防衛大臣辞任に関する各紙の社説

社説:久間氏辞任 心からの反省が伝わらない(MSN-Mainichi INTERACTIVE 2007年7月4日(水))

久間章生防衛相が3日辞任した。米国の広島、長崎への原爆投下に関して「あれで戦争が終わったのだ、という頭の整理で今、しょうがないなと思っている」と発言したことに対して反発が広がったためだ。
久間氏の発言は核廃絶を訴える国の方針に反し、筆舌に尽くしがたい苦痛を味わってきた被爆者やその家族の心情を踏みにじるものだった。辞任は当然のことであり遅すぎるぐらいだ。
久間氏からは、今回の発言以外にもたびたび問題発言が飛び出していた。国の安全保障を担当する防衛相は、閣僚の中でもとりわけ国民からの信頼が必要であり、これ以上その任にとどまることは不可能だった。
発言は、状況によっては原爆使用を容認できるという認識を示した点で大きな問題となった。これは非核三原則の下で核拡散防止条約(NPT)の重要性を訴え、「核廃絶が日本の使命だ」(安倍晋三首相)という政府の姿勢と一致しないからだ。
長崎市の田上富久市長は3日、防衛省を訪れて抗議したが、久間氏は「申しわけない」と頭を下げるだけで、市長を納得させることはできなかった。
久間氏は「原爆を是認したわけではない」と弁明している。「しょうがない」のニュアンスがうまく伝わらず、言葉尻をとらえられたという言い分だ。
しかし講演では「国際情勢や戦後の(日本の)占領を考えるとそういうこと(原爆投下)も選択肢としては、戦争になった場合はあり得るのかなと(思う)」とも述べている。このように日本への原爆投下について、選択肢として容認しており、認識そのものが間違っているのだ。
3日、自民党選挙協力を期待する公明党浜四津敏子代表代行が自発的な辞任を促し、同党は久間氏の釈明のための訪問を拒否した。辞任の弁で久間氏は「選挙のマイナスにならないように身を引く」とも語った。
心からの反省ではなく、こう選挙対策による辞任を前面に出されては、あきれるしかない。
安倍首相の対応にも問題があった。首相は久間氏の発言当初、「惨禍の長崎について忸怩(じくじ)たるものがある、という考え方も披歴された」と久間氏をかばった。
小沢一郎民主党代表との討論でも「核廃絶についてこれからも大いに力を発揮してほしい」と罷免を拒否している。核兵器廃絶への姿勢を見せるためにもただちに厳しい認識を示すべきだった。
首相は「産む機械」発言の柳沢伯夫厚生労働相、光熱水費問題で批判を浴びた松岡利勝前農相をかばい続けた。今回の久間氏に対しては参院選があるため、かばい続けることができなかったというのが実態だろう。久間氏を任命した責任を首相は厳しく問われよう。
久間氏の発言で、核兵器廃絶を訴える日本に対する国際社会の信頼は損なわれた。首相は、核兵器廃絶への決意を改めて語るべきである。



社説:防衛相辞任―原爆投下から目をそらすな(asahi.com 2007年7月4日(水))

米国による広島、長崎への原爆投下について、「しょうがない」と講演で述べた久間章生防衛相が辞任を表明した。
原爆投下を容認するかのような発言は、被爆者の痛みを踏みにじり、日本の「核廃絶」の姿勢を揺るがすものだった。辞任は当然である。
当初、久間氏は発言を訂正しないと言い、安倍首相も問題視しない姿勢をとった。ところが、被爆地の怒りがやまず、世論調査でも内閣支持率の低下が止まらない。参院選が戦えないという与党内の批判で追い込まれたのが実情だろう。
悲惨な被爆体験は戦後日本の原点にかかわるものだ。それなのに、政治の感度は鈍かったとしかいいようがない。
久間氏は辞任するが、これで一件落着したわけではない。久間発言は無思慮ではあるが、そういう物言いを生み出す土壌があると思わざるをえないからだ。
それは、米国の原爆投下に対し、日本の政府が厳しく批判せず、国民の動きも十分でなかったことだ。
広島と長崎に原爆が投下された直後の45年8月10日、政府は国際法違反として米国に抗議した。終戦後の同年9月には、のちに首相になる鳩山一郎戦争犯罪と批判した。この発言を掲載した朝日新聞は占領軍により発行停止になった。戦犯を裁いた東京裁判でも、日本側は原爆投下を違法と主張した。
原爆投下を糾弾する動きはここで止まる。政府が黙ってしまったのは、平和条約で、米国などの連合国への請求権を放棄したことが大きいだろう。法的にものを言うすべを失ったということだ。
だが、それだけではあるまい。日本は米国に無謀な戦争を仕掛けて、敗れた。しかも、敗色が濃厚になっても、戦争をやめなかった。そんな負い目が戦後の日本にあったからではないか。
久間氏の発言は、こうした心理がうっかり漏れたということだろう。
しかし、戦争ならばどんな手段でも許されるということではないはずだ。原爆は破壊力がけた外れに大きいだけでなく、生き延びても後遺症を残す兵器である。その非人道的な性格については、いくら批判してもしきれないほどだ。
原爆投下が間違っていたと米国を説得するのは並大抵ではない。米国人の多くは原爆投下によって戦争終結が早まったと信じている。米政府は謝罪したことはないし、現職の大統領が広島や長崎を訪れたこともない。
だが、戦後50年に米国で開かれた原爆をめぐる展示では大論争があった。米国にも原爆投下に批判的な声がある。
マクナマラ元米国防長官は、自らが携わった原爆を含む日本への無差別爆撃について「勝ったから許されるのか。私も戦争犯罪を行ったんだ」と語った。
原爆投下が誤りであり、原爆の被害が悲惨なことを、日本から粘り強く発信し、米国に伝えていく。そのことの大切さを久間発言で改めて痛感する。



防衛相辞任 冷静さを欠いた「原爆投下」論議(7月4日付・読売社説)

久間防衛相が、米国の原爆投下をめぐる発言による混乱の責任をとって辞任した。先の講演で、「あれで戦争が終わった、という頭の整理で今しょうがないなと思っている」などと述べていた。「しょうがない」とは、全く軽率な表現である。
参院選を目前にして、野党側は、その表現のみをとらえ、安倍政権批判の格好の材料として罷免を求めた。与党も、選挙への悪影響を懸念して浮足立った。混乱したあげくの辞任劇である。
久間氏は、日本政府のイラク戦争支持は「公式に言ったわけではない」と語るなど失言を重ねていた。このような言動を繰り返しては辞任もやむをえまい。
久間氏は講演で、米国は、「日本も降参するだろうし、ソ連の参戦を止めることができる」として原爆を投下したとの見方を示した。これは、誤りではない。当時、ソ連に対して不信感を募らせていた米国は、ソ連の参戦前に早期に戦争を終わらせたいと考えていた。
同時に、久間氏は、「勝ちいくさとわかっている時に、原爆まで使う必要があったのかという思いが今でもしている」と付言していた。
米政権内部でも、敗色濃い日本への原爆投下については、アイゼンハワー元帥(のちの米大統領)が反対するなど慎重論は強かった。久間氏は、米国が非人道的兵器の原爆を使用したことに疑義も呈していたのである。
そもそも、原爆投下という悲劇を招いた大きな要因は、日本の政治指導者らの終戦工作の失敗にある。仮想敵ソ連に和平仲介を頼む愚策をとって、対ソ交渉に時間を空費し、原爆投下とソ連参戦を招いてしまったのである。
しかし、野党側は、「米国の主張を代弁するものだ」「『しょうがない』ではすまない」などと感情的な言葉で久間氏の発言を非難するばかりで、冷静に事実に即した議論をしようとしなかった。
疑問なのは、民主党の小沢代表が、安倍首相との先の党首討論で、原爆を投下したことについて、米国に謝罪を要求するよう迫ったことだ。
首相は、核武装化を進め、日本の安全を脅かす北朝鮮に「核兵器を使わせないために、米国の核抑止力を必要としている現実もある」として反論した。
当然のことだ。日本の厳しい安全保障環境を無視した小沢代表の不見識な主張は、政権担当能力を疑わせるだけだ。
久間氏の後任には、首相補佐官小池百合子氏が就任する。国防をはじめ、国の責任を全うするためにも、安倍政権はタガを締め直さねばならない。



【主張】久間防衛相辞任 遅きに失した決断だった(Sankei Web 2007年7月4日(水))

米国の原爆投下を「しょうがない」と発言し、厳しい批判を受けていた久間章生防衛相が引責辞任した。
被爆者はもとより、国民感情を考えれば、多大の犠牲者を出した原爆投下を容認するような発言が極めて不適切なのは自明のことだった。
現職の防衛相で、しかも被爆地、長崎県選出の政治家である。イラク戦争をめぐる米国の判断を公然と批判する発言もあった。資質にかかわる問題とみなされてもやむを得ず、自ら進退を明確にしたのは当然だ。
5月には前農水相が自殺した。参院選を控え、失言による重要閣僚の辞任は、安倍政権にとって少なからずダメージとなるのは避けられまい。
先月30日の問題発言以降、安倍晋三首相は2日に久間氏を官邸に呼び、厳重注意こそしたが、更迭する考えは示していなかった。
その間、被爆者団体や地元自治体の反発、野党側の追及姿勢が強まり、与党からも辞任論が出るに至った。
久間氏が参院選への悪影響を考慮して自ら身を引いた形だが、首相が指導力を発揮し、すばやく更迭すべきではなかったのか、という思いは残る。
野党側は年金記録紛失問題に加え、久間発言を争点化し、政府・与党を攻撃しようとしたが、久間氏の辞任によりそのもくろみは外れそうだ。
今回のような失言が許されないのは当然だが、核問題を政争の具のように扱うことは避けるべきである。
日本は唯一の被爆国として、核廃絶を目指す立場がある。同時に、自国の安全保障を米国の核の抑止力に大きく依存している現実がある。
1日に行われた安倍首相と小沢一郎民主党代表との党首討論でも、この問題が取り上げられた。
小沢氏は核の抑止力の重要性を認める一方、米国には原爆投下に関する謝罪を要求すべきだと主張した。
これに対し、首相は米国に謝罪を求めつつ、核の抑止力の提供を求めるということが、現実の外交上は簡単でない点を率直に認めた。
日米同盟を維持、強化しながら、日本は核をどう考えていけばよいのか。後任の小池百合子氏や政府関係者はもとより、国民もこの問題に正面から向き合いたい。



【社説】防衛相辞任 後手の首相にまた打撃(東京新聞 2007年7月4日(水))

舌禍の久間章生防衛相が辞任した。発足わずか九カ月あまりで安倍政権は辞職閣僚三人(一人は自殺)を出したことになる。極めて異様で深刻な事態だ。首相は国民の不信をどう、ぬぐうつもりか。
辞任を申し出た久間防衛相に、安倍晋三首相は慰留の言葉を口にしなかったとされる。昨年の暮れに政治資金の不適切経理などで行革担当相を辞めた、佐田玄一郎氏のケースと同じである。
世間の批判を浴びても自ら辞めないうちは「私の内閣」のメンバーをかばい続ける。現職農相で自殺した松岡利勝氏についてもそうだった。任命権者としての自身の責任を認めながら強気の構えを崩さず、問題の風化を待つ。そういうスタイルなのだろう。「後手」批判も覚悟で。
米国による原爆投下を「しょうがない」と言った久間氏に、被爆国・日本の世論の反発はすさまじいものがあった。広島、そして久間氏の地元・長崎の被爆者団体はもちろん、目前の参院選を戦う自民、公明の与党候補からも辞任要求が出た。
久間発言の直後に「米国の考え方を紹介したもの」とかばった首相もさすがにぶれて、撤回と謝罪を繰り返す久間氏に厳重注意した。そこで直ちに更迭しておれば世論の受け止めも違ったのに、といぶかる自民党支持者も多かったはずである。
直前までメディアに辞任しない考えを述べていた久間氏はこう言っている。「参院選に影響を与えてはいかんのだからね。それが気になってしょうがなかった」。実は辞任申し出の前に、公明党浜四津敏子代表代行が厳しい口調で久間氏自ら進退を決断するよう促していた。
背後の創価学会の意思がそうであるなら、参院選で支援を得ねばならない自民党は万事休すだ。久間氏の判断はそれなりに想像がつく。与野党逆転阻止を至上命題とする首相が慰留しなかったのもうなずける。
久間氏の騒動は今回だけでない。米軍再編の対米折衝に不満を口にした。ハト派らしく米国の対イラク開戦の判断を批判したこともある。首相周辺では「産む機械」発言や年金問題で針のむしろの柳沢伯夫厚生労働相とともに、選挙後の内閣改造での更迭が検討されていたとも聞く。統率の緩みが政権に並大抵でない痛手を招いた。
後任の防衛相には首相補佐官小池百合子氏が起用された。またも取り巻きグループの一員だ。選挙戦へ広告塔を、の算段なのか。だが、底が抜けたような政権の存続へ、小手先で振る舞われては、国民が迷惑する。ことはもう、参院選の勝ち負けどころの話ではなくなっている。



社説:政権は「核廃絶」の誓いを 久間防衛相辞任(西日本新聞 2007年7月4日(水))

米国の原爆投下を「しょうがない」と発言した問題で、久間章生防衛相が閣僚を引責辞任した。
久間氏は安倍晋三首相に「参院選を前に私の発言でいろいろ迷惑をかけた」と辞任理由を述べたという。
自らが辞任することによって、野党の罷免要求をかわし、国民の批判や不信を沈静化させようというわけだろうが、背景には、目前に迫った参院選で苦戦が予想される与党の圧力があった。
裏を返せば、この発言が参院選の直前でなければ、久間氏は辞任に至らなかったかもしれない。
安倍首相や与党にとっては、これで政治的には「幕引き」をしたことになるのかもしれないが、今回の久間氏の発言をめぐる問題をこのまま一件落着させるわけにはいかない。
久間氏の発言とその後の安倍首相らの対応が、世界に核兵器廃絶を訴え続けている被爆国の政治指導者として、問題意識と感性に欠けていたと言わざるを得ないからだ。
久間氏の発言は、それがたとえ原爆被害を防げなかった当時の日本政府批判が趣旨であったとしても、米国の原爆投下を「しょうがない」と言ってしまったのでは、理由があれば核兵器使用を容認できると受け取られても仕方あるまい。
被爆の実相を訴え核廃絶への努力を続けてきた被爆地や被爆者の心情や、平和を願う多くの国民の思いを踏みにじっただけではない。
核兵器使用を「国際法の思想的基盤にある人道主義に合致しない」とする政府見解からも逸脱する発言である。
その意味で、久間氏が発言を謝罪し、閣僚を辞任したのは当然だが、見逃してならないのは辞任の理由と安倍首相の反応の鈍さとその後の対応である。
辞任理由の第一が、目前に迫った参院選への影響を最小限に食い止めるためというのでは、政治的すぎる。
批判されるべきは「理由があれば核兵器を使用できる」という考えにつながりかねない発言内容であったはずだ。
久間氏の発言を「米国の考え方を紹介したと承知している」と述べ、問題視しない姿勢だった安倍首相が2日後に久間氏に厳重注意したのも、選挙を戦えないとする自民党公明党からの圧力があったからだろう。首相が久間氏に発言内容の全面撤回を求めたフシはみられない。
そこでは、戦後日本が取り組んできた核兵器廃絶への努力や熱意が、選挙最優先で「二の次」に置かれてしまった。一連の安倍政権の対応には、そんな危惧(きぐ)がつきまとう。
久間防衛相の発言を久間氏個人の問題に帰すのではなく、政権全体の問題として受け止めて、あらためて政権として核兵器廃絶努力への決意を国民と国際社会に誓う機会とすべきではないか。それが被爆国の政権の務めでもあろう。