「井筒和幸さんからあなたへ - 隣のカノジョに教えてやって この世の狂気を」(朝日新聞2005年9月17日(土)朝刊)

人ごとでなく、当事者として。

(前略)
この先世の中がどうなろうとも「戦争」にだけは、いくらお金を積まれてもアンタたちは行かないで欲しいんです。
(中略)
何処(どこ)か外国の大地か砂漠で、もしも「戦争」が起こされて、このニッポンが助太刀(すけだち)に行くことになっても、そして、もしもニッポンに自衛軍という軍人組織や、軍人専門学校まで作られることになっても、そんな時は近所の電柱に鎖でカラダを括(くく)りつけてでもイヤだイヤだとダダをこねて、1㌔四方に聞こえるくらいに泣き叫んで欲しいんです。お父さんから「勇気のない奴(やつ)だ、ったく」と罵(のの)られても、お母さんから「アルバイトもしないで遊んでるよりマシよ」と優しく肩を叩(たた)かれても、耐えて欲しいです。
(後略)



先週はこうだった。


坂本龍一さんからあなたへ - なぜぼくら人間は音楽をやるのか」(朝日新聞2005年9月10日(土)朝刊)

(前略)
ところで4年前の9月11日、ニューヨークという街から音楽が消えてしまいました。こんなことは生まれて初めての体験でした。人はあまり驚いたり恐怖を感じたりすると、音楽ができないようなのです。その時ぼくは深く思いました−音楽を楽しむためには、戦争ではなく平和が必要なんだ、と。



いくら3分の2といったって、全権委任したワケではないのだ。忘れちゃいけない。