ノリック葬儀

ノリック通夜に2000人…戒名「正道院弐輪英雄典久大居士」(スポーツ報知 2007年10月13日(土))

7日に川崎市内で交通事故死したレーシングライダー阿部典史さん(享年32歳)の通夜が12日、東京・青山葬儀所で行われ、約2000人が参列した。
祭壇の棺(ひつぎ)には、2000年日本GPに勝った時のレーシングスーツがかけられていた。「引退間際のオレが(代われるものなら)代わってあげたい」と13日の葬儀・告別式で弔辞を読むライダーの伊藤真一(40)は沈痛な表情。元GPライダーの原田哲也(37)は「天国で大ちゃん(03年4月、レース中に事故死した故・加藤大治郎さん)と一緒に走ってほしい」と冥福(めいふく)を祈った。鈴木亜久里スーパーアグリF1代表、大関千代大海、V6の長野博らも姿を見せた。
戒名は「正道院弐輪英雄典久大居士(しょうどういんにりんえいゆうのりっくだいこじ)。来世でも、“ノリック”の愛称のまま走り続ける。



阿部典史:ノリックに別れのエンジン音、3000人号泣(毎日新聞 2007年10月13日(土))

7日に交通事故で急逝した、オートバイレーサー阿部典史さん(享年32歳)の告別式が13日、青山葬儀所(東京都港区)で開かれた。親しみやすいキャラクターから「ノリック」の愛称で親しまれ、ファンや関係者3200人が最後の別れに訪れた。出棺時には、ゼッケン「81」を付けた愛用のマシン「YZF−R1」(ヤマハ)を関係者らが始動、エンジン音が2度、3度と会場を包むと、ファンは泣き崩れ「ノリック、ありがとう!」と叫びながら故人を見送っていた。
阿部さんは5歳からポケバイを始め、93年に初参戦した「全日本ロードレース選手権」(500ccクラス)で史上最年少(18歳)で王者に輝いた。94年にワイルドカードを受け挑戦した、二輪世界最高峰の「ロードレース世界選手権」(500ccクラス/現在のモトGP)の「日本グランプリ(GP)」では、強豪ミック・ドゥーハン選手(オーストラリア)、ケビン・シュワンツ選手(アメリカ)らとトップ争いを繰り広げ、世界の注目を集めた。96年の「日本GP」で初優勝。99年の「リオGP」、00年の「日本GP」と通算3勝を挙げている。05年、06年は「ワールドスーパーバイク」で戦い、今季は13年ぶりの国内レース「全日本ロードレース」(JSB1000クラス)で勇姿をみせていた。
世界最高峰クラスで5度の王者経験を持つ、バレンティーノ・ロッシ選手(28)は弔電で、94年の「日本GP」でのドゥーハン選手らとの死闘を見て、阿部さんのファンになったといい「若い頃、あなたのポスターを部屋に張っていました。01年のへレス(スペインGP)では、一緒に表彰台に登りましたね。同じレースで戦えた事を誇りに思います。典史は僕の心の中でずっと生き続けます」と早すぎる死を悼んだ。
会場にはレースで使用していたつなぎや、ヘルメット、写真などが飾られ、生前に親交があった福山雅治さんの「桜坂」がBGMとして流されていた。埼玉から家族で訪れた30代の男性は「亡くなった原因が交通事故と身近なものだったのですごくショック。バイクは安全に扱えば危険でないという啓発活動をしていた人だったので、やり切れない」と唇をかみしめた。つなぎ姿で父親と共に会場を訪れた6歳の男の子は「ポケバイを初めて、最初に会ったのが阿部選手。『頑張ってね』と声をかけてもらったのがうれしくて、その時にもらったシールを自分のマシンに張っていた。つなぎに書いてもらった阿部選手のサインが消えちゃいそうだから、また書いてほしかったのに……」と言葉を詰まらせた。
11月には、阿部さんの生い立ちと軌跡、友人やファンからの言葉などを紹介する「偲ぶ会(仮称)」が、東京近郊で行われる予定。開催場所・日時などの詳細は確定次第、阿部さんの公式サイトで発表される。また、ヤマハ発動機本社コミュニケーションプラザ(静岡県磐田市)では献花台を設置しており、20日・21日に鈴鹿サーキットで開かれる「全日本ロードレース 第7戦」のヤマハファンブースには献花台が設置される。【西村綾乃】