上田知事の教育行政

【上田知事の流儀 就任から3年】【4】教育に「情熱」(asahi.com 2006年9月10日(日))

◇公約なくこだわり貫く
清新なイメージに期待して、さいたま市浦和区に住む40歳代の男性会社員は、上田清司候補に投じた。
それが今、「1票を返してほしい」と思っている。期待から失望に変わったのは、「知事になって個人的な歴史観、教育観を県民に押しつけている」と感じるからだ。選挙公約には、教育に関する項目がなかった。知っていれば投票しなかった。
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上田は04年末、「新しい教科書をつくる会」元副会長、高橋史朗氏を教育委員に任命する。05年の教科書採択では、事前に委員6人のうち4人を知事公館に集め、「すべての教科書を読んだうえで判断してほしい」と要望する。この事実が公になると、「教育の政治的中立性を損なう」と、市民団体や教職員組合の反発を招いた。
無記名投票の結果、「つくる会」の教科書は採択されなかった。
当時の教育局幹部はこう振り返る。投票後、知事部局の職員から教育局に「誰が、どの教科書に投票したか教えてほしい。知事に報告する」という電話が入った。断ったものの、「なぜ知事はここまで教科書採択にこだわったのか。委員の投票結果を知って、どうするつもりだったのか」。
選挙公約に教育がないことは、就任直後の県議会でも指摘された。上田は「教育は長期的視点から取り組む事柄が多く、期限を設ける政策提言になじまない」と話しつつ、「最も重要な政策分野」と述べた。
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上田は「子どもの頃、教師になるのが夢だった」と折に触れて話している。やがて、日本の子どもを救うために国会議員になって教育制度を変えると決心。「政治家への夢は、教育を変えたいという思いから出発した」と言い切っている。
教育への「情熱」は、県平和資料館(東松山市)の年表にあった「従軍慰安婦」という言葉にも向けられた。6月議会で自民県議が「子どもが学習するのに偏った展示内容でよいのか」と見直しを迫った。上田は「古今東西慰安婦はいても従軍慰安婦はいなかった」と答え、「軍に強制的に徴用された証拠はない」との談話も出した。
質問した県議は「知事としての前にまず政治家。自分の信念を貫いた」と評価した。
一方で、市民団体のほか、平和資料館の運営委員の中からも「国の責任を認めた政府見解の否定ではないか」などと疑問の声が上がった。
上田の議会答弁を受け、毎年、秋に行われる資料館の運営協議会が7月に前倒しされた。
運営協議会では、展示物全体を見直す方針が示されたが、運営委員の1人は「なぜ、今、見直しの議論を始めるのかが分からない。政治的な圧力で、展示内容が変えられてしまうのではないかと心配だ」と話した。
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教育や歴史に関する上田の発言には、現場の教員や教育局の職員も神経をとがらせている。「教育現場がいかに自分たちの形式、慣例に捕らわれているかに怒りを感じる」と批判の矛先を向けられているからだ。
上田は教育行政と首長の関係について、こう語っている。「首長が教育行政の責任者を兼ねることがあっていい。変なことをすれば、選挙で落っこちる。そのために選挙がある」(敬称略)