防衛大臣辞任に関する各紙の社説

社説:久間氏辞任 心からの反省が伝わらない(MSN-Mainichi INTERACTIVE 2007年7月4日(水))

(前略)
久間氏は「原爆を是認したわけではない」と弁明している。「しょうがない」のニュアンスがうまく伝わらず、言葉尻をとらえられたという言い分だ。
しかし講演では「国際情勢や戦後の(日本の)占領を考えるとそういうこと(原爆投下)も選択肢としては、戦争になった場合はあり得るのかなと(思う)」とも述べている。このように日本への原爆投下について、選択肢として容認しており、認識そのものが間違っているのだ。
(中略)
辞任の弁で久間氏は「選挙のマイナスにならないように身を引く」とも語った。
心からの反省ではなく、こう選挙対策による辞任を前面に出されては、あきれるしかない。
安倍首相の対応にも問題があった。首相は久間氏の発言当初、「惨禍の長崎について忸怩(じくじ)たるものがある、という考え方も披歴された」と久間氏をかばった。
小沢一郎民主党代表との討論でも「核廃絶についてこれからも大いに力を発揮してほしい」と罷免を拒否している。核兵器廃絶への姿勢を見せるためにもただちに厳しい認識を示すべきだった。
首相は「産む機械」発言の柳沢伯夫厚生労働相、光熱水費問題で批判を浴びた松岡利勝前農相をかばい続けた。今回の久間氏に対しては参院選があるため、かばい続けることができなかったというのが実態だろう。久間氏を任命した責任を首相は厳しく問われよう。
久間氏の発言で、核兵器廃絶を訴える日本に対する国際社会の信頼は損なわれた。首相は、核兵器廃絶への決意を改めて語るべきである。



社説:防衛相辞任―原爆投下から目をそらすな(asahi.com 2007年7月4日(水))

(前略)
久間氏は辞任するが、これで一件落着したわけではない。久間発言は無思慮ではあるが、そういう物言いを生み出す土壌があると思わざるをえないからだ。
それは、米国の原爆投下に対し、日本の政府が厳しく批判せず、国民の動きも十分でなかったことだ。
広島と長崎に原爆が投下された直後の45年8月10日、政府は国際法違反として米国に抗議した。終戦後の同年9月には、のちに首相になる鳩山一郎戦争犯罪と批判した。この発言を掲載した朝日新聞は占領軍により発行停止になった。戦犯を裁いた東京裁判でも、日本側は原爆投下を違法と主張した。
原爆投下を糾弾する動きはここで止まる。政府が黙ってしまったのは、平和条約で、米国などの連合国への請求権を放棄したことが大きいだろう。法的にものを言うすべを失ったということだ。
だが、それだけではあるまい。日本は米国に無謀な戦争を仕掛けて、敗れた。しかも、敗色が濃厚になっても、戦争をやめなかった。そんな負い目が戦後の日本にあったからではないか。
久間氏の発言は、こうした心理がうっかり漏れたということだろう。
(後略)



防衛相辞任 冷静さを欠いた「原爆投下」論議(7月4日付・読売社説)

(前略)
久間氏は講演で、米国は、「日本も降参するだろうし、ソ連の参戦を止めることができる」として原爆を投下したとの見方を示した。これは、誤りではない。当時、ソ連に対して不信感を募らせていた米国は、ソ連の参戦前に早期に戦争を終わらせたいと考えていた。
同時に、久間氏は、「勝ちいくさとわかっている時に、原爆まで使う必要があったのかという思いが今でもしている」と付言していた。
米政権内部でも、敗色濃い日本への原爆投下については、アイゼンハワー元帥(のちの米大統領)が反対するなど慎重論は強かった。久間氏は、米国が非人道的兵器の原爆を使用したことに疑義も呈していたのである。
そもそも、原爆投下という悲劇を招いた大きな要因は、日本の政治指導者らの終戦工作の失敗にある。仮想敵ソ連に和平仲介を頼む愚策をとって、対ソ交渉に時間を空費し、原爆投下とソ連参戦を招いてしまったのである。
しかし、野党側は、「米国の主張を代弁するものだ」「『しょうがない』ではすまない」などと感情的な言葉で久間氏の発言を非難するばかりで、冷静に事実に即した議論をしようとしなかった。
(後略)



【主張】久間防衛相辞任 遅きに失した決断だった(Sankei Web 2007年7月4日(水))

(前略)
今回のような失言が許されないのは当然だが、核問題を政争の具のように扱うことは避けるべきである。
日本は唯一の被爆国として、核廃絶を目指す立場がある。同時に、自国の安全保障を米国の核の抑止力に大きく依存している現実がある。
1日に行われた安倍首相と小沢一郎民主党代表との党首討論でも、この問題が取り上げられた。
小沢氏は核の抑止力の重要性を認める一方、米国には原爆投下に関する謝罪を要求すべきだと主張した。
これに対し、首相は米国に謝罪を求めつつ、核の抑止力の提供を求めるということが、現実の外交上は簡単でない点を率直に認めた。
日米同盟を維持、強化しながら、日本は核をどう考えていけばよいのか。後任の小池百合子氏や政府関係者はもとより、国民もこの問題に正面から向き合いたい。



【社説】防衛相辞任 後手の首相にまた打撃(東京新聞 2007年7月4日(水))

舌禍の久間章生防衛相が辞任した。発足わずか九カ月あまりで安倍政権は辞職閣僚三人(一人は自殺)を出したことになる。極めて異様で深刻な事態だ。首相は国民の不信をどう、ぬぐうつもりか。
辞任を申し出た久間防衛相に、安倍晋三首相は慰留の言葉を口にしなかったとされる。昨年の暮れに政治資金の不適切経理などで行革担当相を辞めた、佐田玄一郎氏のケースと同じである。
世間の批判を浴びても自ら辞めないうちは「私の内閣」のメンバーをかばい続ける。現職農相で自殺した松岡利勝氏についてもそうだった。任命権者としての自身の責任を認めながら強気の構えを崩さず、問題の風化を待つ。そういうスタイルなのだろう。「後手」批判も覚悟で。
(中略)
後任の防衛相には首相補佐官小池百合子氏が起用された。またも取り巻きグループの一員だ。選挙戦へ広告塔を、の算段なのか。だが、底が抜けたような政権の存続へ、小手先で振る舞われては、国民が迷惑する。ことはもう、参院選の勝ち負けどころの話ではなくなっている。



社説:政権は「核廃絶」の誓いを 久間防衛相辞任(西日本新聞 2007年7月4日(水))

(前略)
久間氏は安倍晋三首相に「参院選を前に私の発言でいろいろ迷惑をかけた」と辞任理由を述べたという。
自らが辞任することによって、野党の罷免要求をかわし、国民の批判や不信を沈静化させようというわけだろうが、背景には、目前に迫った参院選で苦戦が予想される与党の圧力があった。
裏を返せば、この発言が参院選の直前でなければ、久間氏は辞任に至らなかったかもしれない。
安倍首相や与党にとっては、これで政治的には「幕引き」をしたことになるのかもしれないが、今回の久間氏の発言をめぐる問題をこのまま一件落着させるわけにはいかない。
(中略)
辞任理由の第一が、目前に迫った参院選への影響を最小限に食い止めるためというのでは、政治的すぎる。
批判されるべきは「理由があれば核兵器を使用できる」という考えにつながりかねない発言内容であったはずだ。
(中略)
久間防衛相の発言を久間氏個人の問題に帰すのではなく、政権全体の問題として受け止めて、あらためて政権として核兵器廃絶努力への決意を国民と国際社会に誓う機会とすべきではないか。それが被爆国の政権の務めでもあろう。