憲法ってなに? - 自民党素案を読む 「前文・国民の責務」(朝日新聞2005年10月30日(日)朝刊)

二つの見方。

権力者の真意探れ - 石坂啓さん


(前略)
「改正」の本当のねらいは、要するにこの日本を、正規の軍隊を持ち、いつでも戦争ができる国にするということ。「国や社会を愛情と責任感をもって支え守る責務」などという書きぶりは、そういう国に見合った国民になれ、と命じているわけです。
第12条には「自由及び権利には責任及び義務が伴う」とわざわざ書いてあります。つまり、いままで国民にあんまり自由と権利を与えすぎた、これからは義務や責任を意識しながら国に奉仕しなさい、と。そうすれば、国が認める範囲で自由と権利を与えますよ、と国民に縛りをかけている。
だけど、ちょっと待ってほしい。憲法はもともと国民の自由や権利を守るために私たちが国を監視し、国が暴走しないようにするための決まりのはずです。それなのに、国が国民に命じる内容を盛り込むのは、憲法の性格を百八十度変えてしまうことにつながる。
(後略)




改正を考える好機 - 弘兼憲史さん


(前略)
日本は権利がたくさんあって自由に生きられる国だからこそ、自ら責任や義務も負わなければいけないのは当然でしょう。国民が一方的に政府に頼るのではなく、国民も国のために何かしなければならない。その意味で、草案の第12粂に「自由と権利には責任と義務が伴う」という趣旨が明言されているのはもっともだと思います。
(中略)
前文の「帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務」という部分は、「愛国心」という文言を入れない表現に苦心がうかがえます。
日本は世界に類をみないぐらいナショナリズムを持たない、珍しい国だと思う。家族を愛するのと同じような純粋な感覚を培うことは悪いことでしょうか。表現は違うけれど、ほとんど同じ意味の言葉が盛り込まれた。違和感はありません。
(後略)

私には、「自由と権利には責任と義務が伴う」という文言を、国民の側からではなく権力の側から盛り込んだものに対し、これだけ自信を持って「もっともだと思います」とは到底言えない。今の憲法でさえ確かに国民が参加して作ったものではなかったかもしれないけれど、反省と権力抑制を盛り込む「気概」があるように思う。
これよりも問題だと思うのは、第96条、つまり「改正要件」の緩和である。これにより、石坂氏の書くように「全面的に預けてしまう限り、権力者の思い通りになってしま」う危機感を持つ。最終的に改憲国民投票にかける際、憲法全体でのものとなるのであれば各条文の是非を問うことはできない。陰に隠れて改正要件を緩和し、あまつさえ第95条、つまり「地方公共団体のみに適用される特別法」に関する国の関与要件を削除して住民の意思を問わずに特別立法できるようにするなど、見えにくい部分で自分たちが好きなようにできる仕掛けをちりばめている。
自民党「新憲法制定推進本部」にある「新憲法草案」も、しっかりと隅から隅まで読んでおく必要がある。