スティーヴン・ジェイ・グールド「神と科学は共存できるか?」読了

神と科学は共存できるか?

神と科学は共存できるか?

図書館から。
NATROMさんの記事を読んでブックマークしたときにはこう書いた。

http://b.hatena.ne.jp/youarai/20071106#bookmark-6407077
読む本リスト入り。科学と宗教の立場、というよりも、排他主義と寛容主義の立場の違いのように思う。そう考えると、科学・宗教の範疇を超えてあそこにもここにも。

で、10月18日出版という出たてホヤホヤのを図書館で探したらまだ入ってなくてリクエストをしたら、すでに購入する手配は済んでいるけれどまだ予約は入っていないとのことで、先週の土曜日に借りることができた。新品の本はいいなぁ。
グールドのエッセイを読めば何度も出てきたテーマではある。日常に熱心な宗教の場を持たずに済んでしまう日本の環境ではなかなか掴みにくい話題で、お話としては退屈なものでもあるし、何となく読み飛ばしてしまいがちな部分ではあるけれども、さて、実際にこの本を読んでみると、どうもブックマークに書いたような悠長な話ではなさそうだ。アメリカ特殊と言う感はあるのだが、どうもそれだけでは済まないテーマでもあるように感じる。
グールドがこの本で対象にしているのはキリスト教で、解説にも書かれているように、日本でもアメリカでの創造論を何とか浸透させてしまおうという動きに呼応したものはあり、またキリスト教を基盤にしないところで、ID創造論を歓迎するような記事が新聞に掲載されたこともある。いろいろとウワサされているように政治と宗教との繋がりも気になるところがある。
自分自身は無神論者なのか不可知論者なのか厳密に区分して考えたこともないが、実際に神がいるかどうかなんてどうでもいいとか、あるいは神なんて絶対に存在しない、という風には考えていないように思う。そうではあっても、科学としての事実の提示については素直に受け止めておこうという心づもりでいる。「何かの意志」なんてのはお話の中では面白いものとして楽しむことはできるものの、「それが真実」なんてのは願い下げだ。
日本の教育の中でもいろいろとおかしなものが出てきたりしている。例えば「水伝」なんてのもそうだし、それを一時吹聴していた団体が「モンスターペアレント」などとまことしやかに触れ回ったりもしている。そして、そんな考え方にどうも近しいものを持っているようなメンバーが、政治だとか教育だとかの関連でもっともらしい提言をしたりしている。
この本をよく読んで、そしてできればドーキンスの本も早く読んで、そんなキナ臭い状況に少しでも惑わされないように準備しておきたいものだ。ドーキンスの「神は妄想である」は予約殺到で借りられるのはだいぶ先になりそうだ。
アメリカの状況だとかを頭に入れてから読むためには、最初に解説を読んでから本編を読み始めた方がいいかもしれない。