暮らしそのもの『国の基本』全103条 <第51条> 無制限か議員発言の自由

両議院の議員は、議院で行った演説、討論または表決について、院外で責任を問はれない。

(前略)
議員が自由に意見を表明したり、投票することは、議会制度にとっては不可欠だ。表決とは、議案に対する可否の意思表明のこと。議員は、自身の投票行動について責任を問われることはない。
ただ、議員の国会での言動は、全く制約がないというわけではない。院の権威をけがす言動には、それぞれの院から懲罰を科せられることがある。党議拘束のかかった重要法案の採決で「造反」すれば、党から処分を受けることもある。
また、無責任な言動は、訴えられなくても政治的責任は問われる。その場合、投票によって、有権者から手痛い仕打ちを受けることになる。
(中略)
国会審議の内容がインターネットなどを通じて瞬時に家庭にも届く現在、名誉棄損やプライバシー侵害の可能性は飛躍的に高まっている。公明党議員は(略)〇二年二月の衆院予算委員会で、「議員が週刊誌を引用する形で質問し、後日その記事が事実無根であったような場合、被害者は国会でも名誉を棄損される」と指摘した。
議員の免責特権は十分担保されなければならないが、一般国民が国会審議でプライバシーや名誉を傷つけられた場合、国会として何らかの回復措置を検討する必要はあるだろう。

国会議員の発言について自由を確保するのは当然のことだが、何でも言い放っていい、というわけではない、というのもこれまた当然のことだ。自分の発言に関して権利の侵害等が発生した場合には、何らかのカタチで責任を取らざるを得ないだろう。「国民の権利ばかりでなく責任も明らかにしておくべきだ」とか「自己責任だ」とか、とかく彼らは人の権利だの義務だの責任だのに言及するが、「自由には責任がつきまとう」ということを一番認識すべきはまず、彼らだ、ということにいつになったら気が付くのだろうか。