「煮えくりかえった腹」市教委の対応

昨日の記事について、東京新聞に掲載があった。


『照会せず』正式決定 戸田市教委 君が代不起立問題で(東京新聞 2006年8月25日(金))



(前略)
一連の騒動は、来賓への指導権限のない市教委が、規律を優先させるために市民の「内心の自由」に立ち入ることができるのかが問われた。伊藤教育長は「来賓には児童・生徒の範となってもらいたいから」と述べるが、圧力ともとれる“行政の目”に従うことが、本当に子どもたちの「範」となるのだろうか。
照会見送りを決めた七月の定例教育委員会後、市教委は「照会しないと結論づけたわけではない」と、教育長の記者会見を急きょキャンセル。二十四日も「結論を公表するという話はもともとなかった」として、会見は開かれなかった。
議会という公の場が発端となり、議論を呼んだこの問題。わずか五席しか傍聴席が用意されていない委員会で何が話し合われたのか、市教委は会見の場できちんと説明すべきではなかったか。



東京新聞は「一連の騒動は、来賓への指導権限のない市教委が、規律を優先させるために市民の「内心の自由」に立ち入ることができるのかが問われた」と正しく指摘している。
憲法に関わる内容であるとの批判は当初からあった。そして今回の結論は自分のところの「個人情報保護条例」に違反することが明らかになった。これらについて検討し、最終的に「照会(調査)しない」と決定したわけだけれど、何を検討したのか明らかにしないというのはいったいどういうことだろうか。自分たちが一度は表明した措置が実は自分たちで決めたことに違反し、しかも憲法にも関わる問題であったことへの反省も何もない。
今度「腹が煮えくりかえる」のは戸田市民の番ではなかろうか。