叔父死す

ついこのあいだ見舞いに行って来たばかりの叔父がおとといの晩死んだ。明日が通夜。父の弟である叔父はいつもニコニコしていて話の面白い優しい人で、お小遣いをたくさんくれることもあり子どもの頃は大好きだった。見舞いに行って見た叔父は、姿勢によっては息が苦しいようで、いかにも「入院した老人」だった。でも、うまく話ができない口元で娘をほめ、にっこり笑った顔は紛れもなく叔父の笑顔で、この笑顔を見せてもらっておいて本当に良かったと思う。妻と再婚した時に親戚一同に挨拶状を送り、まぁ住まいが近かったという事情もあるけれど、真っ先に、そして唯一お祝いを持って新居である慎ましやかなアパートを訪ねてくれた。その後、糖尿病を患って車いすの生活を余儀なくされ、最近は週に2〜3回も病院へ通い、透析やら何やら時間の掛かる治療・処置を受けていたそうだ。
母が特に叔母と折り合いが悪く、ウチとほぼ断絶状態になってからはますます没交渉になり、父も叔父を気遣って電話を掛けるのも憚る状態だったようで、母が死んでからは自由に電話も見舞いも行けるようになったから、久しぶりに叔父を訪ねていった時には話が弾んで楽しい時間を過ごせたようだ。葬儀の後に、電話越しにイヤミを言う声が聞こえたなんていう話も耳にして、まあ片方からだけの話だから半分くらいに聞いてはいたものの、父もなんでそんなのを我慢していたのかと思ったものだ。
何にせよ、人の心はなかなか難しい問題を抱えてしまうものだ。しかも、一度抱えるとそれを手放すのにはどうもずいぶんな労力がいるらしい。我が身のことと思い、見つめ直す時間を作ることにしよう。