ヴォネガット「タイムクエイク-時震」読了

図書館から。

タイムクエイク―時震

タイムクエイク―時震

本人の弁では(奥さんのジルは「信じない」と言っているそうだけど)この本以降断筆、「最後の小説」になるそうだ。宣言以来5年経った今、「小説」はまだ発表していないらしい。
さて、この小説から何かを読み取ろう、というのはかなり難しい作業のようだ。今までの作品の長い物語の終章ということなので、すべての作品を読み返す必要がある。(本当か!)
彼が提唱する大事なこと、は「拡大家族の継承」。みんな仲よく、お互いに関わり合いながら生きていくのだ、と。ごく簡単に言えば。
「あなたは病気だったが、もう元気になって、これからやる仕事がある」(浅倉久志訳)
日本人にとってはこんなところも心に響くかもしれない。

わたしはこのすばらしい本の第2章に、広島の原子爆弾投下五十周年の記念式典がシカゴ大学のチャペルで行われたことを書いた。あのときのわたしは、広島の原爆が自分の命を救ってくれたという、友人のウィリアム・スタイロンの言葉を尊重する、といった。スタイロンが合衆国海兵隊の兵士として日本列島上陸の訓練を受けているとき、あの爆弾が投下されたのだ。
しかし、わたしは、アメリカの民主主義政府が、非武装の男女と子供たちに対する陋劣きわまりない、殺人狂的で人種差別的な、ヤフーまるだしの殺人、まったくの軍事的常識を欠いた殺人をなしうることを証明したひとつの単語を知っています、とつけ加えずにはいられなかった。わたしはその単語を口にした。それは外国語の単語だった。その単語はナガサキという。

「タイムクエイク-時震」(浅倉久志訳)p205

しかし、これを読んでどのように考えるのかについてはそれぞれに委ねられる。
入院用には図書館にあるまだ読んでいない2冊「バゴンボの嗅ぎタバコ入れ」「ホーカス・ポーカス」とうちにある「猫のゆりかご」ともう1冊くらい、何を持って行こうか。