「慰安婦とか言葉減り良かった」 教科書巡り文科相発言(asahi.com)

中山成彬文部科学相
「(歴史教科書について)極めて自虐的で、やっと最近、いわゆる従軍慰安婦とか強制連行とかいった言葉が減ってきたのは本当に良かった」
「日本の教科書は、政治家が悪いんだと思うが、極めて自虐的な『日本は悪いことばっかしてきた』というもので満ち満ちていた時があった。これは何とか直さないといかんということでやってきた」
「どの国の歴史にも光と影はある。悪かったことは反省しないといけないが、すべて悪かったという自虐史観にたって教育だけはしてはいけない。これからの日本を生きる子供たちに、自分たちの民族や歴史に誇りを持って生きていけるような教育をすることが大事だ」
「大臣になる前に座長だった立場から感じたことを述べた」
「今回、文科相になりましたから別の見方をしなきゃいかんのかな、中立的に見ていかないといけないかなと思っている」
「(男女別でなく五十音順に並べる男女混合名簿に触れ)小さい頃から男も女も同じだということだと、どういうことになんのかなと思う」
「良い、悪いというのは思わないが、例えば身体検査の時に、小学校高学年になって同じ所で裸になるのはいやだという声も聞こえる。十分注意していかなくてはならない」

「日本の前途と歴史教育を考える会」*1の座長だったという文科大臣。
こうした輩は必ず「悪かったことは反省しないといけないが、すべて悪かったという自虐史観にたって教育だけはしてはいけない。」などと言い張り「悪く書き過ぎた、言い過ぎたところの訂正を求めている」と言うくせに、結局のところ「悪い」ところの全部を「ウソだ」「捏造だ」「自虐だ」とわめき散らす。
つまり、反省する気なんかサラサラないのだ。
「間違っていたことは素直に反省し、二度と間違わないように気を付ける」姿勢は「誇りを持って生きていける」教育ではなく、「最初から間違ってなどいず、これからも間違うことなどなく、誰かが間違いを指摘したとしても、指摘自体が間違いである」という姿勢が誇りある民族のあるべき姿らしい。
そして、「男女平等」というとまた必ず引き合いに出す「着替え」の例えで自らの品性をさらけ出してしまう。


公平だの平等だのは「みんながおんなじことをする」ことだとしか思いつかない人には「個の尊重」の何たるかを理解できないらしい。

*1:歴史教科書から強制連行などの記述の削除を求める運動をしている自民党有志の会、らしい