「教基法は教職員の法令遵守が眼目」

【正論】八木秀次 教基法は教職員の法令遵守が眼目(コラむニュース:イザ! 2006年11月10日(金))

■左派系教職員組合の影響力排除を
≪「愛国心」盛り込む意味≫
教育基本法の改正案が衆議院に上程され、審議が行われている。今のところ、いじめや高校の必修科目の履修漏れに時間が割かれ、本質的な問題は後回しにされている。
メディアは相変わらず法案にある「愛国心」に関心があるようだが、政府案の「愛国心」は「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」とし、表現も控えめで、5つある教育目標の最後に置かれたものに過ぎない。
私などには物足りないが、この程度のものが改正反対派からは大問題のように騒がれている。いわく「戦争をする国」への大転換、戦争を担う「お国のための子ども」をつくる狙いだ、国家主義軍国主義・ファッショへの道だ、等々。十年一日の如く変わらぬ台詞(せりふ)でうんざりする。もちろん為にする議論だ。
愛国心の涵養(かんよう)については、既に学習指導要領で規定されている。例えば小学6年生の歴史学習の目標には「我が国の歴史や伝統を大切にし、国を愛する心情を育てる」とある。しかし、この法的拘束力を持つ指導要領に反する指導が教育現場では横行しているために、上位法である教育基本法で規定せざるを得ないのだ。
教育現場がどこの国でも行われている自然な愛国心の涵養をしているのであれば、その必要はないが、「国を愛する心情」どころか「国を憎悪する心情」を育てているがゆえにあえて法律で規定せざるを得ないのである。
日教組や全教の影響力大≫
このような事態に至った背景には言うまでもなく、左派系の教職員組合の存在がある。組織率は低下したとはいえ、日教組や全教など、いまだにマルクス・レーニン主義を信奉する教職員組合が我が国の教育界では大きな影響力を振るっている。その組合が組織の運動として「日の丸・君が代」反対闘争や反戦教育、反日自虐教育をしているがゆえに、いくら学習指導要領で愛国心の涵養を規定しても実効力がなかったのだ。
あまりはっきり言う人はいないが、今回の教育基本法改正の眼目の一つは、この左派系教職員組合の影響力を排除し、教育の主導権を国民の手に取り戻すことにある。冷戦が終焉(しゅうえん)して15年以上も経つのに、我が国の教育界には依然として「東側」、いや38度線の北側に位置する勢力が大きな影響力を持ち続けている。そして税金を使って、国家の転覆を考えるような子供や日本に帰属意識を持たない子供を大量生産している。それを正常化するのが教育基本法改正の目的の一つなのだ。
その意味で改正法案の大きな目玉となるのは「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり」とする第16条第1項前段の規定である。
現行教育基本法第10条第1項の「教育は、不当な支配に服することなく」の規定は、文部科学省教育委員会の教育内容への関与を「不当な支配」として排除し、左派系教職員組合や連携する外部団体の文字通り“不当な支配”を招いたいわく付きのものだが、そこに法律の縛りをかけることによって、教育は法令に基づいて行われなければならないことを規定するものだ。
≪「不当な支配」とは何か≫
東京都教育委員会の国旗国歌指導をめぐる9月21日の東京地裁判決でも明らかになったが、現行法の第10条第1項の規定は教育公務員たる教職員が法令を遵守(じゅんしゅ)しないことを正当化する根拠となり得る。学習指導要領は「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする」と、教職員に児童生徒への指導を義務付けているのに、それを遵守せず、入学式や卒業式に「日の丸」にバッテンをしたTシャツを着てきたりサンダル履きで出席した教職員を処分することが「不当な支配」とされたのだ。
この一事をもってしても現行教育基本法では教育界の正常化は難しい。そこで「この法律及び他の法律に定めるところにより行われるべきものであり」との文言を付け加え、教職員に法令遵守の徹底を求めようというのである。
必修科目の履修漏れでも明らかなように、教育現場の遵法意識は低い。それが国旗国歌の問題や勤務時間中の組合活動、露骨な選挙運動という違法行為にも繋がっている。
左派系教職員組合の影響力を排除し、教育界を正常化するためにも早期の教育基本法改正が望まれる。(やぎ ひでつぐ=高崎経済大学教授)