兵隊さんは「国民」を守らない

sowon さんの「日記 重信川の岸辺から」
「犠牲の論理のうえにたつ軍隊」


統合幕僚会議議長来栖弘臣氏、元自衛隊陸将志方俊之氏、久間章生防衛庁長官
この他にもたくさんいるこうした人々。
こういう人たちが「誇りを持って」国を守ると言い張る。
この人たちに先日の「前戦では銃後を守れない」で書いたようなことを言えば、それこそ「グロテスク」なのだろう。


ジェシカ・エドワーズではないが、彼らには「あなたは今どこにいます?」*1と問おう。
24万人の自衛隊員が捨て石になって屍をさらし、国民の1割が犠牲になって「国を守る」とき、あなた達はいったいどこにいて何をしているのか。


この間書きたかったことの一つは、「戦争はあってもしかたがない」という消極的是認をする人も、例えば自分が銃を取り前戦に立ち、目の前の女性・子供・老人を含む人々(あるいは彼らのいる建物、場)に向けて引き金を引くとき、いったい何を思うのか。
そうした経験をして帰還したとき、何を思い生きていくのか。
それらの「覚悟」があった上でなお、「戦争はあってもしかたがない」と言えるのか。


自らを振り返る視点なしに、こうした問題を「ナンセンス・グロテスク」とかたづける姿勢はどうしても納得がいかないのだ。

*1:銀河英雄伝説アスターテ会戦戦没者追悼式典で国防委員長ヨブ・トリューニヒトが演説中に、会戦で婚約者ジャン・ロベール・ラップを喪ったヤン・ウェンリーの友人ジェシカ・エドワーズがトリューニヒトを非難して言った言葉。