暮らしそのもの『国の基本』全103条 <第79条> 罷免の例ない国民審査

最高裁判所は、その長たる裁判官および法律の定める員数のその他の裁判官でこれを構成し、その長たる裁判官以外の裁判官は、内閣でこれを任命する。
最高裁判所の裁判官の任命は、その任命後初めて行われる衆議院議員総選挙の際国民の審査に付し、その後十年を経過した後初めて行われる衆議院議員総選挙の際更に審査に付し、その後も同様とする。
前項の場合において、投票者の多数が裁判官の罷免を可とするときは、その裁判官は、罷免される。
審査に関する事項は、法律でこれを定める。
最高裁判所の裁判官は、法律の定める年齢に達した時に退官する。
最高裁判所の裁判官は、すべて定期に相当額の報酬を受ける。この報酬は、在任中、これを減額することができない。

(前略)
この条の中で、最も議論となるのは二項の国民審査制度。
衆院選の投票に行くと、小選挙区比例代表の投票用紙以外に、もう一枚投票用紙を渡される。それが、この条文で規定している最高裁判所の裁判官の国民審査だ。辞めさせたい裁判官がいれば、その裁判官の欄に「×」を付けて投票、「×」が半数を超えたら、その裁判官は罷免される−という制度だ。
内閣が指名・任命する司法のトップメンバーの適否を判断できるのだが、今まで罷免された裁判官は一人もいない。何も書かずに投票箱に放り込む人が圧倒的に多い。「×」が付けられるのは、おおむね一割程度。突出して「×」が多かったり少なかったりする裁判官は、ほとんどいないそうだ。
(中略)
国民審査は、完全に形がい化している。
そもそも、立法府の議員を選ぶ選挙に“便乗”して裁判官を審査するという制度は、変といえば変だ。
(中略)
衆院憲法調査会の最終報告書は(1)国民の意思が明確となる他の方法を導入する(2)最高裁裁判官の任命を国会承認にする−などの意見があったことが明記された。自民党の新憲法起草委員会の司法小委員会も、「現行制度は改める」との要綱をまとめた。同党内では「国民審査の代わりに参院がチェックするようにしてはどうか」などの意見もある。

「変といえば変だ」と書いてみたり「参院がチェックしてはどうか」という意見を何の論評もなくサラッと書き連ねたり、何を考えてのことかはよくわからないが、例えばアメリカの例を挙げて「九人いる連邦最高裁の判事の名前がかなり知られていて、判事の具体的な意見が大きく報道される」と書いているのだから、その使命を感じるのであれば率先して東京新聞が報道すればいいのではないだろうか。「日本では関心が低い」というのは選挙(選挙公報も含む)と同じくその通りだろうけれど、顧みれば指摘の通り報道が少ないのは確かで、どれだけ効果があるかはおいておくとしても、少なくとも関心を高める一助とはなるのではなかろうか。