暮らしそのもの『国の基本』全103条 <第17条> 国家賠償を位置付け

何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国または公共団体に、その賠償を求めることができる。

(前略)
これを具体化したのが国家賠償法。同法は、国や地方公共団体に賠償責任が発生する場合として(1)公務員が故意や過失によって違法に他人に損害を与えた(2)道路や河川などの設置や管理に瑕疵(かし)があったために他人に損害を生じさせた−の二つを示している。「公務員」には、公権力を行使する権限のある者がすべて含まれるとされ、例えば、民間人である特殊法人や公団の職員も対象となる。
国家賠償の最近の例としては、米軍嘉手納基地の周辺住民が起こした訴訟で、国に約二十八億円の賠償を命じた判決がある。しかし、裁判所は総じて国の責任を認めない傾向にある。これは、安易に国の責任を認めれば、賠償の財源となる税金の無駄遣いにつながるためとも言われる。
(後略)

安易に国の責任を認める必要はまったくないが、「賠償の財源となる税金の無駄遣いにつながるため」「裁判所は総じて国の責任を認めない傾向にある」というのならばこれはゆゆしき問題だろう。賠償が必要であればきちんと賠償することにより、賠償が必要な事態にならないよう公務員や行政を抑制するのが本来の姿であり、そうであれば、自ずと税金の無駄遣いを防止できるというものだ。憲法がいかにあり得べき姿であっても、解釈や運用によってすべからく本末転倒になってしまう。
「国民の血税」などとのたまうクセに湯水のように無駄遣いすることにばかり専心するロクでもない輩が多いのだが、国賠法にしても、それこそ憲法の理念をシッカリと汲み取り、賠償責任が発生する場合についてもっと具体的に規定すべきなんじゃないだろうか。国民は判決という形で行政がどんな無駄遣いをしたかを知る。そこからまた、税金をどうやって使ったらいいかについての考察を始めてみよう。