町村外相:靖国参拝「それぞれの慰霊の仕方がある」(MSN-Mainichi INTERACTIVE)

町村信孝外相
「(首相の靖国神社参拝問題に関して中国が反発していることについて)それぞれの国には、それぞれの慰霊の仕方がある。日本では、亡くなった人はすべて神であるとの死生観を持つのが普通の感覚ではないか」
A級戦犯が合祀(ごうし)される靖国神社への参拝が『中国人民を冒とくする』との議論は、日本人にはすとんと分かったと言い難い」
「(自らの参拝について)一国会議員、一国民の立場で、靖国神社に参拝していた。そのことと外相に就いて参拝するかは別の考えがあってもいいのかもしれない。(判断まで)少し時間をいただきたい」

町村外相、首相の靖国参拝に理解示す 自身は再考姿勢(asahi.com)

町村信孝外相
「(小泉首相靖国神社参拝について)個人の信念で参拝することをいいとか悪いとかいうのは差し控えたい」
「国のために命をささげた方々の慰霊をする、恒久平和の努力を英霊に誓うのは当然の行為だと思う」
「それぞれの国にそれぞれの慰霊の仕方がある。日本と中国では死生観が違う。お互いもう少し、率直な話ができないかと思う」
「(自身の参拝について)一議員、一国民の立場で参拝してきたが、そのことと外相という職について参拝するかしないかというのは別の考え方があっていいのではないか。もう少し時間をおいて決めたい」

自分のしようとすることには腰が引けているくせに、人のこととなると元気がいいらしい。


「国のために命をささげた方々」と「英霊」にしか関心がないうえに、「日本では、亡くなった人はすべて神であるとの死生観を持つのが普通の感覚ではないか」という押しつけがましさ。
いったいどのくらいの日本人が、死んだら神になると考えているのか。
死んだら「ホトケ」という方が「普通の感覚」に近いと思うのはまるで間違いなのだろうか。
もちろん、私自身はホトケだの神だのと考えているわけではない。
こうしたモノ達の吐き出す言葉に、まったく選択の幅も深みもないことに嫌悪を感じるのだ。
国旗だ国家だ天皇だなんだかんだと騒ぐヤツに限って、どうしてこう自分の考えと同じ人間ばっかりだと考えるのだろう。
そして、そうでない人間を「非」として排斥しようとする傲慢さ。
こうした輩ばかりだから、多様性だの寛容だの尊重だのが気に入らないのが当たり前なのだ。


本当に困ったことだ。*1

*1:ホントはもっと書いとかなくちゃイケナイ事もたくさんあるんだと思うんだけど・・・