主体的日本とは何か「独自の情報基盤で多様な政策選択を」(財)日本総合研究所理事長 寺島実郎(朝日新聞2006年1月16日(月)夕刊)

主体的日本とは何か「独自の情報基盤で多様な政策選択を」(財)日本総合研究所理事長 寺島実郎朝日新聞2006年1月16日(月)夕刊)

広島の女児殺繋事件の犯人が入国ビザ偽装のペルー人だったことにより、ペルー人への日本でのイメージは極端に悪化している。また、昨年の「反日デモ」のような出来事を機に、中国・韓国への日本人の嫌悪感が高まっていることが意識調査でも明らかになっている。
怒りや苛立(いらだ)ちの中で、人間は憎み嫌悪する。素直な感情の吐露でもあるが、昂じると「ペルー人は」「中国人は」と一括りにした思考回路の単純化が始まる。

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海外で生活をする日本人もこうした単純な決めつけの対象とされ、当惑することがある。私自身、米国滞在期にオウムによる地下鉄サリン事件が起こった時の体験を忘れられない。「あなたも仏教徒か」と聞かれ「まあ、そうだ」と答えると、「オウムも仏教徒だろう。仏教って不気味だね。日本人も仏教徒が多いから、何をするか分らないよな」と言われ、憤激して反論したことがある。
9・11事件以降の米国社会におけるイスラム教徒への猜疑(さいぎ)心と嫌悪は尋常ではない。人間一人一人の評価が大切だと理性で理解していても、決めつけの誘惑に吸い込まれがちとなる。自分の理解を超えた事象に直面すると、極端な単純化という罠(わな)に陥りかねないのが人間社会なのである。
欧米社会でのパーティー・ジョークで何度となく聞かされた定番の話がある。「沈没した客船の救命ボートで、誰かが犠牲にならないと全員が死ぬという極限状況が生じた。英国人には、『あなたこそ紳士だ』というと粛然と飛び込んでいった。米国人には『あなたはヒーローになれる』というとガッツポーズで飛び込んだ。ドイツ人には『これはルールだ』というと納得した。日本人には『皆さんそうしてますよ』というと慌てて飛び込んだ」という小噺(こばなし)である。国民性をからかう笑い話なのだが、昨今、とても笑う気になれない。
やがて歴史家が二一世紀初頭の日本を総括する時が来れは、9・11後のブッシュのアメリカのサブシステムとして生きることを安易に選択した悲しむべき時代と位置付けるであろう。ブッシュ大統領自身が、「間違った情報に基づく戦争だった」と認めたイラク戦争への加担について、この国の指導者には心を痛めた省察がない。
何故、間違った情報に基づく戦争に巻き込まれ、この国の青年を海外派兵という形で危険に晒(さら)す状況に踏み込んだのか、為政者としての筋道だった誠実な思考が見えない。
政府筋の談話として、「サダム・フセイン大量破壊兵器を過去に使用したのだから、開戦も正当だった」との説明をしていたが、国際社会の常識としてこれほど卑劣な姿勢はない。米国とは異なり、日本は最後までサダムの政権と正式の国交を続けていたわけで、その間、大量破壊兵器の使用や人権問題でイラクを批判して国交を断絶したわけでもない。後追い的に自己正当化し、ずる賢く「あいつは危険な奴(やつ)だったから滅びて当然」と悪乗りしているわけで、その軽薄さは日本の品格を失わせている。

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改めて、イラク戦争に向かった局面で、この戦争を支持した日本のメディアの論説と知識人の発言を読み返し、その見解を支えた情報基盤の貧弱さと時代の空気に迎合するだけの世界観の浅さに慄然とさせられた。真摯(しんし)な省察がなければ、こうした失敗は繰り返されるであろう。
貧困な判断が繰り返される事態の本質を突き詰めると、戦後六〇年を経てもなお、米国への過剰依存と過剰期待の中で思考停止の中にある日本という姿が見えてくる。
アメリカを通じてしか世界を見ない」という枠組みに埋没し、主体性を欠く日本に対し、アジアの心ある人々は失望を隠さない。多少の利害得失があっても二一世紀のアジアを束ねて大きく方向付けしていく器の大きな指導者の要が見えないからである。アジアが期待する日本は、列強と轡(くつわ)を並べて軍を海外に展開する存在ではないはずだ。産業力と文化力によって敬愛される国を目指した戦後日本の実績を簡単に放棄してはならない。
主体的な政策を展開するには基盤条件が求められる。何よりも世界潮流を的確に認識する情報基盤が必要となる。米国が開示する情報だけを頼りに進路を模索する限り、選択肢は限られる。国家が国際社会で発言するためには、情報の収集・分析のための独自のシステム構築が求められる。とくに日本に不可欠なのが、アジア太平洋地域に関する情報機関、シンクタンクである。欧米諸国も、それぞれ多様で個性的な国際情報に関(かか)わるシンクタンクを育て維持している。
例えば、フランスは一九七四年、第一次石油危機直後に構想を発表し、アラブ諸国二二カ国の参画を得て、一三年をかけてパリに「アラブ世界研究所」を創設、中東・アラブの民族・文化から政治経済、石油に関わる情報の磁揚を形成してきた。フランスが中東外交において驚くような自己主張をする背景に、深く中東情勢を掌握している自信が存在することに気付く。日本は、生存に関わるアジア太平洋の地域情報についてさえ、米国が開示する情報以上のものを確保する態勢を確立していないといえる。

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アジア太平洋地域のエネルギー、環境、食糧、金融連携などのテーマに関し、この地域の若い専門家を集積し、共同研究する基点を主導的に構築すること、それによって重層的で多様な政策選択が可能になるわけで、広く確かな情報基盤がなければ、固定観念や偏見に支配され続けることになる。日本の二一世紀の国際関係を豊かな政策論の中で議論するためにも、産官学の協働に加え多様な個人が参加・支援する形の知的セクターの創造・強化が求められる。主体的思考を取り戻し、自らの殻を打ち破る第一歩である。