「それでも私は患者を治すのだ 自分が生きるために」

yamakawさんの「こどものおいしゃさん日記」8月23日分。


おとなり日記の先の先、id:chisya さんの日記「猫の事務所」8月25日分経由。
自分の娘が死にかけてみて、目の前にいる小さな命を何とかしたい、「頑張って欲しい」と無条件に願うのは親として当然のことであろうとしみじみと、切実に思う。
でも、たいていの場合、親は無力でもある。
何もかも、ただ受け止めることだけが義務として残される場合だってある。


確かに、だからこそ

でも、きっと選べない。そんなとき
「どうしようもなかった」を捨てられるほど、だれも強くないから
選べないことは選べなかったことにして
答えてもらえないものを問い続けるしかないかもしれません。
ズルいかもしれない。それでも
迷いがあっても現場の医師が引くべきラインではない、私はそう思います。

という言葉は重い。
立ち会ってなかったから、ということはだから、たぶんないんじゃないでしょうか。


結局のところ人間は、想像し、考え、問い、悩み続けることだと、つくづく思います。