「機関車先生」読了

機関車先生 (集英社文庫)

機関車先生 (集英社文庫)



夏目雅子と短いながら結婚していたことがあるということで以前から興味はあって、この間図書館に行った時に借りてきた。開いてみると何と総ルビでびっくりした。簡単な漢字ばっかりというわけでもないが、この体裁にしたということは、後書きにもその辺のことは書いていないけれど、子どもにも広く読んでほしいとの思いがあったのだろう。内容は特筆することがないといえばそうかもしれないが、作者の想いは伝わってくる。

「どうして戦争をしたんじゃ」
 修平が言った。
「どうしてだと思う? 修平」
 周一郎が修平に聞いた。
 修平が首を横にふった。
「人間は昔から戦争を何回もしてきたんじゃ。その度に大勢の人が死んだ。葉名島からも何人もの人が戦争に連れて行かれて帰ってこなんだ。そんな馬鹿なことを二度とくり返さないぞ、と思うのに、またどこかで戦争がはじまる。人間はそれをくり返してきた」
「どうして悪いこととわかって、同じことをくり返してきたんですか」
 妙子が聞いた。
「それはな、皆がヤコブのように人と人が争うことが醜いこととわかっとらんからだ。ヤコブはこの島で髪の毛が赤かっただけで石を投げられた。修平、もし君がそんなことで石を投げられたら、どうする?」
 周一郎が修平に言った。
「わしは、そいつに石を投げ返したる」
 修平が怒ったように言った。
「そいつがまた石を投げ返したらどうする?」
「また投げ返してやる」
「そうか、投げ返すか……。なぜ投げ返すか?」
「そりゃ、そいつが憎ったらしいからじゃ」
「憎いか」
「憎いに決まっとる」
 修平が本気で怒り出した。
「それが戦争の始まりじゃ」
「戦争の?」
「そうじゃ、人が人を憎いとか、悪い奴じゃと決めたところから戦争がはじまるんじゃ。戦争はな、国と国が争うように見えるが、本当は人間の心の中からはじまっとるんじゃ」

老いた校長の佐古周一郎が小学生たちを前に、主人公の吉岡誠吾がなぜ暴漢に手を出さなかったかという話をする前段。実はこの本を読む前に「アホー鳥が行く」というエッセイを読みロクデナシの烙印を押してしまったのだが、撤回しておこう。




コチラはほぼ斜め読み。


夏目雅子とのことを書いたという「乳房」と「潮流」はぜひ読んでみようと思う。