気軽に休める社会がいい

日本でなぜタミフルがこれほどもてはやされるのか? 患者側からすると、それは日本が「休めない社会」だからじゃないだろうか。
タミフルの効用は、昨日書いたとおり「インフルエンザ発症から40時間以内に飲み始めることによりA型およびB型インフルエンザの治癒を1〜2日(平均1日)程度早めることが期待できる」というものだ。新型インフルエンザや鳥インフルエンザ、もしくは世界的大流行となった場合などを除いて、十分な栄養の摂取と休養で治癒できるならば、極端な言い方をすれば「タミフルは不要」ではないか。そこまでのことはないとしても、現在のように何でもかんでもタミフル、8割が日本で使用されているというような異常な状態になることはなかろう。
一つには「インフルエンザは怖い」「命に関わる」として、予防接種を受けなくちゃイケナイ、タミフルがあれば大丈夫、と煽られた結果とも言えよう。医師がタミフルを出してくれなかったとき、出してほしいと要望することも多かったのではないかと思う。
患者側とすると、もちろん病状から一日も早く治癒することによって脳症だとか肺炎だとかのリスクを減らしたいということもあるだろうけれど、巷間での反応を見ていると「明日卒業式だから」とか「大事な会議があるので」など、早く治らないと困る事情というものも見て取れる。どこまで選別された情報なのかは知らないが、そうした要望というのも確かにあるのということはわかる。
一生に一度のことであれば何とか出たい、行きたいというのもわからないではないけれど、ただそのためだけにリスクのある(かもしれない)薬を使って早く治し無理をしてでも出席することにどれだけの意味があるのか。そのために命を落とすことはないかもしれないけれど、無理が祟って却って治癒を遠ざけたりしないだろうか。
勉強や仕事は一生懸命やるけれど、でも死にもの狂いでやる必要はない。病気になるような働き方・生き方はできるだけしたくないし、病気や他の事情があったら「気軽に」休める方がいい。誰かが休んでも嫉むような空気がない、そういう環境の方がずっと気楽に暮らせるのに、と思う。