灰谷健次郎さんを悼む「ワンパクを愛し 愛された」永六輔(放送タレント)(朝日新聞2006年11月27日(月)夕刊)

灰谷健次郎さんを悼む「ワンパクを愛し 愛された」永六輔(放送タレント)(朝日新聞2006年11月27日(月)夕刊)

灰谷作品で僕が愛読しているのは「ろくすけ どないしたんや」(理論社)です。
その理論社を作り、灰谷さんを育てた編集者の小宮山量平さんとばったり会ったとき、すれ違いざまに出てきたことばは、「困りましたねェ」「困ったよなあ」というものでした。
灰谷健次郎のハの字も出さずとも、さっと通じるぐらい、お互いに気がかりだったのは友の病状でした。
亡くなったという連絡を受けたのは、小宮山さんとばったり会った翌日です。
灰谷健次郎というと、ふつうは作家として児童文学を大人の世界に引っ張り上げた功績で知られていますが、ぼくにとっては、遊び仲間です。
20年以上も、あちこち一緒に講演に出かけたりしましたが、ほんとうに子どもが好きで、子どもに好かれる男でした。彼のまわりには、はればれするようなワンパクがいつもたくさん集まって、そんなワンパクどもと彼はまともに、正面から向き合っていました。
海が好きで、素潜りが好きで、沖縄の家も熱海の仕事湯も、水平線が目の前に見える造りでした。
明るく、健康そうに見える生活でしたが、お兄さんが自死されていることもあり、根は意外に暗く、ニヒル(虚無的)なところもありました。
一昨年、食道がんの手術をする前夜に、「みんな集まって欲しい」と連絡がありました。お医者さんに止められているのに、「手術前にうまいものを食いたい」と言って譲らず、みんなでカニを食べることになりました。
お医者さんにはしかられましたが、男の友達として、節の通った友達でした。
あちこちの講演で、灰谷さんは子どもの詩を朗読していました。しゃべりではぼくに負けてしまうので、彼なりに考えた得意技でした。
「いまから/パパのゆめをみるから/まゆみちゃんがねてから/おめめのなかに/はいってきてね」という4歳のなかむらまゆみちゃんの「ゆめをみるから」という短い詩から「チューインガム」という万引きを痛切に反省する8歳の子の詩まで6点が選ばれています。子どもの純粋さを愛し、過ちを犯しても子どもたちのなかに立ち直る芽のあることを信じている灰谷の世界が伝わってくる選択です。
灰谷さんは「もし僕が読めなくなったら、永さんが代わりに読んで」といって、その詩を渡してくれましたが、関西弁でとつとつと読む灰谷さんの口調がよみがえってきます。
そして追悼する僕の耳元に聞こえてくるのは「ろくすけ どないしたんや」。 灰杏さん、君こそ「どないしたんや」。