暮らしそのもの『国の基本』全103条 <第19条> 心の自由 個別に保障

思想および良心の自由は、これを侵してはならない。

人が心の中で、どんな考えや判断基準を持っていてもいいという「内心の自由」を保障した条文。二〇条の信教の自由、二一条の表現の自由などと区別して規定した例は、世界的にも少ない。これは、言論の自由などが「法律ノ範囲内」と限定された旧憲法下で、思想弾圧が行われた苦い経験があるからだ。
具体的には、国家権力などが拷問で個人の思想の告白を迫ったり、交友関係の調査や密告によって思想を調べたりすることを禁じていると解釈できる。たとえ危険思想でも、内心にとどまっていれば他人に害を及ぼさない。人の「内心」には国家が立ち入らないというのが、基本的な考えだ。
(中略)
ただ、衆院憲法調査会で、「民主主義や国の存在を否定する思想まで憲法は許していない」として、思想にも一定の制約をつくるべきだという意見が出たこともある。
(中略)
究極の人権ともいえる「人の心」にかかわる条文だけに、議論は多岐にわたっている。

内心に自由はあっても、それを表現するや公共の福祉との軋轢が始まる。「思想にも一定の制約をつくるべき」という意見は言語道断としても、これは相当に難しいものであるとは思う。国旗国歌の問題然り、教科書の問題然り、今後この手の問題で思想や信条を表現することが窮屈な時代になっていく兆しがある。それも、一方の側だけが窮屈になるのであれば、非常にゆゆしき状況といわざるを得ない。「当然」だとか「元来」だとかそんな言葉をちりばめた反動が蔓延るようなことがあってはならないと思う。こうした寛容につけ込んだ動きがとても気になっている。