暮らしそのもの『国の基本』全103条 <第18条> 徴兵制違憲の根拠

何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。また、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。

(前略)
憲法一八条は徴兵制の合憲性をめぐり、たびたび引き合いに出される。現在、日本に徴兵制はないが、政府は「徴兵制は本人の意思に反し、兵役という役務の提供を義務付けるもの」であるため、強制的な苦役を禁止した同条などに反するとの見解を示している。
これに対し、二〇〇二年五月の衆院憲法調査会では、自民党石破茂氏が「国を守ることが奴隷的苦役であるような国なら、国家に値しない」と発言、議論を呼んだ。石破氏はその後、防衛庁長官として入閣したため、持論を封印していたが、最近、自著「国防」(新潮社刊)で自身の防衛論、憲法観を再び展開している。
一方、自民党憲法起草委員会の「国民の権利・義務」小委員会では、「国防の責務」の議論が行われている。また、民主党内の旧民社党系議員らも「創憲」提言の中で、「国を守る責務」を盛り込むよう提案した。
「責務」とは、違反しても罰せられない緩やかな努力規定だが、徴兵制復活論にもつながる可能性をはらんだ考え方だけに、今後注目が集まりそうだ。

改憲の流れの中でも「徴兵制は採らない」とする意見をそこここに見せておいて、実際には「責務」などという言葉でごまかし、かたや改憲をしやすい仕組みを何とかして作ってしまおうとする。それが成ってしまえば、あとは「責」を「義」に書き換えるだけだ。石破茂氏の「国を守ることが奴隷的苦役であるような国なら、国家に値しない」とは、逆に言えば「奴隷的苦役である国防を課すような国ならば国家に値しない」とも言えるではないか。そもそもそのような事態にならないように額に汗して仕事をするのが国会議員の役目である。
西村某の「国に命をささげることのできる人材」とやらを育てるために子どものうちから反動を教え込み、それを教師、親、そしてそれらを包含する地域の人たちに押しつけることを画策するような人物のいる民主党は、それを放置しているという点において本質は自民党と同じと見える。
憲法によってこのように種々の歯止めが掛かっているものを、改憲の声はどんどん外そうとしているようにしか見えないのだ。