ノリックに関するコメント

ロッシ「ノリックは自分に大きな影響を与えたライダー」(MotoGP速報ニュースサイト インテリマーク 2007年10月12日(金))

オーストラリアGPの初日、フィアットヤマハバレンティーノ・ロッシコーリン・エドワーズは、路面状況が絶えず変化する不安定な路面状況の中、慎重に走るタイミングを伺いながら10月14日の決勝レースに向けて、マシンのセッティング作業を進めたようだ(初日の全ライダーの総合順位はこちらの記事を参照の事)。


アバルト色でオーストラリアGPを戦うフィアットヤマハ
今回2名はチームのタイトル・スポンサーであるフィアットのグループ傘下において、イタリアの自動車メーカーであるアバルト(ABARTH)ブランドが復活を遂げた事を記念するスペシャル・カラーのマシンでレースウイークを過ごす事になっており、彼らのYZR-M1はアバルトのブランドイメージである紅白色に彩られている。


■午前はストーナーから2秒以上引き離されたロッシ
この日の午前中は一時的な豪雨に見舞われ、走行するタイミングが大きくタイムに影響した事もあり、ロッシは午前のフリープラクティスでは3番手タイムの1 分33秒420を記録したものの、ドゥカティーのケーシー・ストーナーが午前に記録したトップタイムの1分31秒132からは2秒以上もの差を開かれていた。


■午後の改善状況には納得するロッシと落ち込むエドワーズ
午後には午前のセッションに比べてドライの時間が若干多く取れた事から、ロッシは時間を有効に使ってセッティングの改善を順調に進める事に成功し、この日の最後には総合トップのストーナーとは約0.8秒差になる総合4番手タイムの1分31秒934までラップタイムを改善しており、マシンの仕上がり状況にはほぼ満足ができた様子だ。
その一方で、午前には11番手、午後にはさらに順位を落とし、総合15番手の順位で得意とするフィリップ・アイランドの初日を終えたコーリン・エドワーズは、この日の結果に落胆しており、まだ2日目以降も多くの作業が必要だとしている。


■ロッシ「ノリックは自分に大きな影響を与えたライダー」
このレースウイーク初日の前日となる10月11日、MCNはノリック阿部典史選手)の訃報に関するバレンティーノ・ロッシのコメントを掲載している。ロッシが9月16日にヘリコプター事故で亡くなった元WRCチャンピオンのコリン・マクレーと、今週の7日に交通事故で亡くなったノリックを、彼にとっての最高のヒーローとして少年のころから憧れ続けてきたのは今や有名な話だが、ロッシは尊敬する2名を2週間のうちに連続して失うという予想外の出来事にショックを隠せない様子だ。グランプリにデビューした当時のロッシが真っ先に会いに行ったのもノリックだった。
以下に、10月11日にMCNが掲載したロッシのコメントを引用する。
「自分にとって、今年はあまりいい年とは言えません」とロッシ。
「2週間の内に自分のヒーローが2人も亡くなってしまうなんて信じられません。子供の時の自分の部屋の中はノリックコリン・マクレーのポスターばかりでした。3〜4枚がコリンのポスターで、他の何枚かはノリックです」
「1994年のノリックの500ccデビュー戦ビデオをいつでも見ていました。ノリックがケビン(シュワンツ)とミック(ドゥーハン)を相手に戦い、至る所で抜きにかかるやつです。2〜3ヶ月は毎日そのビデオを観てから学校に行っていたのを覚えていますね。朝の7時に起きてノリックが転倒するまでをビデオで流して、それから家を出ていました。彼は自分に大きな影響を与えた人です」


■ロッシは初日の作業内容にはほぼ満足
レースウイークの初日を終えたロッシは、この日は残念な天候になったとしながらも、初日の調整内容としては満足のいくレベルに到達できたと述べ、翌日以降は大好きなフィリップ・アイランドで好天に恵まれたいとしている。
「今日は信じられないような天気でしたね。路面状態が4〜5回ウェットからドライに変わりましたから、本当に難しい状況でした。特に路面温度がすごく低かったし、走行条件があまり良くなかったのは事実です」とロッシ。
「ただ、結果的には悪い日じゃなかったと思います。作業は進みましたし、何種類かのセッティングを試しながら明日に使えそうないいタイヤも見つかりました。今日はウェットとドライの両方のタイヤをかなりの本数試す事になりましたが、初日としてのセッティングの到達度合いはそれほど悪い状況ではありません。温度さえもっと高かったらさらに調子は上がっていたとは思いますが」
「最終的には4番手タイムという結果でしたが、まだ解決しなければいけない問題を抱えている事を思えば上出来の方でしょうね。フロント荷重がまだ十分ではなくて、高速コーナーで十分な速さを得る事ができてはいませんが、明日にこれらの問題を解消するアイデアはすでにいくつか持っています」
「ここのコースは大好きですし、いつもすごくいい気分で走れてきましたが、マシンが800ccになっても何の違いもありませんでした。もちろん今日はいい走行条件ではありませんでしたし、完全に楽しんで走るのは難しい日でしたから、明日はもう少しいい日に恵まれたいですね」


■落ち込むエドワーズ「全く思い通りにならなかった」
SBK時代には8回の表彰台を記録している得意のフィリップ・アイランドで最悪のレースウイーク初日を迎える事になってしまったコーリン・エドワーズは、この晩にはデータを分析してベースセッティングを見直し、2日目からの挽回に備えたいとコメントしている。
「フィリップアイランドの初日に期待した日とは全く違いました」とエドワーズ。
「自分がバイクに乗られているような1日で、バイクに自分が乗ってるという感触が全然ないんです!正直、転ばないで最後まで頑張ろうと思うのが関の山でした。恐らくベース・セッティングがあまりいい状態じゃないんでしょうね。バイクはものすごく挙動が過敏で気難しい状態でしたから、まだ多くの調整を加える必要があるのは間違いありません」
「同じバイクなのにバレンティーノの方は好調ですから、彼が何をどう調整したのかを確認して、それが自分たちにも役立つかどうかを調べるつもりです」
「今日はタイヤに好感触を得られていた時の状態に全く辿り着けていませんから、今晩はかなりの作業が必要になります。ここに来るのをいつもすごく楽しみにしているので、初日は本当にがっかりです。大好きなサーキットなのに、今日は1周すら納得のいく走りができなかったんです」
「いずれにしても、今晩は大きなミーティングを開いてデータを確認しますし、チームのスタッフを信じていますから、いつも通りのここでの流れを取り戻す事ができると信じています」


■ブリビオ監督「ロッシは大丈夫、エドワーズはデータ検証から」
フィット・ヤマハのチーム監督であるダビデ・ブリビオは、この日は誰にとっても難しい走行条件だったと語る。
「残念ながら今日は非常に悪い天候に当たってしまいました。誰にとっても難しい1日になったと思います」とブリビオ監督。
「この状況にもかかわらずバレンティーノは順調なレースウイークの滑り出しとなり、順位も悪くありませんでしたから、この調子を明日も最後まで持続できるように頑張り、彼にとって最高と言えるパッケージに仕上げていくつもりです」
「今日のコーリンは多くの問題を抱えており、彼が快適と思える状態に仕上げるには多くの作業が残っていますが、まだ今日は金曜日ですからデータを検証する時間はありますし、これからいくつか調整を加える事ができます」
「明日はもっといい天気に恵まれて、みんながここで楽しみながら力を最大限に発揮できるようになる事を祈ります」



ホンダ関係者が語るノリックの思い出(MotoGP速報ニュースサイト インテリマーク 2007年10月12日(金))

交通事故により10月7日に帰らぬ人となったノリックこと阿部典史選手の思い出を、現役MotoGPライダーを含むホンダ関係者が、オーストラリアGP初日の10月12日に追悼の言葉として発表している。
ホンダの公式リリースとしてコメントを発表しているのは、ノリックのデビュー時の走りに衝撃を受け、13歳の時に何度もそのレースをビデオで見直したというレプソル・ホンダのニッキー・ヘイデン、グランプリ最高峰クラスの5連続チャンピオンであり、ノリックのグランプリデビューから500ccの時代を共にしたミック・ドゥーハンヤマハ時代の後輩であり、現在はコニカミノルタ・ホンダで戦う中野真矢選手、ダニ・ペドロサのチーフ・クルーであり、1994年はレースでノリックとのバトルを演じたアルベルト・プーチ、ノリックのTECH3ヤマハ時代のメカニックであり、現在は青山周平選手のチーフメカニックを務めるジル・ビゴーの5名だ。
以下にその言葉を紹介する。


■レプソル・ホンダ ニッキー・ヘイデン
ノリックを相手にレースで戦ったのは本当に短い期間に過ぎませんが、僕にとって何よりも強い彼の印象と言えば1994年の日本GPです。あの時の自分はまだ13歳でダート・トラックのレースに出場していた頃です。
アメリカでは生中継じゃなかったので、自分のモーターホームの中で録画を見ましたが、それを見た時には「あの髪の長いやつは一体何者だ?!」って叫んでいました。ミック・ドゥーハンケビン・シュワンツを相手に互角に戦ってるライダーが、ワイルドカード出場だっていうんです。あのビデオは何回も繰り返し見ました。
彼が亡くなったなんて本当に悲しいです。今の時点では、それしか言葉がありません。


■最高峰500ccクラス5連続チャンピオン ミック・ドゥーハン
本当に悲しいです。
ノリックを1994年の日本GPで見た時にはクレージーなのが出てきたと思いましたね。日本GPの直後に彼はヤマハに移籍してしまったので、彼とはあまり話す機会はありませんでしたが、その後の彼はパドック内の全ての人から愛されていました。
彼はレースでもあまり転ばないライダーでしたから、交通事故に巻き込まれてしまうなんて、本当に不運に見舞われたのだと思います。
非常に悲しいです。ご家族の方には、心よりお悔やみ申し上げます。


コニカミノルタ・ホンダ 中野真矢選手
ノリックさんにはトップライダーとして憧れていました。同じクラスで戦うようになってからはライバルでしたが、常にあの人のアグレッシブなライディング・スタイルには感動していました。
亡くなったと聞き本当にショックです。世界のレース界にとっての大きな損失です。全日本選手権をこれからもり立てていかれるのだとばかり思っていました。
本当に残念でなりません。


ダニ・ペドロサのアドバイザー兼チーフ・クルー アルベルト・プーチ
1994年のシーズン中はノリックと何度もレースで戦っていますし、ブルノでいいバトルを互いに演じた事を良く覚えています。
彼は加速時にマシンを立て直すのが非常にうまいライダーでした。ライディング・スタイルが変わっているのにものすごく速いんです。すごく才能のあるライダーでした。
照れ屋でしたが、すてきな青年でした。
他のみんなと同様に、話を聞いて大変なショックを受けています。本当に悲しいです。


ノリックの2004年TECH3時代のメカニック ジル・ビゴー(現在は青山周平選手のチーフ・メカニック)
ノリックとは2004年にヤマハで一緒に働きました。
彼はサンデー・レーサーでした・・・と言うのは、彼は金曜日と土曜日は普通にしているのに、日曜日の朝になると突然アドレナリンがあふれ出して集中力が急激に高まるんです。
2004年シーズンの終わりに、彼は私に思い出の品としてヘルメットをくれましたが、それを今でも家に保管してあります。
バレンシアでレースがあった時に彼は私の家に来たんですが、その時に私は彼が出場した1994年の鈴鹿のポスターを差し出して彼にサインをねだったことがあります。そしたら彼は1994年の日本グランプリに関する品物を何一つ持っていないと言うので、結局、私から彼にそのポスターをプレゼントする事になりましたが。
彼がいなくなり、本当に寂しく思います。