暮らしそのもの『国の基本』全103条 <第97条> 基本的人権が再登場

この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在および将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

(前略)
基本的人権が再登場したのは、GHQの意向があったからだ。この条文の基になったのは、GHQがつくった草案の一〇条。少し長くなるが、この条を引用すると、「此ノ憲法ニ依リ日本国ノ人民ニ保障セラルル基本的人権ハ人類ノ自由タラントスル積年ノ闘争ノ結果ナリ時ト経験ノ坩堝ノ中ニ於テ永続性ニ対スル厳酷ナル試練ニ克ク耐ヘタルモノニシテ永世不可侵トシテ現在及将来ノ人民ニ神聖ナル委託ヲ以テ賦与セラルルモノナリ」となっている。九七条にそっくりなのがよく分かる。
この条文は、GHQのホイットニー民政局長が自ら考えたとされる。自分のつくった条文を、どこかに書き込むよう日本側に要望。結果として、最高法規の章の冒頭に収まった。
自民党憲法調査会では、「ホイットニーが書いたものだから残されただけの条文を放置しておくのは不見識」という指摘が出た。同党内には、今の憲法が「米国に押しつけられたもの」という抵抗感があるが、彼らにとってこの条文は「メード・イン・USA」の典型なのだ。
ただ、この条文があるから、基本的人権を制限する改憲はできないという学説もあり、九七条の意義を評価する声も少なくない。

「ホイットニーが書いたものだから残されただけの条文」というのは相当な不見識だろう。そのように言うモノ達は、例えばホイットニー氏が関わっていなかったとしたら、この条文を残す意義、あるいはこの条文そのものの意義というのをどのように考えているのか。「もちろんこのような条文はいらない」というのか。そうだとしたらいったい、基本的人権というものをどのように捉えているのか。