今日の記事

最高裁裁判官、全員罷免されず(朝日新聞 2009年8月31日(月))

総務省は31日、総選挙と同時に行われた最高裁裁判官の国民審査の結果を公表した。「罷免すべきだ」という意思を示す×印が半数を超えると罷免されるが、対象の9人のうち過半数となった裁判官は1人もいなかった。×印が最も多かったのは涌井紀夫氏(裁判官出身)で、有効投票の7.73%にあたる517万6090票だった。



「これからがスタート」福田衣里子氏、決意の朝(朝日新聞 2009年8月31日(月))

「選挙戦は終わったけど、これからがスタート」。長崎2区で当選を果たした民主新顔の福田衣里子氏(28)は31日、長崎県諫早市の事務所で喜びをかみしめるように静かに語った。「医療、社会保障問題とともに、暮らしが崩壊している地域の実情にもっと目を向けて役に立ちたい」
眠ったのは約2時間だけ。この朝も7時20分ごろから事務所前の国道沿いに約20分間立った。「ありがとうございます」「今後ともよろしくお願いします」と、ドライバーに笑顔で手を振った。31日は取材対応や支援者らへのあいさつ回りに追われる。
勝利を実感したのは、同じ小選挙区で争った自民の大物、前職久間章生氏(68)の比例区での復活当選がないと知った時だったという。31日未明まで事務所に残り、当選後は薬害肝炎訴訟の仲間たち約10人から、祝福の電話や電子メールを受けた。



公明・太田代表、北側幹事長が辞任表明(朝日新聞 2009年8月31日(月))

公明党の太田代表、北側一雄幹事長は31日、党本部で記者会見し、総選挙の歴史的敗北の責任をとって辞任する意向を表明した。新体制のもとで10年間の自公連立政権を検証するとともに、来夏の参院選に向けて独自色を強める方向で党再建に取り組むことになる。
太田代表は会見で、自らの進退について「木曜日の常任役員会で議題にしたい」と辞任を表明。「特別国会の開会を念頭に置きながら対応したい」とも述べ、9月中旬に召集される予定の特別国会前に新執行部を選出する考えを示した。北側氏も「責任を痛感している。代表に私の立場についてお任せしている」と辞任する意向を示した。
新代表には比例単独で勝ち上がった井上義久副代表(東北)や斉藤環境相(中国)に加え、参院議員の山口那津男政調会長浜四津敏子代表代行らの名前が浮上。幹事長には比例単独で当選した漆原良夫国対委員長(北陸信越)らがとりざたされているが、代表、幹事長がそろって落選するという非常事態で人選が難航する可能性もある。
太田氏は敗因を「弱者に目配りした対策を打ってきたが十分でないという批判、指摘があった」と分析。今後の民主党との関係については「政権運営がどう行われるか、まず見守りたい」と是々非々の対応をとる考えを示した。
公明党は太田、北側両氏らが比例重複せずに立候補した8小選挙区で全敗したことが響き、選挙前から10議席減らす歴史的敗北となった。投票率が70%近くまで上がり、支持母体・創価学会の組織票を中心とした選挙戦の限界を露呈。今後、創価学会などで衆院小選挙区からの撤退論が広がる可能性もあるが、同党は31日、「いかなる状況のもとでも勝ち抜ける強靱(きょうじん)な党の建設に向けて、さらに精進を重ねる」との声明を出した。



麻生首相、自民党総裁辞任を正式表明(朝日新聞 2009年8月31日(月))

麻生首相は31日、自民党本部で記者会見し、総選挙惨敗の責任をとって党総裁を辞任する意向を正式に表明した。



民主が中止公約の2ダム、国交省が予算要求へ(朝日新聞 2009年8月31日(月))

国土交通省は31日、民主党が中止を公約している八ツ場(やんば)ダム(群馬県)と川辺川ダム(熊本県)を建設するための予算210.5億円を10年度予算の概算要求に盛り込んだ。民主党政権交代を確実にしたことでダム予算の見直しは必至だが、国交省内では中止への慎重論も根強く、今後の火種になりそうだ。
31日午前の省議で要求内容を決めた。政権交代は確実だが、現時点では麻生内閣が続いており、「特段の指示がない限り、既定方針通りに予算要求するしかない」(国交省幹部)という。省議でもダム予算への異論は出ず、谷口博昭事務次官は「14日以降に組閣が予想されるが、連絡を密にしていきたい」と述べた。
 要求額は八ツ場ダムが194億円(うち国費75億円)、川辺川ダムは16.5億円(同12.3億円)。八ツ場ダムについては、ダム本体の工事費も要求。既に地元が反対を表明している川辺川ダムについては、付け替え道路など本体以外の予算を要求している。
民主党マニフェスト政権公約)で「時代に合わない大型事業は全面的に見直す」とし、八ツ場、川辺川の両ダムの中止を公約。ダムを含む公共事業の見直しで、4年後の公共事業費を現在より1.3兆円削減するとしている。
国交省は「状況の変化があれば、その変化に応じて対応する」(幹部)と柔軟な構えを見せる半面、佐藤直良・河川局長は「中止する場合、ダムが発揮する事業効果を補う具体的な手段の検討が必要。住民との長年の経緯も総合的に検討する必要が出てくる」と、中止に慎重な姿勢を示している。



自民幹部「ぬるま湯から脱却する」 総裁選の調整難航か(朝日新聞 2009年8月31日(月))

結党以来の過去最低議席で完敗した自民党は31日に党役員会を開き、党再生に向け総裁選日程などの調整に入る。党幹部や派閥領袖(りょうしゅう)ら党運営の要となるベテランが落選したほか、小選挙区で敗北しながらかろうじて比例復活当選した現職閣僚も少なくなく、党の態勢立て直しが急務だ。
河村官房長官は31日の記者会見で「自民党が国民の期待に応えて変わらなくてはいかんと言われ続けながら、それを果たし得なかったことに対する国民の厳しい叱責(しっせき)だ」と分析。「自民党がもう一度変わってよみがえるという厳しい激励的叱声(しっせい)だと受け止めていくべきだ」と強調した。
菅義偉・党選挙対策副委員長も31日朝、NHKの番組で「自民党の体質が一つだ。長い間の政権のぬるま湯の中から脱却して本気度を国民に示し、理解してもらうところからスタートしないといけない」と語った。
小差で当選を果たした重鎮の森元首相も30日夜、「勝利の確信は持てませんでした。経験したことのない選挙でした」。派閥領袖でありながら落選した山崎派会長の山崎拓元幹事長は「厳しい国民の審判が下された。力不足。敗因はいくつもあるが、自民党として、国民の期待を裏切るような国政運営が積み重なった」と総括した。
比例復活当選した与謝野財務相は30日夜、自民党総裁選のあり方について「人気先行型で選んできたことが、国民の失望を買った。一時的な現象ではなく、何年かの政治に対する国民の批判が最終的に出てきた」と指摘した。
麻生首相と河村長官、自民党細田博之幹事長らは31日、党本部で協議し、首相指名の特別国会後に総裁選を行う方向で調整に入ることを確認した。麻生首相は「地方の声をちゃんと聞かないとダメだ」と周辺に語っているが、総裁選で新総裁を選出した上で首相指名に臨むべきだとの声もあり、党内調整は難航する可能性もある。



民主、政権移行作業に着手 人事は首相指名時(朝日新聞 2009年8月31日(月))

総選挙で308議席を獲得する大勝を果たした民主党は31日午前、「鳩山政権」樹立に向けて動き出した。鳩山代表は朝から党本部にこもり、政権移行に向けた準備作業に着手。同日午後にも岡田克也幹事長が社民、国民新両党などに連立政権の協議を呼びかける方針だ。
「ようやくスタートラインにたどりついた。国民の皆さんの期待する政治を、我々の考えで動かすことができるようになったなという思いで、感慨無量だ」
31日午前7時、鳩山代表は東京・田園調布の自宅に記者団を招き入れ、各社の共同インタビューに応じた。
未明に都内の開票センターを後にしてから6時間足らず。睡眠時間は「2時間ほど」というが、表情には「首相の座」を目前に控えた緊張感がにじむ。じっくりと言葉を選び、淡々と今後の構想を語った。
政権移行ではまず、社民党国民新党などとの連立合意が課題となる。鳩山氏は「最終的な結論をできるだけ早く作り上げたい」と協議を急ぐ姿勢を強調。「(安全保障政策などの違いは)議論を重ねれば、乗り越えられないハードルではない。そんなに心配はしていない」と語った。
連立協議には、新党日本新党大地も参加する意向だ。また、5議席を獲得したみんなの党との協力について鳩山氏は「考えは非常に近い部分がある」としつつ、慎重に対応する姿勢を示した。
新政権人事にも言及。小沢一郎菅直人の両代表代行や岡田幹事長ら党三役の処遇について「中心的な役割をこれからも果たしていただきたい。すばらしい仲間の能力が最大限発揮できるような形で仕事をしてほしい」と述べ、引き続き重要ポストに起用する考えを示した。
ただ、先行して決める意向だった骨格人事は首相指名後に先送り。鳩山氏はその理由について「1人を決めれば、また『次は誰だ』みたいな話になって収拾がつかなくなる。人事は一気に決めなければならない。首相指名と同時に決める」と説明。民間人起用も「幅広く人材を集めたい」と前向きに検討する考えを明らかにした。
めざす国家像を問われると、「自立して頑張っていこうという方に、政府としてお手伝いする、そういった絆(きずな)のある社会を作り上げたい」と語った。鳩山氏が持論として掲げてきた「友愛社会の建設」の具体化を図る考えを示したものだ。
インタビューを終えると、自宅で過ごしてから10時前には出発。政権移行の実務を担う、側近の平野博文役員室長の待つ東京・永田町の党本部に向かった。



最多得票は鳩山代表 20万票超、小泉元首相の記録更新(朝日新聞 2009年8月31日(月))

今回、300小選挙区で最も多く票を集めたのは、北海道9区の鳩山・民主党代表だった。得票数は20万1461票で、96年に小選挙区比例代表並立制が始まって以来の最高記録を更新した。
これまでのトップは、前回05年の郵政総選挙で、神奈川11区の小泉純一郎首相(当時)が得た19万7037票。いずれもその時の総選挙の主役が記録を塗り替えた形となった。
また、栃木3区で当選した渡辺喜美みんなの党代表は小選挙区制になって自身過去最高となる14万2482票を獲得。有効投票全体に占める得票の割合は95.30%と、300小選挙区に立った全候補者のうち最高だった。
自民党本部がいったん森山真弓県連会長を公認候補として擁立しようとしたが、地元県連の猛反発に遭って8日後に取り消し。民主も候補者を出さず、結局、諸派の新顔と一騎打ちとなったことが大きく影響した。



期日前投票、全投票者の19%占める 最多1398万人(朝日新聞 2009年8月31日(月))

総務省がまとめた今回の総選挙の確定投票結果によると、期日前投票小選挙区)は過去最多の1398万4968人が投票し、全投票者の19.42%を占めた。ほぼ5人に1人が利用しており、04年に国政選挙で初めて期日前投票制度が導入されてからの4回で過去最高だった。
期日前投票は04年参院選で全投票者の12%、05年総選挙で13%、07年参院選で18%。



人事「首相指名前後に一気に作る」 一夜明けた鳩山代表(朝日新聞 2009年8月31日(月))

30日投開票の総選挙で圧勝して政権交代を確実にした民主党鳩山代表は31日朝、東京都内で記者団の取材に応じた。政権の枠組みについて「社民党国民新党とどのようなことを共同して行動できるかを見定めながら、最終的な結論をできるだけ早く作り上げていきたい」と述べ、同日にも両党に連立政権作りを呼びかける考えを示した。
また、閣僚や民主党内の幹部人事については「(自らの)首相指名の前後に一気に作り上げていきたいと思っている」とした。



落選した主な候補者と選挙区で敗れ比例復活した候補者(朝日新聞 2009年8月31日(月))

■落選した主な候補者
【自民】
海部 俊樹 〈元〉首相
中川 昭一 〈元〉財務・金融相
山崎  拓 〈元〉党副総裁
久間 章生 〈元〉防衛相
笹川  尭 党総務会長
堀内 光雄 〈元〉党総務会長
赤城 徳彦 〈元〉農水相
柳沢 伯夫 〈元〉厚生労働相
丹羽 雄哉 〈元〉厚相
尾身 幸次 〈元〉財務相
深谷 隆司 〈元〉通産相
島村 宜伸 〈元〉農水相
鈴木 俊一 〈元〉環境相
片山さつき 〈元〉財務省課長
佐藤ゆかり 〈元〉外資証券社員
中馬 弘毅 〈元〉行革担当相
船田  元 〈元〉経企庁長官
中山 太郎 〈元〉外相
太田 誠一 〈元〉農水相
【公明】
太田 昭宏 党代表
北側 一雄 党幹事長
冬柴 鉄三 〈元〉国土交通相
【国民新】
綿貫 民輔 党代表
亀井 久興 党幹事長
【無所属】
中山 成彬 〈元〉国土交通相
橋本大二郎 〈元〉高知県知事


■選挙区で敗れ比例復活した候補者
【自民】
町村 信孝 〈元〉官房長官
伊吹 文明 〈元〉党幹事長
与謝野 馨 財務相
佐藤  勉 総務相
塩谷  立 文部科学相
野田 聖子 消費者行政相
甘利  明 行革担当相
林  幹雄 国家公安委員長
小池百合子 〈元〉防衛相
中川 秀直 〈元〉党幹事長
武部  勤 〈元〉党幹事長
(敬称略)



民主308議席 問われる真価(朝日新聞 2009年8月31日(月))

「明治以来の官僚主導の政治を政治主導に変えないといけない。そのために国民が自ら選択する勇気をお示しいただいた。強く感謝している」
民主党鳩山代表は31日未明の記者会見でこう語り、努めて謙虚にふるまった。
鳩山氏が掲げた選挙戦のキーワードは「革命」だった。
衆院が解散された7月21日。鳩山氏は党両院議員総会で「政治主導で新しい日本の政治をおこす、大きな革命的な解散・総選挙だ」と歴史的意義を強調した。幹部だけでなく候補者全員が選挙区で「政権交代」を叫び、小沢一郎代表代行が奨励した「どぶ板選挙」を戦った。
その結果、「政権交代」の言葉は有権者の心に響き、想像以上のうねりを起こした。29日夜、東京・池袋で鳩山氏が行った「最後の訴え」は熱気に包まれ、興奮した同氏は演説後に記者団に語った。
「革命的なうねりを感じた。明治維新以来の大きな変革を自分たちで成し遂げようという大きな胎動を、ものすごく強く感じた」
鳩山氏らにとっては、長い道のりだった。「政権交代」を旗印に、鳩山氏と菅直人代表代行が旧民主党を結党したのは96年。98年に岡田克也幹事長らを迎え入れて今の民主党をつくり、03年に小沢氏が合流。失敗を繰り返しながら、鳩山、菅、小沢のベテラン3氏がスクラムを組み、ようやくたどりついた。
鳩山一郎元首相の孫で保守色の強い鳩山氏、市民運動から政治家になった菅氏、自民党中枢を歩んで権力を熟知する小沢氏――。毛色の違う3氏が06年の小沢体制発足を機に組み上げた「トロイカ体制」で、党の結束力は増した。短所を補い合い、07年参院選に大勝して参院与野党逆転に導き、ついに衆院も制して悲願を成し遂げた。
長らく野に甘んじた幹部らの感慨は深い。だが、小沢氏は30日夜のテレビ番組で大勝の感想を問われても「まだ結果が出ていない」と繰り返し、厳しい表情を崩さなかった。
よみがえるのは、16年前の苦い記憶だ。93年の政権交代で誕生した7党1会派による細川連立政権は、1年ももたず崩壊した。菅氏は選挙戦最終盤の28日、東京都内の街頭演説で当時を振り返った。
「(自民党は)細川さんのスキャンダルでも何でも突けば、短期間にひっくり返せると思っていた。事実、短期間でひっくり返った」
政権交代」の次の目標は「細川政権の二の舞い」を避けることだ。小沢氏も選挙戦で「日本に本当の議会制民主主義を定着させる。それが私の願いだ」と持論を繰り返した。幹部らは一様に「政権交代はゴールではなくてスタートだ」と強調してきた。
政権運営が難しい現実は変わらない。難題が多いマニフェスト政権公約)の目玉政策を、約束通り財源を確保して実行し、支持を維持できるのか。鳩山氏は29日、こう訴えて次の目標に歩み出す決意を語った。
マニフェストの実現に向けて全身全霊を傾ける。(公約実現への)4年間のシナリオを我々は用意した。その4年間がどうしても必要だ」



自民119議席 険しい再建(朝日新聞 2009年8月31日(月))

自民党は1955年の結党以来、経験したことのない歴史的惨敗――。2代続けての「政権投げ出し」の後に就いたのに、まだ「責任力」を誇示する麻生首相の訴えは、「政権交代」のかけ声にかき消された。63年の石橋湛山氏以来46年ぶりに首相経験者が敗れたほか、党幹部、派閥領袖(りょうしゅう)も相次いで落選。結党以来守ってきた「衆院第1党」の座も滑り落ちた。あまりの惨憺(さんたん)たる結果に、党の立て直しの展望すら描きようがない。
「経済対策道半ば。はなはだ断腸の思いだが、自民党に対する積年の不満をぬぐい去ることができなかった。宿命と思って甘受しなければならない」。30日午後10時すぎ。「政権交代」が確実な情勢になり、自民党本部に姿を現した麻生首相は、テレビ番組に出演、厳しい表情を浮かべながら、こう敗戦の弁を述べた。
首相の盟友で、現政権を支えてきた自民党菅義偉選挙対策副委員長も30日夜、「歴史的な大敗北だ。国の未来を私どもは描き切れていないということだ」。開票が始まった8時すぎのテレビ番組であっさりと白旗をあげた。
これまで党が記録的に大敗したのは93年。選挙前に羽田孜小沢一郎両氏らが飛び出して自民党が分裂、非自民8党派による政権交代を許した時だ。その時でさえ自民の獲得議席は223だったが、今回は、その過去最低議席を大きく割り込む壊滅的敗北だ。
麻生首相は昨年9月に「選挙の顔」として党総裁に選出。直後の臨時国会での解散を期待されたが金融危機への対応を理由に解散を先送り。この判断について麻生氏は「政策を政局より優先させたことは間違っていなかった」と強調した。しかし、漢字の読み間違いに加え、郵政民営化定額給付金などで発言が二転三転。起用した閣僚が不祥事で辞任することなどもあって、支持率は急落した。
麻生氏が解散を宣言した直後に党内で「麻生降ろし」が激化し、総裁選前倒しなどを求める署名活動も起きた。それをしのぎ、ようやく衆院解散にこぎつけ、40日間という過去最長の選挙日程を設定。「政治はばくちでもギャンブルでもない」と政権交代ムードを牽制(けんせい)する一方、半年間で4度の予算編成で景気対策を打ったことを強調した。また、民主党日教組の関係や同党支持者が日の丸をつないで党旗を作ったことを執拗(しつよう)に攻撃した。だが、有権者の答えは「自民退場」だった。
自民惨敗の原因はどこにあるのか――。麻生氏は30日、「これが敗因だったとなかなか一言では言えない。自民党に対する積年の不満やら不信が積み重なった」。当選した石破農林水産相も「自民党に対する失望感が今回の政権交代の嵐の本質だ。内輪の論理を排した党でなければ立ち直れない」と分析した。
党は総裁選を実施したうえで党再生を図ることになる。
麻生首相は「総裁をすみやかに辞任する」と表明する一方、総裁選日程について「首相指名の後、地方の党員党友の意見を聞いて選挙を行う」と特別国会召集後に総裁選を実施する考えを示唆。自らの再出馬にも「お答えすることはありません」と言葉を濁した。
だが、総裁選が特別国会後となれば、自民党所属議員は首相指名で「麻生太郎」と書くことになる。党内では、敗軍の将・麻生氏への猛反発が起き、総裁選日程をめぐって混乱する可能性もある。



福田前首相「きわどい選挙。何しろ相手が見えなかった」(朝日新聞 2009年8月31日(月))

群馬4区で辛勝した福田前首相(73)は7選を決めた後、報道陣に苦戦の原因を問われ、皮肉混じりに一言いった。
歓声を上げる支援者には「いやあ、本当に心配を掛けて申し訳なかった。でもそれだけに皆さん喜んでくださって。本当にありがとう」とあいさつした。表情はこわばりがち。1年前の首相辞任や、前総裁としての責任への言及はなかった。
父赳夫氏から57年守り継いできた議席。これまでは選挙運動せずとも当選してきた。今回も無風状態と思われたが、投票日の1カ月前に民主が立てた新顔に追い込まれた。急きょ選挙区に詰め、連日10カ所以上で集会を重ねた。これまではかけたことのなかった名前入りのたすきも身につけた。選挙戦を振り返り、福田氏は言った。「皆様方の期待に応えられない、なんてことも瞬間的に考えた。そのくらい、きわどい選挙。何しろ相手が見えなかった」



現状維持の共産、対民主は「是々非々」を強調(朝日新聞 2009年8月31日(月))

共産党は、衆院選後に民主党中心の政権が誕生することを前提とし「建設的野党」を掲げた。公示前の9議席からの上積みを目標にしたが、現状維持に。自民党にも民主党にも不満を持つ層の一定の受け皿にはなった。
労働者派遣法改正、後期高齢者医療制度の廃止、米軍基地の縮小・撤去には賛成。消費税増税改憲推進、衆院比例代表定数の削減など「間違った政治」には反対。2大政党に埋没しない存在意義をアピールする狙いだった。「核のない世界」を訴えるオバマ米大統領の姿勢を評価して、対米姿勢でも柔軟性を強調。選挙区候補擁立を絞り、比例に集中する戦術をとった。
志位委員長は30日夜のテレビ番組で選挙結果について「大きな前向きな一歩」としながらも、民主党政権には「良いことには協力する。悪いことにはきっぱり反対」と強調。「民主党が仮に数の力におごれば、ストップをかける」と述べた。



国民新党、綿貫代表も亀井幹事長も落選(朝日新聞 2009年8月31日(月))

05年の郵政総選挙をきっかけに誕生した国民新党は、「小泉構造改革の転換」を訴え続けたが、綿貫代表亀井久興幹事長が落選するなど厳しい戦いを強いられた。亀井氏は30日夜、記者団に対し、「自民党への怒りが私どもで受け止められずに、民主党に集中した」と述べた。
比例での単独立候補となった綿貫代表は、「政権交代」の言葉は民主党に票が流れるとして封印。街頭演説で「小泉政治の差別と競争のぎすぎすした社会に対し、反省が国民の中に生まれたから流れが変わった」と小泉・竹中改革の総括を繰り返し訴えた。
連立を見込む民主党との関係は今後も維持し、民主党が単独で過半数を得ていない参院での議席をてこに存在感を発揮したい考えだ。亀井氏は30日夜のラジオ番組で民主党の大勝を受け、「私どもが中庸な立場から、正しい少数意見を政権の中に少しでも反映させることは国民のためにも必要だと思う」と述べた。



安倍元首相「嵐は長く続かない」 民主へ対決姿勢あらわ(朝日新聞 2009年8月31日(月))

山口4区の自民前職、安倍晋三元首相(54)は早々と6選を決めたが、党の敗北に「元総裁として責任を痛感する。党を立て直し、政策を鍛え直さないと」と硬い表情で語った。一方で「今回は政権交代という特別な嵐だった。嵐は長く続かない」「民主党はいずれ馬脚を現す。厳しく追及していく」と述べ、民主との対決姿勢をあらわにした。党総裁選への立候補については「まったく考えていない」と否定した。
自身の選挙戦では、昨夏から選挙区内で約300回の集会を開くなど地元に密着。民主、共産の新顔2人を寄せ付けなかった。



民主と「みんな」の比例議席、他党へ 4議席「譲渡」(朝日新聞 2009年8月31日(月))

比例区で本来獲得できたはずの議席が、比例名簿に残る候補が少なくなったり、復活当選に必要な得票を得られなかったりしたため、他党に回るケースが東海、近畿両ブロックであり、計4議席の「議席譲渡」が発生した。
近畿ブロックで民主は、比例名簿1位に重複候補を44人並べ、その下に単独候補8人を擁立。しかし、重複候補41人が小選挙区で当選。単独候補が全員当選しても比例区の当選者が足りなくなった。みんなの党は比例票で1議席を得る計算だったが、比例区に唯一立候補の大阪9区の吉野宏一氏が復活に必要な有効投票総数の10分の1を得ることができなかった。この結果、自民の谷公一谷畑孝両氏と公明の赤松正雄氏の計3人が「棚ぼた」で議席を得た。
一方、東海ブロックでも、みんなが比例で1議席を確保するはずが、唯一の候補である静岡1区の佐藤剛氏が復活当選に必要な得票に届かず、民主の東海ブロック41位の磯谷香代子氏が当選した。
他党への「議席譲渡」は前回05年にもあった。比例東京ブロックで8議席分の得票を獲得した自民の候補者が足りず、1議席が社民に流れた。民主の鳩山代表は31日未明、「必ずしも比例名簿が十分でなかった。おわびしたい」。みんなの渡辺代表も「比例単独を出しておけばよかった。残念だ」と語った。



選挙区で落選 与謝野氏、野田氏…現職閣僚も冷や汗(朝日新聞 2009年8月31日(月))

選挙では有利といわれる現職閣僚の自民前職ら。いずれも復活当選したものの、小選挙区では次々と落選した。
東京1区。財務相与謝野馨氏(71)は、選挙区で民主元職の海江田万里氏(60)に敗れた。
「2年前の参院選自民党に対する気持ちの離れはすでに始まっていた。機敏に対応できなかったことが、全国的な敗北につながった」。集まった支持者に淡々と敗戦の弁を述べ、深く頭を下げた。
「女性初の首相候補」との声もあった消費者行政相の野田聖子氏(48)も、岐阜1区では民主新顔に敗れた。
05年の衆院選では、郵政民営化に反対して離党に追い込まれ、無所属で自民党公認の「刺客」と戦った。6選をめざした今回は、自民公認を受け、大臣の肩書も得て、盤石のはずだった。
比例で復活した後、事務所に姿を見せた野田氏は「多くの優秀な仲間が落選する中で、生き残らせていただいた。新しい自民党を作る担い手として頑張りたい」と、ようやく笑顔を見せた。
静岡8区の文部科学相塩谷立氏(59)は「大変な逆風を感じていた。社会保障改革が思うようにならなかったことなど長年の政治に対する不満が政権交代に拍車をかけた」。千葉10区で立候補していた国家公安委員長、沖縄・北方担当、防災相の林幹雄氏(62)も「風がよくわからなかった。自民への不満がこれほど強いとは思わなかった」と語った。
総務相佐藤勉氏(57)は栃木4区で敗れた。「これ以上ないほど運動したが、大きな流れがあった。現職大臣の立場が生かされなかった」



渦巻いた不信、守り続けた議席失う 自民、壊滅的大敗(朝日新聞 2009年8月31日(月))

政権交代を望む有権者の思いが、現実になった。30日に投開票された衆院選で、自民党公明党とともに民主党に壊滅的な大敗を喫した。元首相、党代表や幹部までが次々と落選。「国民を裏切った」「党の消費期限が切れた」と絞り出すような敗戦の弁が漏れ、党本部は凍りついた。一方、「歴史が動いた」とわきかえる民主も、不況や少子高齢化など難題が待ち受け、「308議席」の期待が重くのしかかる船出となる。
「民主の嵐」の中で、自民党の元首相や派閥領袖(りょうしゅう)、閣僚経験者ら大物議員が小選挙区で次々と落選。国会を去ることになった議員が相次いだ。
「感謝とおわびの言葉しかございません。これからまた一生懸命がんばって、ご恩返しをさせていただきたい」
北海道11区内の帯広市の事務所で、支持者らを前に敗北に目を潤ませたのは、ローマでの「もうろう会見」で失態を演じた元財務兼金融相の中川昭一氏(56)だ。
危機感が募った今回は地元に張り付いた。ミニ集会や各種会合に出席を重ねて「初当選以来の選挙戦」(陣営幹部)を展開。失態を謝罪し、「断酒宣言」もした。民主党の農業政策への批判にも力を入れたが、「批判ばかりで、自分自身は本当に反省しているのか」といった不信感も広がり、中選挙区時代から通算して8期26年間守り続けてきた議席を失った。
群馬2区で敗北した党総務会長の笹川尭氏(73)は、党本部で報道陣に「自転車にのっているだけで事務所に誰もいないような者に負けるんだからしょうがない。(民主党の勝ち方は)人間業じゃないね」とぼやいた。
福岡2区では、13回目の当選を目指した元党副総裁の山崎拓氏(72)が敗れた。事務所で「自民党として、国民の期待を裏切るような国政運営が積み重なったのではないか」と敗因を振り返り、支持者に深々と頭を下げた。派閥領袖もあらがえなかった党への逆風。自身の進退を問われると、「党の再建が優先。当面、引退は考えておりません」と言明した。
79年以来10回連続で当選してきた元厚相の丹羽雄哉氏(65)は茨城6区で議席を失った。
旧厚相を3度務めた厚生族の実力者。大きな敗因は、丹羽氏が導入を主導した後期高齢者医療制度だ。猛反対した県医師連盟が自民を離反し、民主新顔の応援に回った。落選後、報道陣に、消え入るような声で「私自身の力不足で自民への『暴風雨』から抜け出せなかった」と語った。
9期務めたベテランで長崎2区の元防衛相、久間章生氏(68)も落選した。「残念。追いついて、追い越せたかと思ったが……向かい風が強すぎた」。選挙戦では、国営諫早湾干拓事業の重要性などを訴えた。「諫早の水害を知っている人ももう少ない。のど元過ぎればということじゃないか。20年、30年先のことを考えて政治を考える若い人が少なくなった」
全国最多の17回連続当選を目指した愛知9区の元首相、海部俊樹氏(78)は、落選を受けて、半世紀近く身を置いた政界から引退することになった。「『生者必滅』という言葉がございますが、残念ながら、志と反して今日の結果を見てしまいました」。淡々と語った。



公明代表を破った青木愛氏「この1議席、大変な意義」(朝日新聞 2009年8月31日(月))

東京12区は、民主元職の青木愛氏(44)が、公明前職で党代表の太田昭宏氏(63)との激烈な選挙戦を制した。青木氏は「東京12区は自公政権を象徴する選挙区で、この1議席には大変な意義がある」と目を潤ませた。
昨年から民主の小沢元代表の「国替え」が取りざたされ、注目を浴びた選挙区。最後まで候補者が決まらなかったが、7月下旬、「必ず勝てる候補者」として小沢氏が白羽の矢を立てたのが、元参院議員の青木氏だった。
陣営には小沢氏の秘書らが入り選挙戦を取り仕切った。青木氏も「(小沢氏から)辻立ちを毎日50回やれと言われて実行した」と、「小沢流」で勝ち抜いたことを強調した。



民主・鳩山代表「謙虚に」「数におごってはならない」(朝日新聞 2009年8月31日(月))

「自公政治への不信感を肌で感じていた」。東京・六本木の民主党開票センターでは、次々に入る当選の報に歓声が沸き起こった。その一方で、国民から寄せられた期待の大きさに、党幹部は緊張を終始崩さなかった。「身の引き締まる思い」「謙虚に……」。様々な幹部から、そんな言葉が相次いだ。
記者会見場のボードに並ぶ候補者名の大半に、真っ赤なバラが付けられた31日午前0時50分。鳩山代表は記者会見の冒頭、「勇気を持って政権交代を選んでいただいた」と勝利宣言。勝因は「政治への怒りが民主党への期待感に結びついた」とした。
ただ、今後については「謙虚に、いかに国民の方向を向いた政治をつくるかがすべて」「数におごってはならない」と引き締めた。
30日夜のテレビ局のインタビューでは「政権運営経験がないため混乱するのでは」と聞かれ、「だからこそ、しがらみのない政治ができる」と語気を強める場面もあった。
投票締め切り直後の午後8時すぎ、テレビ番組に出た野田佳彦幹事長代理は「うれしいと同時に身の引き締まる思い。責任の重さを痛感している」。「勝ちすぎでは」と問われると、「『風』という話があるが、必ずしも浮ついた空気じゃなかった。4年前の小泉劇場の反省をふまえ、よく民主党を見極めようという意思が国民の間に広がった」と自負も見せた。
衆院選を取り仕切ってきた小沢代表代行は、午後9時からテレビ番組に出演。選挙戦の手応えを問われると「自公の政治に対する不信感が強かったというのは各地を回って肌で感じた」と話した。



辻元氏「野党統一候補」で4選 「立場越え一緒に」(朝日新聞 2009年8月31日(月))

4年前は比例区で復活当選した大阪10区の社民前職、辻元清美氏(49)。今回は民主と国民新からの推薦も受けて「野党統一候補」を強調し、前回敗れた自民前職を打ち破って4選した。事務所で支援者らに深々と頭を下げ、「民主、国民新党など、みなさんの協力で当選できた。今までの立場を乗り越え、一緒にこれからの日本をなんとかせないかん」と話した。
選挙中は「政権交代」をみすえ、護憲などの「社民色」はあまり出さなかった。しかし、終盤になって「社民は憲法の政党。新政権では、それぞれの党が特技をいかしたい」と自党の存在を訴えた。



民主・田中真紀子氏「『自分党』になった自民、残念」(朝日新聞 2009年8月31日(月))

「親(故田中角栄元首相)も納得してくれるのでは」と語り、公示直前に民主入りを表明した新潟5区の前職・田中真紀子氏(65)は6回目の当選を決めた。「皆さんが『田中党』と思ってくれていることが分かった。私自身、自民党が大好きな人間だが、現在構成している議員の質が極めて低く『自分党』になったのは残念。生活者目線で誠実な仕事をする」と語った。自民新顔で医師の米山隆一氏は角栄元首相の「後継者」を自任し、前回約2万票差にまで迫られた相手。田中氏を「志がない」と批判したが、民主への追い風は強かった。
民主入りは「危機感の表れ」と見る関係者も。今回は地元に張り付いて選挙運動を続けた。



衆院選報道:「自民失政への罰」米主要紙が分析(毎日新聞 2009年8月31日(月))

日本の総選挙での民主党の圧勝について、各国メディアはトップニュースで伝えるなど高い関心を示した。
米主要紙は、民主党の勝因は同党への期待ではなく、経済政策の失政などで支持を失った自民党への「罰」などと報じた。ワシントン・ポスト紙(電子版)は、民主党の勝利は「自民党に罰を与えたかったようだ」と伝え、「有権者民主党の公約が実現可能か懐疑的にみている」と論評した。
◇「日本のケネディが目標達成」…独紙
フランクフルター・アルゲマイネ紙(電子版)は鳩山由紀夫民主党代表をケネディ米大統領にたとえ「日本のケネディが目標を達成」と報じた。「出自と公約の矛盾が有権者を遠ざけることはなかった」とした。
フランスのフィガロ紙(電子版)は30日までに、民主党の公約を分析。子ども手当の支給などを例に「民主党は、社会的不公正に挑戦する意向だ」とした。
◇「靖国」の姿勢評価…中国・韓国紙
中国では鳩山代表の「進歩的歴史観」が期待されている。31日付の中国各紙は歴史問題に関する鳩山発言を掲載、日中関係安定化へ期待をにじませた。
新華社通信によると、鳩山代表は02年6月当時、江沢民国家主席(当時)と会談し「日本は侵略戦争の歴史を真剣に反省すべきだ」と語った。今年6月には中国の崔天凱駐日大使に「靖国神社には参拝しない」と明言したと紹介した。中国国内には日本との領土問題や自衛隊の活動活発化への警戒感が根深く、民主党への政権交代で「鳩が舞う」(北京晩報)などと平和路線への期待が高まっている。
韓国では、31日付の有力紙が歴史問題などで両国関係に良い影響を与える、との期待感を示した。朝鮮日報は選挙結果を伝える1面トップ記事で、首相や閣僚が靖国神社を参拝せず、国立追悼施設を建立することで「(両国間の)葛藤(かっとう)の原因をなくすと(民主党が)公約した」と伝えた。【ワシントン古本陽荘、パリ福原直樹、北京・浦松丈二、ソウル大澤文護】



衆院選:「野党共闘」に成果 7選挙区勝利、2選挙区復活(毎日新聞 2009年8月31日(月))

今回の衆院選で、民主党小選挙区の24選挙区で公認候補を擁立せず、他党や無所属の候補を推薦した。05年選挙ではみられなかった「野党共闘」型候補は、自民、公明両党候補などに7選挙区で勝利し、2選挙区では比例代表で復活当選を果たした。民主党圧勝の陰に隠れてはいるが、一定の成果はあったと言える。
民主党との共闘で小選挙区で勝利したのは、社民党辻元清美氏(大阪10区)、重野安正氏(大分2区)、国民新党亀井静香氏(広島6区)、松下忠洋氏(鹿児島3区)、下地幹郎氏(沖縄1区)、新党日本田中康夫氏(兵庫8区)、無所属の川村秀三郎氏(宮崎1区)の7人。このほか社民党の2人が比例復活した。
その半面、社民党保坂展人氏は東京8区で11万票台を獲得し、当選した自民党石原伸晃氏に迫ったものの、社民党比例代表東京ブロックで議席を獲得できず、復活できなかった。同様に国民新党白石純子氏(大阪13区)も善戦及ばず落選。民主党以外の各党が党勢を伸ばすには、一定の地力も必要と言えそうだ。【中田卓二】



衆院選:民主、比例でも最高の2984万票(毎日新聞 2009年8月31日(月))

衆院選比例代表では民主党は2984万票(得票率42%)を獲得し、得票数・得票率とも96年に現行の小選挙区比例代表並立制が導入されてから最高を記録した。11ブロックすべてで同党の得票数は過去最高となり、前回(05年)衆院選自民党の2589万票(同38%)をはるかにしのぐ圧勝。他党は前回より得票率を減らし、民主党の「独り勝ち」だった。
民主党は東北、北関東、南関東、北陸信越、東海の各ブロックで過去最高の議席数を獲得した。近畿ブロックでは小選挙区との重複候補者の落選が少なく、比例単独候補を合わせても候補者が2人不足し、自民、公明両党に議席を譲った。
自民党は1881万票で、得票率は27%と11ポイントも減少。前回、得票率4割を超えた北関東、南関東、東京の各ブロックで今回は25〜26%と振るわず、議席数も東北、北関東、東海、四国の4ブロックで過去最低となった。
公明党は805万票(得票率11%)と前回より93万票の減。共産党は494万票(同7%)で2万票増やしたものの、投票率が上昇したため得票率は0.2ポイント下がった。社民党も300万票(同4%)で71万票減らした。新党大地は前回とほぼ同じ43万票を獲得して1議席を維持。国民新党議席を失った。
みんなの党は、北関東、南関東、東京の各ブロックで6〜8%の票を得てそれぞれ1議席を獲得。東海、近畿でも1議席に相当する票を得たが、比例名簿に登載された候補者が重複立候補した小選挙区での得票率が10%に満たず、公職選挙法規定により復活できなかった。【鈴木直】



衆院選:森氏が地元紙以外を締め出し…石川の事務所(毎日新聞 2009年8月31日(月))

元首相で自民前職の森喜朗氏(72)が民主新人の田中美絵子氏(33)の猛追を受け、からくも議席を守った石川2区(小松、白山市など)。森氏の事務所では、森氏が地元紙以外の報道陣をシャットアウトして支援者と異例の万歳をした。
「(当落が決まる)瞬間は(写真に)撮ってもらいたくない」。午後11時、事務所に到着した森氏は報道陣に、地元紙以外は事務所内部での取材を拒否すると通告。その最中、テレビ報道で森氏の当確が伝えられた。
全国紙などの取材を拒否して万歳した後、取材に応じた森氏は「さんざんマスコミにふりまわされた」と話した。【堀文彦】



衆院選:民主党が単独で308議席獲得 自民は歴史的惨敗(毎日新聞 2009年8月31日(月))

第45回衆院選は30日、投開票され、480議席のうち民主党小選挙区比例代表を合わせて単独で過半数(241議席)を大きく上回り308議席を獲得した。1996年の旧民主党結党以来、13年で悲願の政権交代を果たした。93年衆院選自民党過半数を割り込み非自民8党派による細川連立政権が発足したが、2大政党間の政権交代は戦後初めてで、戦後政治の大きな転換点となる。首相指名選挙をする特別国会は9月14日の週にも開会、民主党鳩山由紀夫代表が首相に指名され、同党を中心とした連立政権が発足する。【高塚保】
与党は自民、公明両党で公示前の計331議席から計191議席を減らし、自民党は1955年の結党以来、初めて第1党の座を失う大惨敗を喫した。麻生太郎首相は30日夜、NHKの報道番組で「責任を負わなければならない」と述べ、自民党総裁の辞任を表明した。
自民党総裁の任期は9月末で、特別国会後に総裁選を実施し新総裁を選出する。来年夏の参院選に向け党勢の立て直しを迫られるが、新執行部にとって苦難の船出となる。
民主党小泉改革で広がった格差への対策として、マニフェスト政権公約)に子ども手当の支給、高校教育の無償化、農家への戸別所得補償、高速道路原則無料化などくらしを重視する政策を盛り込み、実現を訴えてきた。
前回の05年衆院選民主党は大都市部で苦戦し、東京では菅直人代表代行の1議席しか獲得できなかったが、今回は21議席を奪取。首都圏の埼玉、千葉、神奈川でも復調を果たし、自民党が86年に獲得した戦後最多の300議席を上回った。
民主党は、すべての常任委員会で委員長ポストを独占したうえで委員の過半数を確保できる議席数である絶対安定多数(269議席)を超え、政権与党として安定した議会運営が可能となる。
民主、社民、国民新、新党日本の4党では319議席で、参院で否決された法案を衆院で再可決できる320議席には達しなかったが、民主系の無所属2人を加えると320議席を超えた。
自民党景気対策の継続と自公連立政権の実績を訴えたが、国民の間に「政権交代」への期待感が広がる中、牙城としてきた地方の小選挙区でも多くの議席を失った。首相経験者では海部俊樹元首相が落選した。
公明党も「政権交代」ムードが高まる中で苦戦を強いられ、太田昭宏代表はじめ小選挙区で立候補した8人全員が落選。比例代表も公示前の23議席を下回った。
自公批判を前面に出したみんなの党は公示前議席を上回った。共産党は9議席社民党は7議席を獲得し、それぞれ公示前議席を維持した。国民新党政権交代選挙の中で埋没し厳しい戦いを強いられた。
今回の選挙では、比例代表民主党の当選枠の数が立候補者数を上回るなど計4議席が他の党に割り振られる事態となった。民主党では比例近畿ブロックで2議席が自民、公明両党に振り分けられた。また、みんなの党では東海、近畿両ブロックで1議席ずつ獲得できる得票に達したが、重複立候補者が小選挙区で得票率10%に届かず、復活当選できず、東海は民主に、近畿は自民に回った。



衆院選:麻生、福田、安倍、森氏が安ど…首相経験者(毎日新聞 2009年8月31日(月))

前回の衆院選から4年間で首相を務めたのは、引退した小泉純一郎元首相を含め4人。▽麻生太郎首相(68)=福岡8区▽福田康夫前首相(73)=群馬4区▽安倍晋三元首相(54)=山口4区=の3人はいずれも議席を守った。世襲批判もあった小泉元首相の次男進次郎氏(28)=神奈川11区=も初の議席を獲得した。
小泉改革」後に表面化した格差拡大や地方の疲弊などを巡り、自民批判が高まる中、安倍、福田両氏は衆参両院のねじれ現象に対処できず政権を投げ出した。麻生首相有権者の自民離れを止められなかった。それでも、それぞれの選挙では、厚い支持基盤に支えられた。安倍氏は自民の惨敗について「元総裁として責任を痛感している」と述べた。
このほか首相経験者では、愛知9区の自民前職、海部俊樹氏(78)が落選した。海部氏は「不徳のいたすところ。私の志を受け継いで、うそを言わない、努力をする後継者を送り出していきたい」と述べ、政界引退を表明した。森喜朗元首相(72)=石川2区=は接戦の末、14回目の当選を果たした。【沢田石洋史、高橋恵子、飯田和樹】



衆院選:民主党の鳩山代表会見 「国民に心から感謝」(毎日新聞 2009年8月31日(月))

民主党鳩山由紀夫代表が31日未明に東京都内で記者会見を行った。要旨は次の通り。
衆院選大勝の意味>
勇気を持って政権交代を選んだ国民に対し、民主党の代表として心から感謝したい。単なる民主党の勝利だとは思っていない。国民にとって暮らしが厳しくなっている怒りが民主党の期待に結びついた。謙虚に、いかにして国民の方向を向いた政治というものを作り上げていくかというのがすべてだ。
三つの交代と言いたい。一つは政権の交代だ。二つ目の交代は、古い政治から新しい政治への交代。利権にまみれた政治にさよならして新しい市民が中心になる政治を生み出す。三つ目は主権の交代。官僚主権の政治から国民主導の政治だ。
2大政党政治というものを定着させない限り、この国の政治は本物にならない。自民党を離党してから16年たった。長いようでもあったが、国民が辛抱強く2大政党政治の実現、すなわち政権交代可能な政治勢力を作ることに力を貸してくれたことに心から感謝したい。
<人事>
国家戦略局、室の担当相はこれからの国家の基本的な方向、あるいは予算の骨格というものを議論して決めていく大変重要な閣僚なので、組閣においては極めて重視する。また金融、経済が国際的流れで大変重視されていく。財務相などは大変枢要なポストだと考えている。(主要ポストを先行して決めるのは)一部だけ決めるということは他との兼ね合いも考えないといけない。今、私の念頭にはない。決めるときには一気に首班指名後に決める。
自民党大敗について>
自民党民主党、継承したり、協力するところは大いに協力し、数におごることのない政治を行っていきたい。
自民党が壊滅するとはとらえていない。自民党の底力、再起に向けた大きな力が発揮されないと、真の意味で2大政党政治が日本には定着しない。奮起を申し上げたい。
民主党の政治>
脱官僚依存の政治を目的としたい。政官業の癒着の体質に染まらない政治を作る。利権をむさぼる政治を一切行うつもりはない。
市場原理の重要性は認識しているが、市場原理への至上主義への反省が必要だ。規制(緩和)が行き過ぎた部分は是正を行う必要がある。
<連立協議>
社民党国民新党との間の連立協議は現在の三役、幹事長中心にやってもらう。政権移行のチームとして、三役を中心に骨を折っていただく。
<外交>
オバマ米政権が対話と協調にかじを切る中で、私どもは東アジア含めさまざまな大きなテーマが存在しているが、安全保障、対話と協調の中で問題解決を示す姿勢が極めて求められている。
祖父一郎がロシアとの間で共同宣言を樹立した。その件に関し、私も同じようにロシアの北方問題の解決などに力を入れていきたいと考えている。
<首相としての覚悟>
もっとも重い責任を背負う首相である以上、覚悟を持って臨むことは言うまでもない。ポストのために政治家をやっているんではないという覚悟を常に持っていることが肝要だと思う。



衆院選:民主圧勝 自民党の「牙城」選挙区で地殻変動(毎日新聞 2009年8月31日(月))

衆院選小選挙区比例代表並立制が導入された1996年から05年までの計4回の選挙で、自民党候補(候補者の交代も含む)が小選挙区ですべて勝利し、今回も候補者を立てた92選挙区のうち、半数を超える55選挙区で同党候補が敗れた。一方、これまで小選挙区民主党候補が当選したことのなかった「民主空白」13県のうち、9県で同党議員が誕生した。自民党の「牙城」とされてきた各地の選挙区で地殻変動が起きている。
北海道、埼玉県、大阪府の各3選挙区、静岡県、愛知県の各2選挙区などは自民党候補が全敗し、計16道府県で牙城が消滅。静岡3区では「女性は産む機械」発言で批判を浴びた柳沢伯夫厚労相が敗北。固い地盤を誇ってきた茨城1区の赤城徳彦元農相、京都1区の伊吹文明元幹事長らも相次いで敗れた。
自民の牙城の選挙区が多かったのは、東京都(6選挙区)、茨城県、神奈川県、福岡県(各5選挙区)、群馬県広島県愛媛県(各4選挙区)。これら7都県の33選挙区で、自民党候補は16勝17敗と負け越した。
逆風の中、牙城を守り抜いたのは麻生太郎首相(福岡8区)、福田康夫前首相(群馬4区)、安倍晋三元首相(山口4区)、森喜朗元首相(石川2区)ら37人。青森県福井県島根県岡山県山口県高知県ではすべての牙城が安泰だった。
一方、民主党は今回、空白13県の計46選挙区のうち35選挙区に公認候補を擁立。青森県群馬県富山県岐阜県和歌山県香川県愛媛県、鹿児島県、沖縄県の9県16選挙区で勝利した。勝率でも45.7%と健闘した。
自民党津島雄二元厚相が連続11回当選してきた青森1区では、津島氏の引退に伴い後継候補になった長男淳氏(無所属)を民主党横山北斗氏が破った。群馬県では、尾身幸次財務相笹川尭総務会長、谷津義男元農相という自民党のベテランを民主党候補が次々に破り、公認候補を立てた4選挙区中3選挙区で勝っている。
一方、島根1区では民主党新人候補が自民党細田博之幹事長に敗北。民主党などが推薦した2区の国民新党候補も自民党竹下亘氏に敗れた。鳥取県高知県、宮崎県でも民主党候補は勝利できなかった。【野原大輔、横田愛



民主組閣は国家戦略局重視…小沢氏の影響力強く(読売新聞 2009年8月31日(月))

民主党鳩山代表は9月中旬の新政権発足に向け、閣僚・党役員人事の本格的な検討に入った。
党役員人事では、衆院選で陣頭指揮をとった小沢代表代行が続投する方向となっている。「来年の参院選民主党単独過半数を目指すには、小沢氏の力が不可欠だ」(鳩山氏周辺)と判断したからだ。
民主党参院では単独で過半数を確保していないため、当面は社民党などと連立を組む方針だ。ただ、党内では「政権安定のため、参院でも単独過半数を目指すべきだ」という声が強い。今回の衆院選で若い新人や女性を積極的に擁立し、圧勝に導いた小沢氏を続投させることで、参院選でもその手腕を発揮させようというわけだ。
小沢氏は西松建設の違法献金事件に絡んで代表を辞任した経緯があるだけに、「定例記者会見や国会答弁がある閣僚への起用は難しい」(鳩山氏周辺)という事情もあるようだ。小沢氏は30日夜、党の開票センターで、「(人事は)代表の指示に従う」と語った。
今回、小沢氏の影響を受ける新人議員が100人規模で誕生する。小沢氏の影響力は、こうした「小沢チルドレン」の存在もあって一段と強まるのは確実だ。首相に就任する鳩山氏が、「権力の二重構造」となるのを回避して小沢氏と協調体制を築けるかどうかが、政権運営のカギとなる。
閣僚人事では、鳩山氏は官房長官、外相、財務相の主要閣僚とともに、政治主導で予算編成や外交方針などを決定するため、首相の下に新設する国家戦略局の担当閣僚を重視している。こうしたポストには、菅代表代行、岡田幹事長、藤井裕久最高顧問、直嶋政調会長ら幹部を起用する意向とみられる。
鳩山氏は、社民、国民新両党にも入閣を求める考えだ。社民党では福島党首や辻元清美政審会長代理、国民新党では亀井静香代表代行らが候補となりそうだ。
また、衆院議長には、最高顧問の渡部恒三・元副議長や横路孝弘・前副議長の名前が挙がっている。
鳩山氏は、党内の主要メンバーと政権移行チームを早急に発足させ、社民、国民新両党との連立協議や麻生政権との政権移行協議を進める方針だ。鳩山氏はインド洋での海上自衛隊による給油活動を来年1月の期限切れを機に終了する考えだが、社民党は即時撤退を求めている。また、民主党が掲げる衆院比例定数の80削減にも社民党は反対しており、連立協議ではこうした点の調整が難航しそうだ。
政権の目玉となる国家戦略局について、鳩山氏は30日、開票センターで、「まずは法的な整備が必要ない形で動かすとすれば、『国家戦略室』という形でいい。担当閣僚を置き、国家的な仕事を行っていただく」と述べ、当面は政令などで「国家戦略室」を設置する考えを明らかにした。その後、秋の臨時国会か来年の通常国会で関連法案を成立させ、正式な政府機関とすることにしている。



【09衆院選】鳩山代表、一夜明けの心境、大雨の空に「天気とは違いますね」(産経新聞 2009年8月31日(月))

民主党鳩山由紀夫代表は31日午前、衆院選での圧勝を受け東京・永田町の党本部入りし、さっそく政権移行に向けた準備に取りかかった。閣僚や党役員の人選に着手する一方、同日中にも社民、国民新両党に対して連立政権協議への参加を呼びかける。鳩山氏は投開票日から一夜明けた31日朝、都内の自宅で報道各社のインタビューに応じ「308議席という、とてつもない多くの議席を与えられた。こういう時こそ数のおごりを捨て去らなければいけない」と語り、表情を引き締めた。
鳩山氏はインタビューで閣僚・党役員の陣容に関し「3役や執行部の方々にはこれからも中心的に頑張ってもらいたい」と述べ、小沢一郎菅直人両代表代行、岡田克也幹事長らを要職に起用する意向を表明した。
閣僚などへの民間人登用に関しては「素晴らしい能力を持った方がいれば、意欲を買い、幅広く人材を集めたい」と言明、積極的に行うとした。さらに「女性担当」「子ども担当」などの閣僚ポストに、女性議員を登用する方針を強調した。
人事を実施する時期については「首相指名の前後に一気に作り上げたい」と語り一時、党内で検討された主要閣僚候補による「政権移行チーム」を設置しない考えを示した。9月中旬に予定される政権交代に向けた準備は、現執行部が中心となって行うことにしている。
一方、民主党参院での過半数を確保するため、31日午後にも社民、国民新両党に対し、連立政権樹立に向けた協議入りを呼びかける予定にしている。
鳩山氏はインタビューで「連立を組むことは約束だから基本的に果たしていけるようにしたい」と語った。民主党は、社民、国民新両党幹部が同日午後、連立についての意見集約を行うのを待って、協議への参加を呼びかける。
ただ、5議席を獲得した、みんなの党渡辺喜美代表が「民主党から誘いがあれば前向きに考える」としていることに対し、鳩山氏は「慎重にしていきたい」と述べ社民、国民新両党とは対応を分ける考えを示した。
関東地方はこの日、台風11号の接近で大雨に見舞われた。鳩山氏は31日午前、自宅を出発する際、記者団から現在の心境を尋ねられ「天気とは違いますね」と晴れやかな表情で答えた。



外交・安保政策に懸念=米、新政権との協議着手へ−衆院選海外反響(時事通信 - Yahoo! 2009年8月31日(月))

【ワシントン時事】米政府は、衆院選での民主党圧勝を「事前の報道通り」と冷静に受け止める一方、海上自衛隊のインド洋での給油活動など外交・安保政策については「新政権が非現実的な立場を取れば同盟関係が悪化する」(元米高官)と懸念している。当面は新政権の人事や具体的な課題での対応を見守りながら、先に着任したルース駐日大使らを通じ協議を始めていくとみられる。
米政府は2007年の参院選以降、衆参ねじれ国会の影響で日本の政策決定が遅れがちだったことにいら立ちを強めてきた。このため、国会に安定勢力を持つ政権の誕生自体は「スムーズに意思疎通できる」(日米関係筋)と歓迎。経済危機や気候変動問題への対応をめぐる日本の協力にも期待は大きい。
一方、オバマ政権はアフガニスタンでの対テロ戦略を外交面の最重要課題と位置付ける。新政権が来年1月に期限切れの新テロ対策特別措置法を延長せず、海自撤収に踏み切れば「テロ掃討作戦に支障が出るとして圧力を掛ける」(議会筋)のは間違いない。
また、民主党沖縄県の米軍普天間飛行場の県外移設を主張していることに対し、国防総省幹部は「(同県名護市への)現行移設計画を捨てれば解決のすべを失い、同盟関係にもダメージだ」とけん制している。



投票率は69.28%=現行制度では過去最高−衆院選(時事通信 - Yahoo! 2009年8月31日(月))

都道府県選管が発表した第45回衆院選投票率小選挙区)を集計したところ、69.28%になった。前回の2005年(67.51%)を1.77ポイント上回り、現行の小選挙区比例代表並立制が導入された1996年以降の選挙では過去最高。
「政権選択」が最大の焦点となり、有権者の関心が高まったとみられる。また、期日前投票の利用者が大幅に増えたことも、投票率を押し上げる要因になった。
投票率が最も高いのは島根県で78.35%、最も低いのは千葉県で64.87%。男女別では、男性が69.45%、女性が69.12%だった。



自民、惨敗にぼうぜん自失=前途多難な党再生−衆院選(時事通信 - Yahoo! 2009年8月31日(月))

自民党は30日夜、衆院選惨敗に、ぼうぜん自失の状態だ。圧勝した前回の郵政選挙とは一変し、党幹部や派閥領袖らが選挙区で相次ぎ落選。今後の党運営に混乱が生じることは必至だ。党内からは「党存亡の危機」(中堅)との声も上がった。
麻生太郎首相(自民党総裁)は同日夜のテレビ番組で、敗因について「自民党に対する積年の不信や不満がこの選挙に集約された」と述べた。安倍晋三元首相、福田康夫前首相が相次いで政権を投げ出したことも念頭に、首相は「毎年、総裁が代わらざる得ない状態は、(敗因の)一つだ」とも指摘した。
自民党衆院選で「政権交代」を掲げる民主党に対抗し、「責任力」を訴えた。民主党の外交・安保政策や財源問題の不明確さなどを追及して、ネガティブキャンペーンを展開。劣勢挽回(ばんかい)を狙ったこうした主張も、大多数の有権者には届かず、首相は「自分の力不足を感じている」と肩を落とした。
政権与党から野党に転落し、首相は自民党総裁を辞任する意向を表明。同党は後継選びに着手するが、有力な「ポスト麻生」は見当たらないのが現状だ。国民的人気の高い舛添要一厚生労働相の名前が出ているものの、参院議員の総裁就任の例はなく、「舛添総裁」への異論は少なくない。
9月中旬の特別国会前に総裁選を実施するのは困難と判断。首相指名選挙では、麻生総裁に投票する方向で調整する方針。しかし、党内では「自民敗北の戦犯である麻生さんの名前は書けない」との反発もあり、総裁選の実施時期や方法をめぐって混乱する可能性もある。
さらに、細田博之幹事長ら党執行部も辞任するため、党内からは「党再建に向け、屋台骨になるべき人材が残っていない」との悲鳴も漏れる。



概算要求、中止すべき=10年度予算編成で−菅民主代表代行(時事通信 - Yahoo! 2009年8月31日(月))

民主党菅直人代表代行は31日未明、民放の報道番組で、同日に締め切りとなる各省庁からの2010年度予算の概算要求について「麻生太郎首相は、31日の段階で(要求の受け付けを)やめるべきだ」と語った。
各省庁では、麻生内閣が7月に策定した概算要求基準(シーリング)に基づき、予算要求事項を検討中。31日が財務省への提出期限となっている。ただ同党は、新政権の発足後、シーリングを見直し、「子ども手当」など10年度に実施する目玉施策を打ち出す考えを示しており、概算要求もやり直しとなる可能性が高い。



陸自最大規模の火力演習公開=見学者に投票呼び掛け−東富士(時事通信 - Yahoo!時事通信 - Yahoo! 2009年7月20日(月日(火))

国内では最大規模の陸上自衛隊の実弾射撃訓練「富士総合火力演習」が30日午前、東富士演習場静岡県御殿場市など)で一般公開された。衆院選の投開票日に当たるため、会場では約2万6千人の見学者らに投票を呼び掛けた。浜田靖一防衛相も視察した。
演習には陸自富士教導団などの隊員約2400人が参加し、戦車・装甲車約80両、火砲約40門、航空機約25機などを動員。ヘリによる偵察やレンジャー隊員による橋りょう爆破、迫撃砲、誘導弾を使った攻撃などの状況を公開した。弾薬の費用は約3億5000万円。
演習は隊員の教育などを目的に1961年から実施している。