暮らしそのもの『国の基本』全103条 <第100〜103条> 末尾に残る明治憲法の刻印

第一〇〇条
この憲法は、公布の日から起算して六箇月を経過した日〔昭二二・五二二〕から、これを施行する。
この憲法を施行するために必要な法律の制定、参議院議員の選挙および国会召集の手続ならびにこの憲法を施行するために必要な準備手続は、前項の期日よりも前に、これを行ふことができる。


第一〇一条
この憲法施行の際、参議院がまだ成立してゐないときは、その成立するまでの間、衆議院は、国会としての権限を行ふ。


第一〇二条
この憲法による第一期の参議院議員のうち、その半数の者の任期は、これを三年とする。その議員は、法律の定めるところにより、これを定める。


第一〇三条
この憲法施行の際現に在職する国務大臣衆議院議員および裁判官ならびにその他の公務員で、その地位に相応ずる地位がこの憲法で認められてゐる者は、法律で特別の定をした場合を除いては、この憲法施行のため、当然にはその地位を失ふことはない。ただし、この憲法によって、後任者が選挙または任命されたときは、当然その地位を失ふ。

(前略)
あまり知られていないが、今の憲法は、明治憲法の改正条項に基づいて制定された。現行憲法の原案審議は旧帝国議会で行われ、貴族院でも活発な議論が行われた。現行憲法は、明治憲法に取って代わった「革命」ではなく、少なくとも、形式上は明治憲法のバージョンアップ(改訂)なのだ。
憲法が施行されたのは、一九四七年の五月三日。
(中略)
この六カ月前、国民に向けて公布された前年の(略)十一月三日は、(略)もとはと言えば、明治天皇の誕生日である「明治節」。明治憲法とはまったく異なる価値観を盛り込みながらも、明治憲法の土台と天皇の権威を借りて、戦後の日本国民の前に現れたことは、とても興味深い。
一説には、帝国議会の審議がもう少し早ければ、八月十一日に公布し、二月十一日の「紀元節」(神武天皇の即位日、現在の「建国記念の日」)を憲法記念日にする案も当時の政府部内にあったという。
(中略)
改憲が実現しても、明治憲法から引き継いだ「刻印」は、新憲法の末尾に残ることになる。
(後略)

近年、いくつかの国で行われているような、憲法を制定するためのプロセスを念頭に置くという夢想をしてみる。「アメリカの押し付けではなく日本のオリジナルを」とがなるモノたちがいる。そうであれば、こうしたプロセスを経て、「過去の遺物」を振り払い、一から作り上げてみてはどうか。たかが一政党が「新憲法草案」だなどと、やっぱりちゃんちゃらオカシイ気がしてきたぞ。
この記事では、後段にこんなことも書いてある。

今は、「憲法」というおもちゃ箱に詰まっていたものを、部屋にぶちまけた状態です。
この中には、六十年近くたった今も、輝きを失わないおもちゃもたくさんありますし、時代遅れになったもの、ほとんど使われずに新品同様でホコリがかぶった状態のものもあります。
これからは、国会の議論を踏まえながら、どれが必要で、どれは要らないのか、読者の皆さんと考えていくことになると思います。「知憲」を終え、次のステップに移るのです。

この少し前には「「結論先にありき」のような部分があ」って議論が深まらない、「永田町の憲法論議には、多少危うさを感じ」ると書いてあるのだが、上のような姿勢は第一ステップを飛び越えて「(改憲を前提に論議するという)「結論先にありき」」にはならないのか。第一ステップ、つまり憲法がキチンと守られてきたかの検証、守られていないとしたら何が原因となっているかの確認、という、基本的な作業が置き去りにされ、ないがしろにされていないかについて、非常に危惧をするところである。「今さら何を言っているか」という人は、ぜひ一度この点について振り返ってもらいたい。自信を持って、そこはクリアした、と言い切れるのか。
個人的には、何度も書いてきたように、キチンと使って守ってその上で困って何かを言うのならわかるが、ハナから「守れないような条項は変えるべき」などというのは九九条違反。ピアスだの茶髪だの腹出しだの穴あきだのを見かねて注意すると「今はコレが普通、アンタが時代遅れ」と言い返すのと何が違うのか、と。クダラナイ例ですがね。同じことを言ったりやったりしておきながら、やっぱり自分以外には不寛容で排斥しようとする。そうした狭量が鶴首しても、ロクでもないモノができあがるだけだ。