「『旧』教育基本法」の生かし方

定義集--大江健三郎「【後知恵の少しでも有効な使い方】 心に「教育基本法」を」(朝日新聞2006年12月19日(火)朝刊)

(前略)
私らの世代より年長の者ならば、戦中のこの国、地方公共団体、また「隣組」として制度化された近所の目が、そして権力を持つ家族の長が、個々の家庭の、幼児をふくむ子供らの教育にどれだけ息苦しい圧力を加えたかを知っています。それに屈服せす、若い母親が(また意識的な父親が)自立した個性にみちている家庭教育をすすめる、その手がかりはどのようにあるか?
(後略)
私は、ついに失われてしまった教育基本法の小冊子を作って、新しく教師になる人、若い母親、父親が、胸ポケットに入れておく、そのようにして、それを記憶し、それを頼りにもすることを、提案します。
まさに「作品」と呼ぶにあたいする文体をそなえた教育基本法には、大きい戦争を経て、誰もが犠牲をはらい、貧困を共有して、先の見通しは難しい窮境にいながら、近い未来への期待を子供らに語りかける声が聞こえます。
あの「作品」を積極的に受けとめた日本人には、その文体につながる「気風」があったのです。それを忘れすにいましょう。
そして幼児とともに、目に見える・見えない抵抗に出会う時、若い母親が開いてみる本にしましょう。



元々あったものを拠り所にして生かしながら、何がどのように変わったか、変わったことによって何が起きたか、を記憶/記録していくことは大切なことだ。今後また「再修正」を実施するにあたっても、それらを糧にすることができる。検証とそれによる錬磨は、これから先だって自分らの手によって可能だ。