「〈民主〉と〈愛国〉」読了

レストランしもつけ 手打ち天ざるそば1

図書館から。

〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性

〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性



ようやく読み終えた。大著である。時期的にも需要があったか常に予約が入っていて延長ができず、2週間読んでは1週間待ち、そんなことを繰り返してほぼ半年がかりで本編を終えた。まだ注が残っているが、これがまたたくさんの書き込みがあり、参考文献とあわせるとゆうに100ページを越える。そこらも含めて咀嚼はこれから。できるのかしら。
ほんの一部でしかないが、印象に残った言葉。

戦後思想の最大の強みであり、また弱点でもあったのは、それが戦争体験という「国民的」な経験に依拠していたことである。
小熊英二「〈民主〉と〈愛国〉」P794

振り返ってみると、ある年齢まで、戦争というのはずっと殺されることだと思ってきた。以前の記事で小三の時に「原爆展」を見た感想文を書いた

アメリカはどうして日本にげんばくをおとしたんだ。なぜじぶんのくににおとさないんだ。じぶんたちがしんだらいやだからだろう。何千何万という人をころしたアメリカ人をころしてやりたい。そうするにはアメリカにげんばくをおとすかしなければならない。そうしたら、またせんそうになってしまう。

ここにあるのも「日本に原爆を落としたアメリカ」という被害者の視点だ。「殺される」ということがずっと大きく刻み込まれていてされていて、恐怖とか諦念とか憤怒とかが共有されているものだと思ってきた。年長の者から戦争の話を聞くときにも、自分らの戦災による「被害」は語られても、相手方に対する私の憤怒について「だけどね、日本もこんなことをしたんだよ」という話を聞いたことはなかった。自分らの「加害」という事実はいったいどこに行ってしまったのか。
身内を見渡すと、実際に前戦を戦って生き残り復員した経験を持つ者はいない。しかし、直接は関わっていなくても、あるいは直接は関わらなかったからこそ、日本がしたことについての考察をすることはできなかったのだろうか、と思い至る。これはごく私的な体験であり、おしなべて同様な状況なのかどうかはわからない。中にはきちんといろいろな話を聞けた人もいるだろう。しかしもし、戦争体験を共有するという基盤があったにもかかわらず、「被害」の一面が大きく伝えられ「加害」の事実がある意味隠蔽されてしまったということが多かったのであれば、結局その基盤は十分に生かされたとは言えないのではないか。
よく「日教組などの左翼的教育により自虐的史観が蔓延した」というようなことが言われるが、これはまったく当を得ていないと思う。少なくとも自身の学歴の中で、「日本は虐殺も行ったことがある」という事実をちゃんとした形で教えてもらったことはない。
今後も機会があればこの大冊を読み返し、どの程度できるのかはわからないが、できる限り咀嚼しておきたいと思っている。そして、少なくとも鶴見俊輔小田実も読んでみるしかあるまい。
「戦争は恐ろしいことだからしてはいけない」というのはずいぶん中途半端な物言いだ。「殺すことも殺されることも許されることではない」ということのみが、私が依ってたつ原点となる。