阪神大震災を教訓に危機管理、政府の初動体制に成果(YOMIURI ON-LINE)

阪神大震災を教訓に危機管理、政府の初動体制に成果(YOMIURI ON-LINE)

政府は新潟県中越地震について、1995年の阪神大震災の教訓を踏まえて整備した対応措置に基づいて対応した。
阪神大震災では村山首相(当時)への1報が発生の1時間以上後になるなど、政府の初動体制の遅れが強く批判されたが、今回は、危機管理体制が一応機能した格好だ。
政府は95年以降、緊急事態に備えたマニュアル整備を重ねた。大規模地震では、「震度6弱、東京都23区で震度5強以上」で首相官邸に官邸対策室を設置し、98年に新設した内閣危機管理監が統括する体制を取っている。2001年の中央省庁再編後は、防災相を常設している。
今回は、地震発生の4分後の午後6時には官邸対策室を設置。小泉首相細田官房長官にも「午後6時4―6分に連絡が入った」(細田長官)。
防衛庁自衛隊も、地震発生直後に災害支援に向けた活動を開始した。
阪神大震災の際は、自衛隊の本格的活動が地震発生の約4時間後の兵庫県知事による災害派遣要請までは行われず、初動体制の遅れが指摘された。防衛庁は95年に防災業務計画を修正し、独自の判断で部隊を派遣する基準を明確化した。
今回は、地震発生の約40分後に情報収集目的で東京・立川からヘリコプター1機を離陸させた。新潟県を担当する陸上自衛隊第12旅団(群馬県榛東=しんとう=村)は発生直後に待機体制に入り、1時間半後には高田駐屯地(上越市)の隊員約30人を被災地に派遣した。


内閣危機管理監=政府の危機管理を担う事務方のトップ。内閣官房副長官に準じる特別職の国家公務員で、内閣機能の強化のため、1998年に新設された。大規模災害やテロ、ハイジャックなどの緊急事態の発生時に、首相官邸地下1階にある危機管理センターの責任者として各省庁の総合調整や情報集約に当たる。