被災者に「感謝が足りない、甘やかされている」と、憤りの矛先を向けるのである。


ご夫婦共々、成長しない老人の話を目にするのはあほらしい。

*1:これだけはそうとは限らないかもしれないが