上田知事の教育行政

【上田知事の流儀 就任から3年】【4】教育に「情熱」(asahi.com 2006年9月10日(日))

(前略)
上田は04年末、「新しい教科書をつくる会」元副会長、高橋史朗氏を教育委員に任命する。05年の教科書採択では、事前に委員6人のうち4人を知事公館に集め、「すべての教科書を読んだうえで判断してほしい」と要望する。
(中略)
無記名投票の結果、「つくる会」の教科書は採択されなかった。
(中略)
投票後、知事部局の職員から教育局に「誰が、どの教科書に投票したか教えてほしい。知事に報告する」という電話が入った。
(中略)
上田は「子どもの頃、教師になるのが夢だった」と折に触れて話している。やがて、日本の子どもを救うために国会議員になって教育制度を変えると決心。「政治家への夢は、教育を変えたいという思いから出発した」と言い切っている。
(中略)
教育や歴史に関する上田の発言には、現場の教員や教育局の職員も神経をとがらせている。「教育現場がいかに自分たちの形式、慣例に捕らわれているかに怒りを感じる」と批判の矛先を向けられているからだ。
上田は教育行政と首長の関係について、こう語っている。「首長が教育行政の責任者を兼ねることがあっていい。変なことをすれば、選挙で落っこちる。そのために選挙がある」

歴史認識や教育に関しては公約に掲げずに、つまり有権者を欺いてまで当選し、国の認識を否定してまで個人の見解を「貫き」、「気に入らなければ選挙で落とせ」と嘯く。教育委員に自分の推す人間を押し込めるだけでは飽きたらず、教育局にまで圧力を掛ける。
再選にも意欲を燃やしているようだが、自らの信念にのみ忠実で聞く耳持たぬようなモノには早々に退散してもらわなければならないだろう。こんな人間が教員にならなくて本当によかったと、心から思うよ。