桜並木

上から眺めると近所の用水沿いや宅地に桜色の帯が続き、今日みたいに風が少し冷たい朝にも春めいた気分にしてくれる。こうした風景を目にするにつけ、この国の人々は本当に桜が好きなんだと思わずにはいられない。この時期、多くの人が、何もない枯れ枝に固い芽吹きを見つけ紅色に染まりだんだん膨らんでいくのを見ては、今日か明日か、週末はと観桜の時期に想いを馳せるだろう。
日本は四季がはっきりしていて美しい、という。春には芽吹き、夏には緑が溢れ、秋には種々に色付き、冬には枯れ枝がまた来る春を待つ…。確かにそうした巡りというものの対比を美しく思う心もあるだろう。しかし、四季は決して画一した巡りではないことも、また多くの人々が知っている。
今さらいうまでもないことだが、花が咲くのは何も春だけではない。夏にも秋にも冬にだって咲く花はいくらでもある。四季の美しさは対比だけでなく、それぞれの営みを知り、見つけ、そうした多様を愛で大切に思う心からごく自然に生まれて来るものではなかろうか。この国でも古来より多く、四季・自然の多様を貴び歌い、舞い、描いて来た。
そんな国にありながら、こと人間に関しては画一を好み、基準に外れたもの、意見の合わないものをことさら指弾し、攻撃し、排除しようとする人々がいるようだ。そうしてどうもそうした人々こそ「歴史や伝統を重んじる」と声高に標榜し、多様な在り方について非寛容を振りかざす。
まったく、こんなに季節の美しい国にありながら、その多様を享受してもなお寛容の心を醸成することができない/できなかったとしたら、本当に残念で悲しいことだなぁと、桜色の並木を眺めながらふと考えたのだった。