暮らしそのもの『国の基本』全103条 <第12条> どこからが『公共』

この憲法が国民に保障する自由および権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。また、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

(前略)
「公共の福祉」とは、個人を超えた社会全体の幸福のことだが、その範囲については、はっきりしない。このため、自民党内では「日本人は権利意識が強くなり過ぎた」「国民が国や社会への責任を軽視している」との不満が根強い。社会保障制度が崩壊の危機に直面していることも、個人主義が行き過ぎたのが一因とする意見もある。
今年一月に日本経団連が出した憲法改正を提言する報告書でも、「責任を伴う個人主義でなく、無責任な利己主義がまん延しつつある」などと指摘している。
昨年六月の自民党憲法調査会プロジェクトチームによる論点整理は、「公共の福祉」を「公共の利益」「公益」に改め、「権利が義務を伴い、自由が責任を伴うことは自明の理であり、家族・共同体における責務を明確にする方向で、新憲法の規定ぶりを考えていくべきだ」とした。
(中略)
しかし、旧憲法が国民の権利と自由を「法律ノ範囲内」で認めた結果、国家による過度の干渉を招いた反省から、慎重論も根強くある。

権利より義務を大きく謳うことによって抑えつけてしまおうという意図は、愛国心にしろ国旗国歌にしろ何にしろ、随所に垣間見える。家族や共同体の在り方など、自分たちで決めることだ。人に指図され型にはめられてしまったら、そこにはすでに自由はない。