不戦支えた「留保の言葉」(朝日新聞 2005年1月13日(木) 朝刊「オピニオン」欄)

「私たちがいる所 6」戦後60年から 詩人 長田 弘

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戦後60年というのは、昭和の戦争が終わってから60年が過ぎたという数え方です。60年というのは本卦(ほんけ)がえりして、ふたたび初心にかえるべきときです。そうであれば、昭和の戦争に敗れて戦争はしないと決めてからの、戦争をすることを選ばなかった「不戦60年」という数え方のほうが、この国に戦争のなかったこの60年の数え方としては、むしろ当を得ています。
戦争のなかったこの間の年月の単位は、日清戦争にはじまるこの国の、1894年から1945年の敗戦に至る、戦争に基づく時代の50年をこえる、明治以後のいちばん長い時代の単位です。戦争、紛争が途切れずにつづく世界にあって、戦争をしなかった年月の経験が、わたしたちに不断に、しかし目立たないしかたで突きつけてきたのは、一人ひとりの日常の生き方、みずからの日々を生きる姿勢です。


日常の生き方、日々を生きる姿勢というのは、それぞれの日常の振るまいにそのまま表れます。戦争をしない年月がこの国に育てたのは、そう言ってよければ、日常の振るまいを見つめるまなざしを通して、物事を判断してゆく術(すべ)です。日常がすべてであるような時代の特徴は、むしろ特徴がないことです。何が大切かが見えにくい。坦々(たんたん)として、ありふれていて、何の変哲もないとしか見えない。平穏であることをのぞまない近代の物差しで測れば、間尺にあわない時代です。
戦争をしない年月に在る難しさは、その意味で、日々の平凡さを引き受けなければならない難しさです。日々の平凡さのもつ価値は、それを失ってはじめてようやく明らかになる、独特の性質をもっています。そのことは私たちの言葉のあり方に、留保をもって言葉に向き合う姿勢をうながしてきました。留保というのは、一つの言葉は一つの意味、一つの方向しかもたないのではない、ということです。言葉を走らせずに、立ちどまらせるのが、留保です。
不戦の60年目は、また、この国の近代の運命を変えた日露戦争終結から数えてちょうど100年目にあたりますが、100年前のそのおなじ年にでたのが、「清新体」の日本語による
上田敏訳詩集『海潮音』でした。その『海潮音』に収められている、ロバート・ブラウニングの短い詩「春の朝」。
 時は春、
 日は朝(あした)、
 朝(あした)は七時、
 片岡(かたをか)に露みちて、
 揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
 蛸牛(かたつむり)枝に這(は)ひ、
 神、そらに知ろしめす。
 すべて世は事(こと)も無し。
留保をもって言葉にむきあうという姿勢の大事さを考えるとき、いつも思いだすのは、ひろく世に知られる、この「春の朝」の最後の一行です。
この一行について、かつて、All's right with the world というブラウニングの言葉は、「世をあげてよろずめでたし」とでもすべき積極的な言い方になっているが、上田訳は「すべて世は事も無し」という消極的な表現になっている。だが、上田敏訳は一読そのうつくしさが感じとれ、直覚的にこれが適訳だとわかる、と言ったのは英文学者の福原麟太郎です。
「すべて世は事も無し」という一行には、日々の平凡さをたたえる、祈りにも似た思いが込められています。この国の歴史の光景のなかに「春の朝」を置いて読むと、平凡な日常の、平凡な真実をたたえているだけのように見える、この小さな詩の言葉が、実は、20世紀という戦争の世紀に対する留保の言葉として、あらためて、胸につよくのこることに気づきます。


日常というもののもつ意味を深刻なものに変えたのは、20世紀の戦争です。20世紀になってからの戦争が歴史に刻むことになったのは、戦争がもはや戦場で戦われる戦闘ではなく、戦争そのものが人びとの日常そのものになり、戦争下ではどんな極限状況もごくあたりまえの日常にほかならなくなった無残な記憶です。そうした戦争のあり方が世界からうばったものは、日々のよろこびがそこにある平凡な日常の風景です。
戦争のない日常の平凡な時間のうつくしさこそ、かけがえのない「人間の慰み」であり、わたしたち自身の手にとりかえすべき大切なものであるということ。「人はなぜ花や毛虫を愛するのか」という印象的な一行にはじまる詩を思い出します。
西脇順三郎の「花や毛虫」という詩。毛虫や花を、「からたちに柔いとげが生えだす頃」を、生命の本然をいとおしむのが人間なのだ、と言って、詩人はその詩を、再生と共生を基とする未来をみちびく「不思議な春」のイメージで、このように結びました。「『ばあさん、犬がほえてるぜ。また、他国の旅の人が来たんだよ』と、それが神さまであったことも知らずに、じいさんが言ったのだ。これはなんだ、ホーソンという人が作った童話だ。この神さまのおかげで、じいさんは樫になり、ばあさんはしなの木になって、互いに枝を交え抱擁して、不思議な春が来るのを永遠に待ってるのだ」(改行略)
「花や毛虫」をふくむ西脇傾三郎の詩集『近代の寓話(ぐうわ)』がでたのは53年、朝鮮半島全土を3年にわたって激しい戦場にした朝鮮戦争が休戦した年です。白いイバラの花もコヒルガオの花も、みんな「人間の悲劇」を飾っているのだ。そう記して、失われたものを季節のめぐりのなかにゆっくりとりもどしてゆく日々の回復力を信じた西脇順三郎は、昨年の新潟県中越地震で山河が裂けた小千谷が故郷だった詩人です。


戦争は、いまではおおくが、宣戦布告による国家間の、終わりをめざす戦いではなくなって、パニックによって激発する、終わりのない戦いになってしまっています。それだけにいまためされているのは、何をなすべきかでなく、何をなすべきでないかを言いうる、言葉の力です。何をなすべきかを語る言葉は、果敢な言葉。しばしば戦端をひらいてきた言葉です。何をなすべきでないかを語る言葉は、留保の言葉。戦争の終わりにつねにのこされてきた言葉です。
60年前、夏の青空の下の敗戦で終わった、それまでの戦争を基とした時代の後に、この国は自分から戦争をしないことを選んで、留保する自由を選びました。しかし、忘れないようにしたいのは、それからずっと、みずから留保する自由を選びつづけてきた最初の理由が、いまに至るまで、この国の自律の最後の根拠になってきたし、なっている、という事実です。