「コツン条例」だって?

今日届いた「さいたま県議会だより」によると、2月定例会の一般質問で次のようなやり取りがあったようだ。

Q:教師が肉体的苦痛を伴う指導をすると子どもや保護者が体罰だとはやし立てる。許してはいけないことに対し毅然とした指導をするため、学校教育においても身体的苦痛を伴う懲戒もあり得るのだと子どもや保護者に了解させる状況をつくるべきだと考えるが、知事の所見を伺う。
A:教師は生徒に対し毅然とした態度で臨むことができるようになることが大事。このため、体罰がいいか、悪いかではなく、愛情のこもったお仕置きは時として許すという世論ができるべきと考える。県議会でのこの議論も世論形成の一つと思う。

県のサイトを確認してみると、埼玉県議会自由民主党議員団で環境農林委員の藤本正人議員(西第1区・所沢市)の『「コツン条例」とゼロ・トレランスについて』という質問であることがわかった。まだ会議録にはなっていないが、概要として閲覧することができる。


平成19年2月定例会(埼玉県議会)


「コツン条例」なるものは、この概要にも出てくるけれど、同じ自民県議団の大山忍議員が2004年6月定例会で行った一般質問『(仮称)コツン条例について』のことを言っているようで、「教育本来の青少年健全育成のための指導を体罰や暴力と明確に分けるためにも、また様々な現場、状況での教育指導が効果的に実施できるよう、適切な教育指導行為を明確にし、その基準となる指針を条例として定めるもの」だそうだ。
定例会概要を読むと、知事の答弁としては「愛情のこもったお仕置き」ならいいんじゃないか、と言っているわけで曖昧な印象もあるものの、あくまで「体罰は必要」と食い下がる藤本議員の再質問に対しては、島村和男教育長が「体罰による指導によって、正常な倫理観というのは養うことはできないというのが基本的な考え方」「児童生徒に力による解決への志向というものを助長させてしまう、いじめや暴力行為などの土壌を生むおそれがあるということで、また、法律でも禁止されていることでもございますが、体罰は基本的には、容認することはできないという考え方」と突っぱねている。
県議会でのこうした「議論」とやらが「世論形成の一つ」というのはいかにも乱暴な物言いだ。先日の「太田総理」でも話題になったけれど、体罰によってしっかりした人間形成ができるなどというのはまったくバカげた幻想だ。力の強いものが節度を持ってきちんとした指導ができ、それによって道を踏み外した人間をも更正できるというのなら、体育系の団体に不祥事がこれだけ発生しているのはいったいなぜなのか説明してもらいたい。
「あの時殴られて本当によかった」だのなんだの言うのは、成功者と、それを受入れることによって自らの力で更正できたものが表に出すから目立つだけであって、その暴力が被害でしかない事実がどの位隠れていると思うのか。物事の一面だけを見て判断するのはいい加減にやめてほしい。
そもそも指導と暴力の峻別は不可能だし基準を作ることはナンセンス。ましてや現場での運用も困難を極めるだろう。太田光氏は「暴力をルール化するのは戦争の正当化と同じ」と言っていたけれど、まったくその通りだと思う。