「内心」ってなんだ

愛国心:「内心の評価いけない」…文科相、一部の通知表で(MSN-Mainichi INTERACTIVE / 2006年5月26日)

小坂憲次文部科学相
「内心を直接評価してはならないと伝達している。一部に通知表の項目に行き過ぎがあれば、学校長の理解を求める努力をしていきたい」
「『自国を愛しているかどうか』などという項目で評価を求めるのはおかしい」
「愛する心情を持つことだけを評価しているわけではない。世界の平和を願う自覚を持とうとする態度などを、総体として評価するもの」



「直接評価してはならない」ということは「間接評価してもよい」ということなのか。
考えるだに「自国を愛する」ことの強要が如何に理不尽かに思い至る。例えば、難民に対する冷遇を知り「日本ってこんな国だったのか、恥ずかしくてイヤだ、嫌いになった」というのは許されないことか。国民の血税を芸者やコンパニオンをあげての飲み食いに費やす政治家の存在を知り「日本ってこんな国だったのか、情けなくてイヤだ、これじゃ愛せない」というのは許されないことか。
イヤなことには目をつぶり、いいところだけに目を向けて「ああ、素敵だ、愛してる」っていうのは何だか相当に間が抜けたおバカさんにしか見えないが、自分の子どもをそんな人間にしたいとは絶対に思わないぞ。第一、悪いところが見えなくちゃそこを直しようがないじゃないか。
つまりは、そういうことか。