各紙の社説

社説:衆院選民主圧勝 国民が日本を変えた(毎日新聞 2009年8月31日(月))

まさに、怒濤(どとう)だ。自民党の派閥重鎮やベテランが、無名だった新人候補にバタバタと倒されていった。国民は断固として変化を選んだ。歴史に刻まれるべき政権の交代である。
衆院選民主党が300議席を超す圧勝を収め、同党を中心とする政権の樹立が決まった。自民党は初めて衆院の第1党から転落するだけでなく議席が3分の1近くに激減する壊滅的大敗を喫し、自公政権は瓦解した。
選挙を通じ政権を担う第1党が交代する民主主義の常道が、日本の政治では長く行われずにいた。政権選択が2大勢力で正面から問われての政権交代は、戦後初めてである。
◇歴史的な体制の転換
民主党に不安を抱きながらも政治を刷新しなければ閉塞(へいそく)状況は打破できない、との国民の切迫感が、すさまじい地殻変動を生んだ。鳩山由紀夫代表を首相として発足する新政権の前途は多難だ。だが数をおごらず、政治を一新する維新の気概と覚悟で変化を国民に示さねばならない。
「風」などという段階をはるかに超え、革命的とすら言える自公政権への決別だ。約7割という投票率が国民の関心と、政治のあり方を変える強い意志を物語る。その象徴が、金城湯池とされた自民常勝区の崩壊だ。変化を求める民意は、世代交代による人材の入れ替えに発展した。
政権交代と言えば、93年衆院選で成立した細川内閣も確かに非自民政権だ。だが、第1党はあくまで自民党で、争点は政治改革だった。保守合同による自民党誕生で成立した「55年体制」は同党が唯一、政権担当能力を持つ意味では続いていた。
政権選択を目指し小選挙区が導入されて5回目の衆院選で、その体制についに終止符が打たれた。投票による政権交代という民主主義本来の機能回復を、私たちは政治の進歩として率直に評価したい。
それにしても、いかになだれ現象が小選挙区で起きやすいとはいえ、政治、社会の構造変化を抜きにこの激変は説明できまい。
自民党支配の源泉は業界・団体への利益配分、官僚による行政運営という強固な統治構造にあった。経済成長が行き詰まり、財政赤字などのひずみが深刻化する中で登場したのが小泉改革路線だ。郵政民営化など「小さな政府」を掲げ05年衆院選に圧勝、党は再生したかに見えた。
しかし、医療、年金、格差や地方の疲弊を通じ国民の生活不安が急速に強まり、党は路線見直しをめぐり迷走した。参院選惨敗に伴う「ねじれ国会」のなか、現職首相が2度も政権を投げ出し、政権担当能力の欠如を露呈した。小泉政治を総括できぬまま解散を引き延ばす麻生政権に、国民の不満は頂点に達した。
しかも、小泉路線の下、業界、農村、地方議員など党を支えた集票マシンは急速に衰え、離反した。2世、3世が幅を利かせ人材も不足した。麻生太郎首相が難局にあたるリーダーの資質を備えていたとは言い難い。制度疲労をきたし、自民党はまさに「壊れて」いたのだ。
一方、政権交代をスローガンとする民主党は「生活重視」「脱官僚」をマニフェストに掲げ、自民党が業界重視、官僚主導から脱せぬ中、争点の提示に成功した。衆院解散から約40日の論戦の結果、有権者民主党を選択した意味は重い。
だが、多数の議席を得た船出は、逆の意味で危うさをはらむ。期待がふくらむほど、裏切られた時の失望も大きい。数を頼みとする政権運営を戒めるべきことは当然だ。来年夏に参院選が控える。政治の変化の証明を待ったなしに迫られよう。
◇自民は解党的出直し
政治主導が可能な体制の速やかな構築が必要だ。縦割り省庁が行政を主導し続けた「官僚内閣制」を脱却しないと、官僚操縦に失敗した細川内閣の二の舞いを演じかねない。
あいまいな外交・安保政策も他党との連立協議の過程で明らかにすべきだ。国民は財源対策の説明のほころびなど、リスク承知で1票を投じた。政権担当能力を十分に信用しての圧勝と過信してはならない。
野党となる自民党の役割も重い。そもそも東西冷戦終結バブル経済が崩壊した時点で存在意義が問い直される中、政権に安住し続けたことが転落を招いた。真剣な総括なくしては、党存続もおぼつかない。
今選挙を民主、自民両党による2大政党政治の実現とみるのは早計だ。だが、選挙の審判で政権の枠組みを決するというルールは定着させねばならない。
経済危機、財政、年金、医療の立て直しなど喫緊の課題は多い。新政権は、国民との約束である公約を実行してみせるしかない。
そして、かじ取りを委ねた有権者にも責任がある。日本政治は、これまで以上に国民が当事者として参加、監視する新時代を迎えたのだ。



社説:民主圧勝 政権交代―民意の雪崩を受け止めよ(朝日新聞 2009年8月31日(月))

小選挙区制のすさまじいまでの破壊力である。民意の劇的なうねりのなかで、日本の政治に政権交代という新しいページが開かれた。
それにしても衝撃的な結果だ。小選挙区自民党の閣僚ら有力者が次々と敗北。麻生首相は総裁辞任の意向を示した。公明党は代表と幹事長が落選した。代わりに続々と勝ち名乗りを上げたのは、政治の舞台ではほとんど無名の民主党の若手や女性候補たちだ。
■100日で足場固めを
うねりの原因ははっきりしている。少子高齢化が象徴する日本社会の構造変化、グローバル化の中での地域経済の疲弊。そうした激しい変化に対応できなかった自民党への不信だ。そして、世界同時不況の中で、社会全体に漂う閉塞(へいそく)感と将来への不安である。
民意は民主党へ雪崩をうった。その激しさは「このままではだめだ」「とにかく政治を変えてみよう」という人々の思いがいかに深いかを物語る。
では、それが民主党政権への信頼となっているかと言えば、答えはノーだろう。朝日新聞世論調査で、民主党の政策への評価は驚くほど低い。期待半分、不安半分というのが正直なところではあるまいか。
長く野党にあった政党が、いきなり政権の座につく。民主党は政治の意思決定の方法や官僚との関係を大改革するという。だが、すべてを一気に変えるのは難しいし、成果をあせって猛進するのはつまずきのもとだ。
そこで民主党に提案したい。
最初の正念場は、来年度予算編成を終える12月末までだ。9月半ばの政権発足からほぼ100日間。これを政権の足場を固めるための時間と位置づけ、優先順位を明確にして全力で取り組むことだ。
やるべきことは三つある。
第一は、政治と行政を透明化することである。与党になれば、官僚が握る政府の情報が容易に入手できるようになる。それを洗いざらい総点検し、国民に情報を公開してもらいたい。
■賢く豹変する勇気も
天下り随意契約、官製談合、薬害、そして歴代の自民党政権がひた隠しにしてきた核兵器持ち込みに絡む日米密約……。かつて「消えた年金」を暴いたように、隠されてきたさまざまな闇を徹底的に検証してもらいたい。
第二に、政策を具体化するにあたって、間違った点や足りない点が見つかったら豹変(ひょうへん)の勇気をもつことだ。
マニフェストを誠実に実行するのは大事なことだ。だが民主党が重く受け止めるべきは、その財源について、本紙の世論調査で83%もの人が「不安を感じる」と答えていることだ。高速道路の無料化など、柔軟に見直すべき政策はある。むろん、政策を変えるならその理由を国民にきちんと説明することが絶対条件だ。
急ぐべきは一般会計と特別会計の内容を精査し、ムダな事業や優先度の低い政策を洗い出して、国民に示すことである。その作業なしに説得力のある予算編成は難しい。
山新首相は、9月下旬には国連総会やG20の金融サミットに出席する。これまでの外交政策の何を継続し、何を変えるのか。基本的な方針を速やかに明らかにし、国民と国際社会を安心させる必要がある。
第三に、国家戦略局行政刷新会議をはじめとする政権の新しい意思決定システムを、人事態勢を含め着実に機能させることだ。
自民党政権の特徴だった政府と党の二元体制に代えて、政策決定を首相官邸主導に一元化する。官僚が政策を積み上げ、政治が追認するというやり方を改め、政治が優先順位を決める。まず来年度の予算編成にそれがどう生かされるかを国民は注視している。
■「二重権力」を排せ
民主党のあまりの圧勝ぶりには、新たな不安を覚える有権者も少なくなかろう。巨大与党に対してチェック機能をだれが果たせるのか。他方、選挙対策を一手に担った小沢一郎前代表の影響力が強まることで、民主党内にあつれきが生じないかも気がかりだ。
93年の政権交代で生まれた細川内閣が、与党を仕切る小沢氏との「二重権力」のなかで短命に終わった歴史を思い出す。それを繰り返してはならない。国民の危惧(きぐ)をぬぐうには、鳩山首相のリーダーシップをはっきりと確立すべきだ。
そのためにも、鳩山氏は来年度予算案に政権担当者としての明確な意思と4年間の行程表を練り込むことだ。
今回の総選挙を、政権交代の可能性が常に開かれた「2009年体制」への第一歩にできるかどうか。それは、2大政党のこれからにかかっている。
自民党の党勢立て直しは容易ではあるまい。それでも、民主党がしくじれば交代できる「政権準備党」の態勢を早く整えることだ。そのためには今回の敗因を正面から見据え、「新しい自民党」へ脱皮する作業が欠かせない。
「とにかく政権交代」の掛け声で巨大政党に膨れあがった民主党は、交代を果たした後の自画像をどう描くかが今日から問われる。広がった支持基盤とどういう距離感をもつのか、外交・安全保障での理念やスタンスは……。「民主党とは何か」をもっと明確に出していかねばならない。
新しくめくられた政治のページを埋めていく作業はこれからだ。



社説:民主党政権実現 変化への期待と重責に応えよ(読売新聞 2009年8月31日(月))

自民党政治に対する不満と、民主党政権誕生による「変化」への期待が歴史的な政権交代をもたらした。
30日投開票の衆院選民主党が大勝し、自民党は結党以来の惨敗を喫した。
野党が衆院選単独過半数を獲得し、政権交代を果たしたのは戦後初めてのことである。
近く召集される予定の特別国会で、首相に指名される民主党鳩山代表が、国家経営の重責を担うことになる。
自民党への失望と飽き◆
このような民意の大変動の要因は、自民党にある。
小泉内閣市場原理主義的な政策は、「格差社会」を助長し、医療・介護現場の荒廃や地方の疲弊を招いた。
小泉後継の安倍、福田両首相は相次いで政権を投げ出した。
麻生首相は、小泉路線の修正も中途半端なまま、首相としての資質を問われる言動を続けて、失点を重ねた。
この間、自民党は、参院選敗北によって参院第1党の座を失い、従来の支持・業界団体も、自民離れを加速させた。
構造改革路線の行き過ぎ、指導者の責任放棄と力量不足、支持団体の離反、長期政権への失望と飽きが、自民党の歴史的敗北につながったと言えよう。
民主党は、こうした自民党の行き詰まりを批判し、子ども手当や高速道路無料化など家計支援策、多様な候補者を立てる選挙戦術で有権者の不満を吸い上げた。
小泉政権下の前回衆院選では、「郵政民営化」と刺客騒動で、自民党に強い追い風が吹いた。
今回、風向きは一転、「政権交代」を唱えた民主党側に変わり、圧勝への勢いを与えた。この結果、自民党だけでなく、連立与党の公明党も大きな打撃を受けた。
民主党政権に「不安」は感じつつも、一度は政権交代を、との有権者の意識が、それだけ根強かったと見るべきだろう。
しかし、300議席を超す勝利は、必ずしも、民主党への白紙委任を意味するものではない。
政権公約の見直しを◆
山新内閣は、政権公約マニフェスト)で示した工程表に従って、政策を進めることになる。だが、“選挙用”政権公約にこだわるあまり、国民生活を不安定にさせてはならない。
最大の課題は、大不況から立ち直りかけている日本経済を着実な回復軌道に乗せることだ。雇用情勢の悪化を考えれば、切れ目のない景気対策が欠かせない。
来年度予算編成でも、景気浮揚に最大限の配慮が必要だ。
外交・安全保障では、政権交代によって、国際公約を反故(ほご)にすることは許されない。外交の継続性に留意し、日米同盟を堅持しなければならない。
民主党は、参院では単独過半数を持たないことから、社民、国民新両党と連立政権協議に入る。
懸念されるのは、自衛隊の国際平和協力活動など、外交・安保の基本にかかわる政策をめぐって、民主、社民両党間に大きな隔たりがあることだ。
少数党が多数党を振り回すキャスチングボート政治は、弊害が大きい。民主党は、基本政策で合意できなければ、連立を白紙に戻すこともあり得るとの強い決意で、協議に臨むべきだろう。
民主党は、「官僚政治からの脱却」も目標に掲げている。だが、首相直属の「国家戦略局」を設けたり、多数の国会議員を各府省に配置しさえすれば、官僚を動かせるというものではない。
官僚と敵対するのではなく、使いこなす力量が問われる。官僚の信頼を得て初めて、政策の遂行が可能になることを知るべきだ。
自民党は1955年、左右の社会党の統一に対抗する保守合同によって誕生した。
当時のイデオロギー対決はすでになく、かつての社会党も存在しない。今回の自民党の壊滅的な敗北は、自社主軸の「55年体制」の完全な終幕を告げるものだ。
自民党は立ち直れるか◆
自民党は、これから野党時代が長くなることを覚悟しなければなるまい。民主党とともに2大政党制の一角を占め続けるには、解党的出直しが必要だ。
93年、自民党は金権腐敗から一時期政権を退いた。その後、社会党公明党などとの連立で政権を維持してきた。
しかし、自己改革を怠り、結局、有権者の手によって、再出発を余儀なくされた。
今後は、麻生首相に代わる新総裁の下、来年夏の参院選に向け、党の組織や政策、選挙体制など、すべての面にわたり徹底的な改革が迫られる。
説得力のある政策を示し、民主党政権に対する批判勢力として、闘争力を高めねばならない。



【主張】民主党政権 現実路線で国益を守れ 保守再生が自民生き残り策(産経新聞 2009年8月31日(月))

第45回総選挙が投開票され、民主党は選挙区、比例代表ともに自民党を圧倒した。
野党が単独で過半数を占め、政権を樹立するのは戦後初めてだ。自民党主導政治を終焉(しゅうえん)させるという歴史的な転換点になった。13年前の総選挙から導入された小選挙区制による政権交代を可能にする二大政党制が、ようやく機能した意味は大きい。民主党自民党批判の受け皿になったのである。
問題は、政権交代が目的化し、この国をどうするのかという選択肢がほとんど吟味されぬまま、結論が導かれたことだ。
民主党主導の新たな政権により、これまでの内政・外交の基軸は大きく変わらざるを得ないだろう。自民党が曲がりなりにも担ってきた戦後秩序も変化を余儀なくされる。場合によっては、日本を混乱と混迷の世界に投げ込むことにもなりかねない。政権交代が日本を危うくすることもあるのだ。そうなることは民主党にとっても本意ではないだろう。
国の統治を担う以上、民主党には国益や国民の利益を守る現実路線に踏み込んでほしい。マニフェスト政権公約)で掲げた政策の修正を伴うケースも出てこようが、1億2千万の日本人の繁栄と安全を守り抜くことをなによりも優先させるべきだ。
≪危ういポピュリズム
今回の選択で留意すべきは、民主党の政策が高く評価されたというより、自民党にお灸(きゅう)を据えることに重点が置かれたことだ。たとえば、民主党が掲げた「高速道路の原則無料化」に対し、産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)の合同世論調査では、反対が65%と賛成(30%)の倍以上となった。
政権を担う民主党の力量に不安があることも事実だ。本来、政権交代のたびに基本政策が大きく変わることは好ましくない。とくに外交・安全保障政策の基軸が揺れ動いては対外的信用を失う。
民主党はこれまで、インド洋での海上自衛隊による補給支援を一時的に撤退させ、在日米軍駐留経費の日本側負担に関する特別協定に反対してきた。小沢一郎前代表の政局至上主義のためだが、「党利党略は水際まで」の原則を否定したのでは信頼は高まらない。
その意味で、維持されるべき日本政治の方向性とは、日米同盟を基軸とした外交・安保政策の継続であり、構造改革の推進により経済や社会に活力を取り戻すことにほかならない。民主党が現実的な判断に立ち、これらを継承することができないなら、何のための政権交代かということになる。
また、国民の政治に対する判断はどうだったのだろう。4年前の総選挙では、小泉純一郎首相が掲げた郵政民営化を圧倒的に支持した。それが今回は、民主党の主張する「政権交代」というキャッチフレーズに熱狂的に共鳴したといえる。
2年前の参院選でも民主党は勝利したが、振り子の激しさは政治を不安定にしかねない。とりわけ、単一イシュー(争点)に白黒をつけることが最大の選択肢となることは、単純明快かもしれないが、ポピュリズム傾倒の危うさがあると認識すべきだろう。
一方で、多くの国民が民主党に閉塞(へいそく)感を払拭(ふっしょく)することを期待したのも間違いない。民主党が公約に掲げた首相直属の国家戦略局は、予算作りだけでなく、国家ビジョンを検討するという。
≪敗北を徹底検証せよ≫
これまで、こうした外交・安保政策の司令塔はなかった。官僚主導から政治主導への成果を出すことができなければ、国民の失望感は大きくなるだろう。
自民党は歴史的な惨敗になった。党幹部や閣僚らは相次いで選挙区で落選・敗退した。解党的出直しへの答えを見いだせないまま選挙に臨み、政権から退場を求められたといえる。自民党政治への不信や行き詰まり感が広がったことに加え、保守政党としての存在意義を十分発揮できなかった点も見過ごせない。
憲法草案の策定など、民主党に比べれば保守色をみせていたが、集団的自衛権行使の政治決断には至らず、国の守りに関しても不十分さが残った。
公明党との連立下でもイラク自衛隊派遣などの業績は挙げたが、連立の常態化が何をもたらしたかを考えるべきだった。敗北を徹底的に検証してもらいたい。保守政党として民主党への対抗軸を早急に構築し、再生を果たして国民の期待に応える責務がある。



【社説】歴史の歯車が回った 民主が圧勝 自民落城(東京新聞 2009年8月31日(月))

政権が代わる。民意は自公政治の継続を許さず野党の政権を選択した。憲政史上初の出来事だ。歴史の歯車が回り、新たな時代の門口に、私たちは立つ。
つかんでもつかんでも指の間からこぼれる砂。選挙の帰趨(きすう)を左右する、特定の支持政党のない有権者の気まぐれを、かつて中曽根康弘氏が砂に例えたことがある。
とらえどころのない、そんな砂が、明確な意志を持った。「政権を代える」という意志である。
四年前の「郵政民営化か否か」とは次元がかなり異なる。一票に込められた変革への欲求が、ひと塊となって野党に政権の座を用意したのは、憲政史上例がない。
◆「鳩山」「一郎」政権
長らく「自民王国」と称された保守地盤が軒並み崩れた。自民党の首相経験者や現職閣僚、要職を歴任した大物たちが退場を余儀なくされ、あるいは脅かされた。
メディアの度重なる民主党圧勝予測にも有権者は動じず、古くからの支持者ですら粛々と自民政治に別れを告げた観がある。
政権交代をためらう世間の空気は薄れて、衆院小選挙区制の威力がいよいよ発揮されたのだ。
民主の顔となった鳩山由紀夫代表は「保守とか革新とかの時代ではない」と保守層に呼び掛け、抵抗感を薄らげるのに成功した。
黒子役に徹した小沢一郎氏は代表当時と変わらぬ指揮のさえを見せた。自民政治を地域で支えた農村組織や建設、医療団体にくさびを打ち込んだ。敵陣からの候補の擁立も、えげつなく。
新人候補に“どぶ板”選挙を徹底させた。公明党幹部の選挙区を激戦に持ち込んで、自民の頼む創価学会の動きを封じてもいる。
表の顔と裏の顔が小選挙区効果を倍加させた印象もある。自公に取って代わって衆院を席巻した民主の政権は「鳩山」「一郎」政権と名付けるのがふさわしい。
◆一変する政の風景
ちなみに鳩山氏の祖父・一郎氏は自民の結党を挟んで一九五四年から二年余、政権を担当した。党の五十年史はこう記している。
「大胆な行政改革構想を提起して官僚政治を排し、政治主導、内閣主導の政策決定の方向に進む意気込みを示した。こうした課題はいつの日にか必ず実現されるべき民主政治の大目標である」
選挙戦で民主党が繰り返し唱えたのが、この「明治以来の官僚主導政治からの脱却」だった。
過去半世紀、歴代自民党政権が口にはしながら怠ってきた「実現されるべき大目標」が、鳩山、小沢両氏を柱とする民主政権に委ねられることになる。
鳩山代表ら党首脳は直ちに政権移行チームを編成し、九月半ばと想定する民主党内閣の発足へ脱・官僚の体制づくりを急ぐ。
霞が関の役人が族議員天下り予定先の業界と一体でリードしてきた縦割り式の予算配分。その惰性を絶ち、政策の優先順位を政治が決める。国が主、地方は従の中央集権を地域主権へと転換する。いずれも時代の確かな要請だ。
外交・安全保障のありようも旧来の官僚任せを改められるとすれば、政治の風景は一変する。小勢力の社民党国民新党などは民主との連立を織り込み、共産党も是々非々の協力を表明している。
全国各地の投票所に列をなして民主に大勝利を与えた民意が、政権担当の力量をこの党に認めたのかは怪しい。むしろ「よりましな政権」へ雪崩を打ったと見る方がいいかもしれない。
それでも、自民党が官僚機構とつくりあげた、盤石にも見えた厚い壁はもろくも突き破られた。「日本を壊すな」と劣勢に焦りの声を上げた麻生太郎首相らを顧みることなく、有権者は欲する政権をじかに選んだ。歴史に刻まれる二〇〇九年衆院選であったのだ。
自民は完膚なきまでに打ちのめされた。父から子、親族へと、当たり前のようだった世襲、そして平成の大合併や組織票依存で足腰が弱った党は、時代が必要としなくなったようにも見える。
連立を組んで十年、ともに自民政権の危機を首相のすげ替えで乗り越えてきた公明も代表と幹事長の議席まで失った。協力関係の継続は難しかろう。両党にはたして復元力はあるか。
老後の年金や医療、雇用に募る不安、教育にも及ぶ格差社会の不公平に有権者は怒り、政・官のなれ合い、しがらみの政治との断絶を促した。自公に代わる民主の政権はそれに応える責務がある。
政党政治を壊すな
経験のない数を得た民主は無駄なく巨体を動かす秩序づくりが急務だ。死屍(しし)累々の自民は後継総裁選びと党再建に追われよう。
大量議席に政権側がおごり、落城した側が混迷を続けるなら、政党政治は壊れ、二大政党体制も幻となる。監視が必要だ。有権者の仕事は投票だけで終わらない。



社説 変化求め民意は鳩山民主政権に賭けた(日本経済新聞 2009年8月31日(月))

政権交代の是非が最大の焦点となった第45回衆院選は、民主党が圧勝した。来月中旬にも召集される次期特別国会で鳩山由紀夫民主党代表が新首相に選ばれる。有権者は「変化」に賭け、民主を中心とする新政権に国政のかじ取りをゆだねた。
1955年の結党以来、ほぼ一貫して政権の座にあった自民党は、衆院でも第2党に転落し、下野する。2005年の前回衆院選と立場が逆転する歴史的な惨敗を喫し、議席数は過去最低となった。麻生太郎首相は党総裁を辞任する意向を表明した。自民と連立を組んできた公明党も大幅に議席を減らした。
初の本格的な政権交代
93年に細川非自民連立政権が誕生した時とは異なり、今回の衆院選は第1党と第2党が入れ替わる形の本格的な政権交代である。現行憲法下で選挙による本格的な政権交代は初めてのことだ。
選挙戦は野党の民主が終始、優勢を保つ異例の展開になった。事前の情勢調査で「民主圧勝」の予測が出ていたとはいえ、結果は衝撃的である。小選挙区比例代表のいずれも民主が自民を圧倒した。小選挙区では民主の新人や元職が自民の大物を破り、続々と勝ち名乗りを上げた。有権者の関心は高く、投票率は前回(67.51%)を上回る見通しだ。
自民は4年前の郵政選挙で圧勝したが、党則を理由に小泉純一郎首相が1年で退任し、後を継いだ安倍晋三福田康夫両首相はともに1年で政権を投げ出した。07年の参院選で大敗し、参院第1党の座を民主に明け渡した。その後は衆参ねじれ国会の運営に苦しめられた。
昨年9月の総裁選で「選挙の顔」として選ばれた麻生首相は、リーマン・ショックを契機とする経済・金融危機への対応を最優先し、景気対策に取り組んできた。だが自らの失言や政策決定の迷走で内閣支持率は低迷し、党勢回復のきっかけをつかめぬまま、衆院議員の任期満了直前に解散に追い込まれた。
半世紀余り続いた自民党政治への飽きとともに、前回の衆院選以降に顕著となった自民の統治能力の劣化が有権者の離反を招いたといえる。年金の記録漏れ問題などの行政の不祥事が相次いで表面化した。前回選挙では小泉首相郵政民営化への執念が有権者の共感を呼んだが、小泉氏の退任後は、なし崩し的に構造改革路線の転換が進んだ。
民主は現状に不満を持つ層を広く吸収して、政権交代への期待を高めるのに成功した。マニフェスト政権公約)では「官僚丸投げの政治」からの転換を掲げ、政治主導を前面に打ち出した。行政刷新会議を新設して予算の無駄を徹底的に排除するなどの、既得権益に切り込もうとする姿勢が支持されたとみられる。
民主は政府と与党の二元的な政策決定の仕組みを改め、内閣の下に一元化する方針を打ち出している。政権の司令塔となる国家戦略局をはじめ法改正が必要な構想も多く、軌道に乗せるための現実的な工程表が要る。統治機構の改革への有権者の期待にこたえるには、鳩山氏が強い指導力を発揮して政権の課題を明確にし、閣僚や副大臣に能力のある政治家を配することが不可欠だ。
新政権は発足後直ちに来年度予算編成に取り組まねばならず、政権公約を実現する力が試される。政権公約には月額2万6000円の子ども手当などの目玉政策を列挙したが、財源の裏づけははっきりしないままだ。鳩山氏は民主の政策に欠けている日本経済の成長戦略や財政再建目標などの中・長期ビジョンについても、所信表明演説などできちんと説明する責任を負っている。
民主は社民、国民新両党との連立政権を目指す方針だ。外交・安全保障政策では社民と大きな溝がある。連立を優先するあまり、政策面で安易な妥協をせぬよう求めたい。
自民は解党的出直し
来月下旬には国連総会などの重要な外交日程が目白押しだ。それまでに新内閣を発足させなければならず、政権移行の時間は極めて限られている。鳩山氏は記者会見で、首相指名後に閣僚人事を決める考えを示したが、官房長官などの主要閣僚は速やかに内定し、準備を急ぐ必要がある。自民も政権交代が円滑に進むよう協力しなければならない。
かつてない敗北となった自民の今後はいばらの道だろう。党の有力者の落選が相次ぎ、人材難は深刻である。政党助成金が大幅に減るのは避けられず、党財政にも甚大な影響が及ぶのは必至だ。
この機会に党組織や候補者選考方法などを抜本的に見直し、新たな党の姿を探るしかない。麻生氏の後継を選ぶ総裁選で党の再建策を徹底的に議論し、有権者の信頼を取り戻すよう努めるべきだ。政権交代可能な二大政党制を定着させるために、自民は文字通りの「解党的出直し」に取り組む覚悟が求められている。



社説:【09衆院選】民主圧勝 政治の歴史的転換点だ(秋田魁新報 2009年8月31日(月))

まさに日本政治の歴史的転換点である。第45回衆院選民主党の圧勝で幕を閉じた。予想されていたとはいえ、これほどの大差が現実のことになると、「地殻変動」という表現も決して大げさではなくなる。
民主党は確かに勝った。しかし、内実は見た目ほど単純ではない。むしろ自民・公明政権への不満や不信が巨大なうねりとなり、政権交代の受け皿として民主党支持へと向かわせた。そんな側面が色濃いのである。
自民党は選挙を経ることなく、首相を交代させ続けた。しかも一人目、二人目は政権を投げ出した。三人目の麻生太郎首相は不況があったにしろ、選挙情勢の不利も理由に衆院解散の決断を先延ばしにしてきた。
その麻生首相が「責任力」を叫ぶおかしさを有権者は見逃しはしなかったのだ。自民党は政権の座にあぐらをかき、民意をすくい取れないまま、半ば自壊したとみることもできる。
年金や医療制度への不安、官僚主導政治の限界、政治とカネの問題に象徴されるように、自民型政治の行き詰まりは明らか。有権者はこれにも「ノー」を突き付けたといえよう。
民主党への期待は極めて大きい。その根底にあるのは、とにかく「政治を変えてほしい」という有権者の切実な思いだ。
この意味で既に政権党としての仕事が始まっていると言っていい。少しずつであれ、変化や変革を実感できるようにならなければ、期待が膨らんでいる分、容易に失望に転化する。
政権党となれば国民の見方は厳しさを増す。マニフェスト政権公約)の政策は本当に実現できるのか。特に不安視される財源の裏付け、連立を組む社民党国民新党との政策調整を早急に進める必要がある。
何よりわが国の将来ビジョンを早めに国民に語りかけてほしい。日本の政治に欠けているのは、しっかりした哲学に基づく国家像だからである。
勝敗が入れ替わったにしろ、4年前の「郵政選挙」を上回る圧勝構図となったことにも目を向けなければならない。
票差以上に議席数が開く小選挙区比例代表並立制の特徴が如実に表れたと同時に、圧勝に伴いがちな「おごり」の懸念がぬぐい切れないのである。
当然のことながら、常に民意に耳を澄まし、必要に応じて信を問う覚悟、潔さを持っていなければ、有権者の投票が直接政権交代につながる「二大政党制」は根付いていかない。
全国を席巻した流れに本県もすっぽり包まれたとみて構わないだろう。3選挙区で自民党議員が消え、民主党候補、または民主支持層をまとめた候補が議席を獲得した。
すべてはこれから何をするかにかかっている。少子高齢化や産業の衰退にいかに歯止めをかけ、本県を再生させるのか。重く難しい課題への取り組みを有権者は注視している。



民主党政権誕生へ/圧倒的多数を民生の向上に(河北新報 2009年8月31日(月))

「あの一票で政治が動いた一日だったと言っていただけるようにする」。鳩山由紀夫民主党代表の街頭演説での言を借りるなら、やはり歴史の転換点に立ち会った日だったと言っていいのだろう。
きのう投開票が行われた第45回衆院選民主党が圧勝、鳩山首相が誕生することが確実となった。1990年代の一時期を除き、半世紀以上にわたって政権を担った自民党は野党に転落。民主党を中心とする連立政権がこの国をリードする「09年体制」が始動する。
内政、外交ともに課題山積の中での船出である。鳩山内閣は9月中旬にも発足する見込みだが、慢心することなく国民の負託に応えてほしい。
わずか数%の得票率の変化で勝者と敗者が劇的に入れ替わる小選挙区制の特徴とはいえ、民主党の勝利は地滑り的だった。小選挙区比例代表で擁立した候補者のうち9割が当選を果たした。
2005年の郵政選挙で大勝した小泉純一郎元首相は1年で退陣。その後は3人の首相による国民の信任無き政権のたらい回しが続いた。消えた年金問題や閣僚の失言、さらには所得格差の拡大など構造改革路線がもたらした負の側面も浮き彫りとなった。
「国民がチェンジを求めている」。鳩山氏が選挙中、何度も繰り返したように、有権者自公政権に対する不満は頂点に達していた。統治能力が低下した自民党に対して、厳しい審判を下したのは当然の帰結だった。
一方で「反自民」の風だけで、政権交代を説明することにも無理がある。
小沢一郎前代表が「生活が第一」のスローガンを掲げ勝利した07年参院選を挟み、民主党は上昇傾向にあった。子育てや年金・医療、雇用など民生の向上に的を絞った争点設定が奏功したことは間違いない。
それだけに、民主党に対する期待は大きい。圧倒的多数の議席を「資源」としてどう有効活用するのか。同党は政権交代に備え、「次の内閣」などで政策論議を重ねてきた。その真価が問われている。
7月の完全失業率が5.7%となり、過去最悪を更新した。雇用情勢の一層の悪化が確実視される中、新規成長分野を早期に創出できなければ、期待は失望に変わる。
大統領就任後、米国では100日間は厳しい批判を控える「ハネムーン」の習慣があるが、現在のわが国にそうした猶予がないことを鳩山氏は肝に銘じるべきだ。
国会運営についても注文を付けておきたい。それは少数意見をどのようにくみ取るのかという問題だ。
参議院少数与党だった自公政権はいわゆる「ねじれ」に苦しみ、衆議院で3分の2超の議席を有することを背景に再議決という強硬手段を多用した。今回の衆院選で「ねじれ」は解消、民主党は数の上ではフリーハンドを得た。
ただ、多数党が思いのまま政策決定するとき、国民的利益の統合という代議制の理念は失われる。議院内閣制の欠点としてしばしば指摘される「選ばれた独裁制」に陥ってはならない。
完全無欠の政党などないはずなのに、わが国では単一政党による長期支配が続いてきた。今回の選挙が歴史を画するのだとすれば、それは先進国では例のない政権交代なき民主主義に、ひとまずピリオドが打たれたことだろう。
無論、民主党とて例外ではない。わたしたちは事あるごとに業績評価し、国民の利益に離反したときには「ノー」を突き付ける権利を持つ。政権交代を、ごく当たり前の現象としたい。



社説:衆院選 民主圧勝 政権交代の大波うねる(新潟日報 2009年8月31日(月))

政権選択が最大の焦点となった衆院選民主党の完勝に終わった。獲得した議席数は4年前の郵政解散自民党が得た296を上回って300を超えた。歴史的な大勝である。
日本の政治史上、初の本格的な政権交代が起きた。1996年に小選挙区制による衆院選が行われて以来、5回目にして二大政党の間で政権が移ることになる。
国内外に懸案が山積する中で鳩山政権が発足する。それも結党以来最大の議席を得て政権を担うことになる。鳩山民主党の責務は重い。
自民党が「自壊」した
自民党は惨敗を喫した。2年前の参院選で第1党に躍り出た民主党とどう戦うかが問われていた。
しかし、自民党は首相をたらい回しするなど政権維持に汲々(きゅうきゅう)とし、地殻変動を起こしていた民意に対して真剣に向き合おうとしなかった。負けるべくして負けたといえよう。
民主党マニフェストには子ども手当、農家への戸別所得補償、高速道路の無料化などが盛り込まれている。2年前の参院選は直接給付をうたって勝利した。今衆院選も「生活重視」を掲げてその再現を狙った。民主党勝利の要因に給付中心の政策が功を奏したことも挙げられるがそれだけでない。
「ばらまき」政策には財源手当ての不安がつきまとう。恩恵を受ける人もいれば増税となる層もある。直接給付は自公政権も公約に掲げていた。そう大きな差があったとは思えない。
民主党に一度は任せてみたい。自民党長期政権を終わらせ、行き詰まった政治に風穴を開けたい。民主に大勝をもたらした背景には、そんな有権者の思いがある。麻生太郎首相は「積年の不満をぬぐえなかった」と敗戦の弁を語った。その通りだろう。
◆試される政策遂行力
民主党にとって政権移行は初めての経験となる。国民の暮らしを支える予算編成も急がねばならない。一時的な混乱や試行錯誤が続くことを国民も覚悟する必要があろう。
大勝を受けて鳩山由紀夫代表は社民、国民新両党と連立政権を組むとあらためて明言した。政権協議にも注目する必要がある。安保・外交などをあいまいにしてはならない。
民主党マニフェストで内政の施策を示している。その中で最も力を込めて訴えたのは政治主導、内閣主導による「脱官僚政治」である。
英国をモデルにして多くの議員を政府に送り込み、官僚任せの政治と決別することを約束した。民間人の政治任用も取り込む考えだ。
だが、これは力仕事だ。自民党による一連の行革は府省の抵抗に遭って難航を極めた。腰砕けとなったものは多い。民主党政権には、縦割りの官僚制度を改革しなければ、財源をねん出すらままならないという危うさがある。政権党としての実行力が最初に問われる場面となる。
タテ型の利権社会からヨコ型の絆(きずな)社会実現も掲げている。鳩山代表が常々強調する「友愛」同様、内容は漠としている。党としての理念をさらに明確していく必要がある。
◆新たな芽を育てたい
自公が連立を組むようになってから10年になる。この間、戦後最長の景気拡大を経験した。しかし、日本経済は徐々に活力を失ってきたのが実情だ。 地方が疲弊する一方、貧困という言葉がためらいもなく使われるようになった。経済を重視し、地方を基盤としてきた自民党政治の根幹が揺らいだ。
それでも小選挙区制の下で行われた衆院選結果の最低ラインからすれば150議席は確保できると踏んでいたはずである。それに遠く及ばないどころか、大物議員の落選が相次いだ。
県内も民主党公認候補が初めて全小選挙区を制した。保守王国に民主の風が吹いた。県連会長である近藤基彦氏が敗れ、6期目を目指したベテランの稲葉大和氏が民主新人の黒岩宇洋氏に苦杯を喫した。自民党にいた田中真紀子氏が民主党入りして当選したのも、政界力学の変化を象徴する出来事だ。
県内に限らず、人物よりも政党が前面に出て、落下傘のような新人候補が長年地盤を築き上げたベテラン議員をいとも簡単に打ち破った。
二大政党制の下で候補の人柄や見識を重視するより、党の公約や「選挙の顔」に有権者の関心が向く傾向が強まった。このありようも問われよう。
小選挙区制の冷徹な面を見せつけた選挙だった。候補者の当選に結び付かない「死に票」になるのを嫌って投票した有権者も少なくないはずだ。
世代交代を強く印象付けた。問われれるのは、若い議員を駒のように使うのではなく、次代を担う政治家として党がどう育てるかだ。
投票率は、前回上昇に転じた郵政選挙をも上回った。有権者の政治意識の高まりとみるべきだろう。政権交代が何をもたらすかは不透明だが、政治が大きく動き出したのは間違いない。それが日本の政治の進化につながるかどうか。課題は重い。



社説:激変 総選挙 新しい政治を開きたい(信濃毎日新聞 2009年8月31日(月))

すさまじい風が列島を吹き抜けた。
第45回総選挙は民主党が圧勝した。政権の担い手は民主党を中心とする政党へと移り、民主党代表の鳩山由紀夫氏が首相に就任する。劇的な政権交代である。
長野県では五つの小選挙区議席民主党が独占した。
与野党の交代という意味では、1993年の細川内閣の成立がある。しかしこの時の選挙で衆院第1党の座を占めたのは自民党だった。細川内閣は旧新進党、旧社会党など、8党派を寄せ集めたガラス細工の政権だった。長持ちするはずもなく、1年もたたないうちに瓦解している。
<期待と不安が交錯>
今回は民主党が第1党の座を自民党から奪い取った。二大政党が正面からぶつかって政権が交代するのは、1955年の保守合同以来、初めてのことである。
民主党が勝った一番の原因は自民党政治の行き詰まりだろう。自民党はいわば、反共と経済成長の党だった。東西冷戦の終結により「反共」の看板は色あせた。低成長の時代に入ったことで、「成長のパイ」を分配する手法も通用しにくくなった。
環境の変化に自民党は対応し切れていない。安倍−福田−麻生とつないだ3代の政権の迷走は、その表れだ。
小泉純一郎元首相が政権にあった5年余の間、小泉流の巧みな政治手法により自民党は命脈を延ばしたものの、副作用は大きく、党の基礎体力はむしろ弱まった。その結果が今回の大敗である。
二大政党制を念頭に、衆院小選挙区比例代表並立制が導入されて13年。日本の政治はいま、これまで経験したことのない領域に踏み込もうとしている。そこには期待と不安が交錯している。
<自民はよき敗者たれ>
理念と政策を異にする二大政党が政権を競い合い、時には実際に政権を交代する。第3党以下の政党もそれぞれ存在感を発揮する。そんな新しい政治の可能性が見え始めている。
ただし、新しい政治への扉は無条件では開かない。各党の取り組みに懸かる。
野党になる自民党の対応はとりわけ重要だ。自民党が四分五裂していくようでは、二大政党制は絵に描いたもちに終わる。
国民がいま自民党に期待するのはただ一つ。自民党が“よき敗者”となることではないか。
自民党には結党以来、保守からリベラルまで、さまざまな考えを持つ政治家が同居してきた。融通無碍(むげ)で何でもあり。
これでは二大政党の一方の極になるのは難しい。野党になった途端に求心力を失い、党勢を衰えさせるのは目に見えている。
自民党に求めたい。国民から愛想を尽かされた原因はどこにあるのか、党内論議を尽くした上で政治理念と政策に磨きをかけ、信頼回復に努めてほしい。自民党は何を目指すのか、はっきりさせることが党再生の出発点だ。
旗印を鮮明にする必要性は、民主党も変わらない。民主党もまた旧自民党から旧社会党まで、さまざまな経歴をもつ政治家の集まりだ。政権運営の軸を定めにくい弱点を持っている。鳩山代表が掲げる「友愛」も中身はあいまいだ。
“何でもあり”の自民党から“何だかよく分からない”民主党への交代では、選挙の意味は半減する。長い目で見れば、政治の安定も望めないだろう。
選挙戦で民主党は、家計への直接支援をはじめとする分配重視の経済政策を前面に押し出した。自民党は企業や業界団体を通じる景気刺激策で対抗した。
この違いを両党が掘り下げれば「リベラル対保守」の構図が浮かび上がってくる。対立軸として、有権者には分かりやすい。
<対立軸を鮮明に>
来年の参院選、そして次回総選挙へ向けて、政党の競い合いがきょうから始まる。雇用、格差、人権、憲法、地球環境…。各面の課題について、各党は確かな理念に裏打ちされた政策体系を国民に示してほしい。
既に触れたように、今回の民主党の勝利は自民党への失望が大きい。民主党の政策が支持されたと考えるのは早計だ。
自民党が大勝した4年前の「郵政選挙」から今回へ。2回の総選挙は小選挙区制選挙の「ぶれ」の大きさを見せつけた。
民主党が国民の期待に応えられなければ、民主党を政権の座に押し上げた風は次は逆風となって吹き付けるだろう。有権者との約束であるマニフェスト政権公約)の実行に全力を尽くすことだ。
衆院が解散されたとき、私たちはこの欄で、政治が当面する二つの課題を指摘した。(1)少子高齢化に対応できるよう、社会の仕組みを整える(2)負担の「痛み」を国民に引き受けてもらうためにも、政治が信頼を取り戻す−。
待ったなしの課題が待ち受ける。新しい政治を切り開く決意を、各党は固めてもらいたい。



社説:「09衆院選」政権交代 新しい政治への期待は(愛媛新聞 2009年8月31日(月))

きのう投開票された第45回衆院選は、300を超える議席を獲得した民主党の圧倒的勝利だった。自民党は過去最低を大幅に下回った。
愛媛は自民党が底力を発揮した。ただ民主党が初めて3区で議席を獲得したほか、激戦を反映して2人が比例四国で復活当選した。
いうまでもなく今選挙の最大の争点は「政権選択」だった。有権者は自民、公明両党の連立政権に見切りをつけ、民主党中心の鳩山政権を選んだといえる。
自民党支配が長らく続いてきたことを考えれば、歴史的な選挙結果だ。当然のことだが、政権の選択権が有権者にあるんだということをあらためて認識させもした。
一つの党が長年にわたって政権を独占していては、議会制民主主義はいびつになる。何よりも政権交代の仕組みが機能するようになった意義は大きい。
1955年の保守合同後、自民党はほぼ政権の座にあった。この間、よくも悪くも自民党が長年培ってきた統治の仕組みが日本の政治を支配してきた。それは強固な中央集権的な統治体制であったり、官僚と一体となった利益分配システムだったりした。
今回の選挙結果は、戦後半世紀以上も続いてきた自民党中心の政治システムに有権者が終息宣言したと受け止めていいだろう。
民主党子育て支援や農家への戸別所得補償制度、高速道路無料化などの政策を掲げて戦ってきた。しかし、民主党に票を投じた有権者が、すべての政策に賛成しているわけではない。自民党への失望感や嫌気が、新しい政治体制への期待感になって表れたとみるべきだ。地滑り的な勝利は、敵失に負うところが大きいことを民主党は肝に銘じておく必要がある。
民主党の政治手法や政策体系が国民に十分に理解されているとはいいがたい。数におごることなく、引き続き理解を得る努力が欠かせない。また選挙中に訴えてきた政治主導をいかに実践するかが問われてこよう。
民主党の政策は国民への直接給付を重視している。限られた財源を考えれば、恩恵を受ける当事者にも戸惑いや不安があろう。対症療法でない抜本的な政策を打ち出すことを求めたい。
自民党は元首相や派閥の長が選挙区で苦杯をなめた。初めて衆院第1党からも転落する。ショックは計り知れないものがあるにちがいない。
しかし、この4年間を考えれば当然の帰結ともいえる。2代続いた首相の政権投げ出しや、相次ぐ大臣らの不祥事を思い出せば十分だ。まずは有権者の声を真摯(しんし)に受け止めることだ。それなくして党の再生はおぼつかない。



論説:民主党政権誕生へ 歴史的な勝利に重い責任(参院中央新報 2009年8月31日(月))

有権者が自らの意志で自民、公明の連立政権に明確な「ノー」を突きつけ、民主党に政権を託す道を選択した。歴史に残る選挙の意味をかみしめたい。
民主党が飛躍的に議席を伸ばし、300議席を超える圧勝で政権交代を実現した。自民党は記録的な惨敗で、1955年の結党以来、93〜94年の約10カ月間を除いて担ってきた長期政権の座を失った。約70%の高い投票率有権者が積極的に意思表示した結果である。
鳩山由紀夫次期首相が率いる民主党政権有権者の期待に応え、この国の将来を切り開いていく重い責任を担った。だが道筋は平たんではない。今後、政権担当能力が厳しく問われることになる。
民主党の最大の勝因は、今の閉塞(へいそく)状況を招いた自民党の「失政」と言えるだろう。4年前の郵政選挙では小泉純一郎首相が「構造改革」を掲げ、大勝した。だがその後、自民党政治のほころびが次々と明らかになった。
「百年安心」をうたった年金制度は記録不備問題で信頼を根底から失った。規制緩和によって格差が拡大、自殺者が増え、今や「貧困」が現実問題だ。地方も疲弊し、少子高齢化が進む将来に国民は明るい展望を描けなくなっている。
自公政権はこうした現状を打開する解決策を示せなかった。さらに「衆参ねじれ国会」に対応できず、2代続けて首相が政権を投げ出す醜態も演じた。麻生太郎首相は選挙戦で自公連立の実績と「責任力」を強調したが、説得力はなかった。自民党海部俊樹元首相が落選し、派閥領袖クラスも苦戦。公明党太田昭宏代表、北側一雄幹事長ら幹部がそろって落選する厳しい結果となった。
今後の最大の焦点は、民主党政権の力量だ。子ども手当などを掲げたマニフェスト政権公約)の評価は必ずしも高くはない。それでも民主党に圧倒的な支持が集まったのは「政治を変えてほしい」という有権者の切実な願いの表れと言える。
だが政権交代は手段だ。これからその中身が問われる。
民主党は二つの変革を掲げる。一つは統治体制だ。鳩山氏は「官僚主導の政治の打破」を訴え、首相直属の「国家戦略局」新設や、各省庁に約100人の議員を配置する「政権構想」を描く。だが官僚の抵抗が予想され、本当に政治主導を発揮できるのか。新政権はスタートから厳しい試練に直面するだろう。
政策面では、政官業の癒着を断ち切り、家計を直接支援して内需を拡大する「暮らしのための政治」を掲げる。だが予算の組み替えや税金の無駄遣い根絶で、果たして巨額の財源がひねり出せるのか。
確かに政権交代の翌日からすべてが変わるわけではない。しかし「変革」が実感できなければ、期待は失望に変わる。社民、国民新両党との連立で外交・安全保障政策などが一致できるのか。圧勝におごらず政権運営に当たれるか。課題は多く、有権者の視線は厳しいことを忘れないでほしい。
この約20年間の政治改革論議の目標は「政権交代のある政治体制」だった。その定着には、今度は民主党に代わり得る政党の存在が必要になる。壊滅的な打撃を受けた自民党が再生できるのかが重要な意味を持つ。



社説:衆院選民主圧勝(宮崎日日新聞 2009年8月31日(月))

政権選択が問われ、与野党が激しく競り合った衆院選は、日本の政治の大きな転換点になった。
政権交代」による変革を訴えた民主党が広く有権者の支持を集め、政権を担うことになった。
政治の仕組み、政策が大幅に変わる可能性がある政権交代有権者は選び、自民、公明の連立政権に明確な「ノー」を突き付けた。
今回、民主党が歴史的な勝利を果たした最大の要因は、閉塞(へいそく)状況を招いた自民党の「失政」に尽きるのではないだろうか。
だが、今度は政権を託された民主党に国民は期待するとともに厳しい目を向ける。今後、政治をどう立て直し、将来の展望を切り開くのか。重い責任を担った。
■政権批判が追い風に
今回の衆院解散・総選挙に至る過程で、自公政権は衆参のねじれ状態の下で政権運営がうまく進まず、2代続けて首相が政権を投げ出す事態をも招いた。
その間、閣僚の不祥事なども相次ぎ、経済不況は庶民の暮らしを直撃した。政治に対する国民の不信がピークに達し、解散時から自公政権への批判が民主党に追い風となっていたことは確かだ。
総選挙では政権与党は、それまでの政策や政治姿勢がもろに評価される場となる。
その点で今回、大敗した自民党は前回の“郵政選挙”以来、年金制度では記録不備問題で完全に信頼を失った。また、「小泉構造改革」、規制緩和では格差が拡大した。さらに地方の疲弊、少子高齢化社会が進み、国民は将来に展望が描けなくなっていた。
本県選挙区では1区で閣僚経験者の自民党系候補が敗れ、2区でも公認候補が苦戦した。また、全国的にも自民党の首相経験者や大物候補が軒並み苦しんだ。
その要因として前述した国民の政治不信、厳しい生活実態を打開する解決策を自公政権が示せなかったことが挙げられる。
■期待の裏に厳しい目
自民党は1955年の結党以来、93〜94年の約10カ月間を除いて担ってきた長期政権の座を失った。日本の議会政治史に残る選挙結果だ。
民主党関係者らは「政治を変えたいという国民の切実な願いが通じた」と声をそろえる。それに間違いはないが、政権を担う民主党の道筋は平たんではない。
一つには統治体制で官僚主導の政治打破を訴えてきたが、官僚の抵抗も予想され本当に政治主導を発揮できるのか。
また、政策では政官業癒着を断ち切り、家計直接支援の「暮らしのための政治」を掲げている。予算の組み替えや税金の無駄遣い排除による財源捻出(ねんしゅつ)は可能か。
政権が変わった直後から成果が出るものではないだろうが、少しずつでも「変革」の実感がなければ国民の期待は失望に変わる。
政権交代はあくまでも手段である。圧勝におごらず、国民生活立て直しに全力を傾けてほしい。



社説:民主中心政権へ 人権守り血が通う政治を/改革度と統治力が問われる(琉球新報 2009年8月31日(月))

日本の政治は、政権交代という歴史的な転換点を迎えた。
第45回衆院選で「国民の生活が第一」と訴えた野党の民主党が300議席超の記録的大勝を果たし、同党を中心とする政権誕生を確実にした。
景気対策など「実績」を強調した麻生太郎首相と自民、公明両党の連立政権は、有権者から強烈な「ノー」を突き付けられた形だ。
日本のかじ取りを担う新首相には民主党鳩山由紀夫代表が就く方向だが、鳩山氏には憲法に立脚し、国民主権基本的人権の尊重、平和主義の3原則を大切にする政権運営を求めたい。
国民軽視に有権者「ノー」
思えば戦後、一時期を除いて連綿と続いた自民党支配は、これらの3原則をないがしろにしがちだった。最近では小泉政権の聖域なき構造改革路線が顕著な例で、「三方一両損」「痛み分け」などもっともらしいことを言いながら社会的弱者にだけ痛みを強いる結末に、国民の不満が高まった。
安倍政権では該当者不明の「宙に浮いた」年金記録が約5千万件に上ることが発覚し、社会保険庁に対する怒りが沸騰した。この問題は福田、麻生両政権に引き継がれたが、解決に至っていない。
薬害肝炎問題もしかり。九州訴訟原告の福田衣里子(えりこ)さんは、薬害の責任を認めようとしない政府に「見くびらないで」と唇をかんだ。見下された思いは消えず、今衆院選で長崎2区から民主党公認で出馬し、初当選した。原爆投下を「しょうがない」と発言した自民党久間章生元防衛相との戦いを制したのは、今選挙戦を象徴するシーンの一つといえよう。
人間が人間らしく生きる環境をこの国はつくり得ているのか。今衆院選で、このことが真っ先に問われたのは間違いない。本紙加盟の共同通信社衆院解散直前に実施した全国電世論調査でも、投票の際に重視する課題は「年金や医療など社会保障」が40%超とトップだった。
「景気や雇用」がこれに次ぐ課題とされたが、自民党の惨敗ぶりを見れば、有権者は現行の経済成長路線の継続に懐疑的、否定的だったことがよく分かる。
ところが自公政権は「失政」を反省するどころか、成果だと決めつけて選挙戦に打って出た。与党が民意をくみ取れないのは今に始まったことではないが、もはや「重症」の域にあった。
国民の審判は明解だ。自民党は選挙区で首相経験者や現職閣僚、党派閥の領袖らを軒並み落とし、公明党も代表と幹事長が落選の憂き目に遭った。「自民党をぶっ壊す」と宣言した小泉氏が党を巨大化させ、逆に「日本を守るのは自民党」と断言した麻生氏が党を壊滅状態に陥れたのは皮肉だった。
自民党の敗因は、国民をなめ切ったかのような政権運営を続けたことに尽きよう。選挙結果を謙虚に受け止め、猛省して出直しを図ってもらいたい。
脱基地対策も試金石に
政権交代を決めた民主党は、選挙戦で示したマニフェスト政権公約)の実現に向け、改革度と統治力が問われることになる。
国の総予算207兆円の全面組み替え、天下りの根絶、企業団体献金の禁止は、官僚や族議員らの激しい抵抗が予想される。子育て・教育、年金・医療、地域主権、雇用・経済も重要なテーマで、変革は容易ではない。
しかし、ひるんではならない。第三極の各党の協力も仰ぎながら、官僚支配の打破、不当な利権政治との決別、腐敗体質からの脱却に挑んでほしい。
沖縄問題では、脱基地対策が試金石となる。県民を危険にさらして外交・安保もなかろう。民主党は米軍普天間飛行場の県外・国外移設を主張しており、対米交渉をリードする気概が求められる。
仲井真県政は正念場だ。沖縄選挙区で民主2人、社民1人、国民新1人が当選したことで、名護市辺野古沖に固執する現計画の練り直しを迫られよう。
懸念材料もある。新政権が全議員の3分の2を占めることの「危うさ」だ。巨大化で数の論理を振りかざし、民意と異なる法案の強行採決を繰り返した自公政権の二の舞いだけは勘弁願いたい。
民意は血が通う政治の実現である。人権を重んじ、平和主義に徹すれば「国民生活が第一」の看板も輝く。原点に立ち返り、国民本位の政治を確立してもらいたい。



社説:[民主圧勝](沖縄タイムス 2009年8月31日(月))

「世替わり」の始まりだ
驚くしかない結果だ。山が動いた。有権者は1955年の保守合同以来、一時期を除いて政権の座にあった自民党に明確なノーを突きつけた。
第45回衆院選民主党が歴史的な大勝利を収めた。委員長ポストを独占し、さらに委員数でも過半数を占める絶対安定多数を確保した。
対照的に自民党は閣僚・党三役経験者、連立を組む公明党太田昭宏代表ら幹部が相次いで落選した。自公政権への不満が一気に爆発した。
自民党は自壊したとみたほうがいい。支持者から三くだり半を突きつけられたのである。2006年9月に退陣した小泉純一郎元首相後の3年間の政権運営はどうだったか。安倍晋三福田康夫両元首相が国民の審判を仰ぐことなく引き継ぎ、行き詰まると簡単に政権を投げ出す。
麻生太郎首相も相次ぐ失言や定額給付金にみられる政策のぶれ、閣僚の不祥事に見舞われた。格差は拡大するばかりで、セーフティーネットも十分でない。社会保障費が削られ医療は崩壊寸前だ。少子高齢化社会の中で公的年金制度への不信は高まる。地方の疲弊は目を覆うばかりだ。麻生首相は「行き過ぎた市場原理主義からの決別」を宣言したが、解散直前まで党内でごたごたが続いたように小泉構造改革に対する総括が党内でもなされていなかった。
戦後の自民党政治は、高度経済成長の下で、地方や業界の要望をすくい上げ、その果実を分配するシステムだったといえる。だが、今回の選挙で旧来の政治システムは終焉(しゅうえん)を迎えた。
政権交代の風が沖縄にも吹いた。自民党は全小選挙区で歴史的敗北を喫した。米軍基地問題や振興策は大きな転換期を迎えたといえる。
地殻変動は進行していた。昨年の県議会選挙で与野党が逆転し、民主党候補4人が各地でトップ当選した。今年の那覇市議選でも民主党の若い無名候補が上位だった。
保守陣営の「集票マシン」といわれた建設業協会、経済団体会議、医師会が自公に距離を置いた。小泉元首相の構造改革で公共事業が減り、建設業界には「自民以外の政党でも」という雰囲気が蔓延(まんえん)した。中央との「太いパイプ」を活力とした旧来の政治が変容した。
この情勢変化は主要選挙を来年に控える県内政局にとって大きな意味を持つ。1月の名護市長選、4月沖縄市長選、夏の参院選、11月県知事選。国政の政権交代は2期目をうかがう仲井真弘多知事にとって厳しい情勢となった。
民主党は、官僚政治を打破し、政治主導を掲げる。予算編成や外交の基本方針を策定する「国家戦略局」を設置し政治主導で政策決定を進めていく考えだ。有権者の期待も脱官僚にある。
それにしても、小選挙区制の怖さを思い知らされるような選挙結果だ。
民主党は組織の力量以上の議席を獲得したと考えたほうがいい。獲得議席の重さをかみしめ、政権運営に当たっては野党の声にも耳を傾け、有権者の期待に全力を挙げて応えてもらいたい。