見過ごせない歴史修正の動き

従軍慰安婦沖縄戦での集団自決と、旧日本軍の関与について見解や記述などを曖昧にしてしまおうという政府の動きが続いている。いずれも被害者の証言を軽視し蔑ろにする内容で、見過ごすことはできない。教科書への記述が曖昧にされることで、今後は教育の現場である学校でも子どもらに事実を教えていくことが難しくなっていくのではないかと危惧する。正しいことを伝えようとする姿勢に対し「偏向だ」という圧力がかかり、誠実な教師らに不利益が生ずることのないよう願うばかりだ。
従軍慰安婦にせよ沖縄戦での集団自決にせよ、真摯に過去に向き合いでき得る限りの努力を持って事実に近づき被害者に対して為すべきことをする、という姿勢があったのだろうか。南京大虐殺にしても、こと大戦中の日本に関して反省すべき点が話題になるたびに「自虐だ」と押しつぶそうとする声が出てくる。「規範意識」を声高に言うならば、とても相容れない姿勢だと思うのだが。
真摯な反省なきところに信頼は築けない。今後日本が国際社会において各国と良好な信頼関係を結び平和を願うなら、この点を避けて通ることはできないと思う。
振り返ってみると、戦争について、被害のことはたくさん習ったけれど、加害のことについてはほとんど学ぶことはなかった。今の、そして未来の子どもらにはそんなことのないよう、被害のことも加害のことも含め、きちんと教えていけるよう、そしてそれを基にして自分らの未来を考えていけるように、と思う。